3-6
監房に戻ってくると、オイラーの姿がなかった。もぬけの殻。
もうそろそろで自由時間も終わり、消灯の時刻となる。この時間にオイラーがいないことは普通ではない。何かとても悪い予感がする。
しかし、俺にはどうすることもできない。ただ信じてオイラーの帰りを待つほかなかった。
「ベルの音だ……」
消灯時間になった。この収容所に時計はないので体内時間だけが頼りだ。
唯一、時間を知ることができるのは看守が鳴らすベルの音。就業開始、就業終了、消灯のそれぞれの時間を知らせるために鳴らされる。
オイラーは消灯時間になっても戻らなかった。
それから少しして、各監房の鍵を閉めるために看守たちが巡回を始める。
この時間に監房にいなければ脱走を企てたとされ、情状酌量の余地などなくすぐさま処刑されてしまう。
くそ、オイラー……! 俺の作戦はここから全員を脱出させることなんだぞ……! お前一人でも欠けちまったら何の意味もないんだよ……!
それでも残酷なことに時間は過ぎ去っていく。
隣の監房で点呼がおこなわれているのが聞こえてくる。そして————
「202番! 点呼!」
「……くそ」
「ケータ・ソーダ! いるか!」
オイラー、どこに行ったんだよ。もう点呼の時間だぞ。このままじゃ……。
「いるなら返事をしろ! ぶち殺すぞ!」
「おい、あんた。オイラーのやつなんだけどさ! 喉やっちまったみたいで声が出ないんだ! 今日の点呼は勘弁してもらっていいか?」
くそ、こんな苦しまぎれの嘘しかつけない。
いつも適当に仕事してんだから、これぐらい見逃してくれよ。
——ニヤリ。俺の言葉を聞いて、看守は邪悪な笑顔を浮かべる。
「仲間想いなやつだなぁ。果たして、オイラー・キリエスにそんな価値があるのか?」
「どういうことだ!」
「健気なやつだぜ。いいさ、特別に教えてやる。オイラー・キリエスは所長の呼び出しを受けているんだ。だから、今日の点呼は免除となっている」
「オイラーが所長に……!?」
まさか俺と同じ監房だから……情報を引き出すために……。
ゴブレットの顔が浮かんでくる。あの拷問野郎……。まさかオイラーを……!
「はっ! お前の考えていることは分かるぜ。だがな、安心しろ。あいつは所長の拷問にあっている訳じゃねぇ。むしろ逆だ。お前を貶めるために懐柔されてんだよ!」
看守はゲラゲラと笑っている。なにがそんなに面白いのだろうか。
しかし……よかった。オイラーがあの拷問を受けていないのなら一安心だ。
「そうか、ならいいんだ」
「あぁああん? んだ、その安心しきった顔はよ! 普通逆だろ! 裏切られたんじゃないかって思うところだろ!?」
この看守なぜか突っかかってくる。
どうやら、俺が絶望していないことが気にくわないらしい。
「あのな。上司が部下を信頼してなきゃだめだろ」
「なんだよ、その性善論は! まさか人が人のことを裏切らないとでも思っているのか!」
「あんたも極端だなぁ。人は人を裏切るさ。利害、名誉、愛憎、色々な理由で裏切るよ」
長い人類の歴史に裏切りなんて数え切れにほどあっただろう。むしろ、人を裏切れるような狡猾な人間の方が成り上がってきた側面もある。
別に、俺は他人のことを手放しで「信用」しているわけではない。
人が人を裏切る可能性がある以上は、それ相応のリスクヘッジは必要だ。
「なら、なんで! そんな余裕そうなんだよ!」
「だから言ってるだろ。俺はオイラーを『信頼』してるんだよ」
「どうして、他人をそんなに信用できるんだ!」
なるほどな。こいつは「信用」と「信頼」の違いが分かってないということだ。
「オイラーを待つまで暇だったんだ。ちょっと説教くさくなっちまうが話してやるよ。『信用』と『信頼』の違いってやつをさ」
「そんなの言葉遊びだ!」
「そう、あんたの言う通り只の言葉遊びだ。たが、この二つの言葉の使い分けは、人と接するときに役立つぜ」
「————お前の御託。聞かせてみろよ」
この看守……なんか変わってるな。囚人の言葉でここまでムキにあるなんて。
年齢は俺より若そうだ。ちょうどオイラーと同じくらいだろうか。
「いいか、まずこの前提を受け入れろ。人は人を裏切る。これは事実だ」
「そんなの分かってる」
「だからこそ、『信用』と『信頼』って言葉が生まれたんだよ。人が人を裏切らない前提ならこんな言葉は生まれないだろ? だから、この言葉を使っている時点で、そいつはある程度は人のことを疑ってるんだよ」
「…………」
言葉の意味合いはポジティブだが、言葉の始まり自体はネガティブなものだ。
まぁ、だからこそ信じるって言葉は美しく、儚く、尊く感じられるんだろうな。
「信じることは疑うことから始まった。人間は根幹的には他者のことを『信頼』していない。事情は知らないが、あんたもそうなんだろう?」
「……俺のことはいい。続けろ」
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