3-5

「私、エルフとヒューマンのハーフなんです」


 開口一番に告げられる意外な事実。俺にはエルフという人種の微妙な違いなんかは分からないが、エルフ同士だとかなり顕著に分かると言うことらしい。

 まぁ、なんだろう。ヨーロッパ人にはアジア人の違いは分からないけど、同じアジア人ならなんとなく雰囲気で分かるみたいな感じだろうか。


「ケータさん、この差別が公然に認められている社会において、ハーフエルフがどんな扱いを受けるのか想像はつきますか」

「……それが君の抱える問題なのか」


 ハーフエルフは社会や学校では移民と同じような差別を受けるようだ。学校ではいじめの標的、成績も不当に採点され、入試では容赦なく落とされる。

 社会生活ではアルバイトもなかなか見つからず、公共機関を利用していると急に罵声を浴びせられることもあるとのこと。

 さらに、エルシィは普通のハーフエルフ以上に立場がない状態にあった。

 エルフであった父親が幼い頃に事故で亡くなってしまったのだ。

 つまり、ヒューマンである母との二人暮らし。たださえ、母子家庭で生活が厳しいというのにそこに差別も加わる。


「私が差別を受けるのは我慢できました。なにより、ヒューマンである母よりはマシでした。母はどうしようもないほど差別の被害に遭っていました。けど、それでも母は頑張ってくれたんです差別を受けながらも、寝る間も惜しんで必死に働いて、私に温かい食事と学校に行くお金を用意してくれました」

「素敵なお母さんだね」

「はい、自慢の母です……いえ、でした」


 言葉を訂正して過去形に言い直す。

 それだけでもう————この先の悲劇を予感させる。

 最初に出会った時、妙に自己肯定感が低い子だなと感じたのは、こういった生い立ちがあったからなのだと改めて理解することができた。

 エルシィも俺と同じように紆余曲折があってここまでやってきたという訳だ。


「母は心を病んでしまいました。あらゆる場所で差別を受け、それでも娘の私に苦労をかけないようにと必死に働いて、そんな生活を続けていた結果です。今はシュームを出て、親戚のいるヒューマンの国で静養していますが……回復の見込みはありません。抜け殻のようになってしまって、一日中ただボーッと天井を見つめているだけです」

「…………」


俺はエルシィに何も言うことができなかった。

つらかったね、かなしかったね、君は悪くないよ、なんて声をかけるのは簡単だ。けど、それでは彼女の心は救われない。気を紛らわせるくらいはできるかもしれないが、問題は何一つ解決しないだろう。


「なんで心の病なんでしょうね。もし、これが……肉体の問題だったら、私の能力でなんとかできたのに……」


 ————ふと初めて出会った時の会話を思い出した。



「これがエルシィの能力ってことか」

「そうです。『肉体強化』……私が触れた部分は人体の力を何倍にも活性化させます。それで今回はケータさんの治癒力を数倍にも強化しました」

「お医者さんを目指すエルシィにはぴったりな能力じゃないか」

「…………そんなこともないんですよね」



 そうか、エルシィが医者を志しているのは————


「お母さんを治すために、君は医者を目指したってことなのか」

「そうです、私が医者を志したのは母のためです。精神科医になって母を救いたい……そう思っていました」


 またしても過去形の言葉。

 それじゃあ、まるで医者になることを諦めてしまっているようじゃないか。


「エルシィは真面目でいい子じゃないか。このまま普通にしていれば大学だって卒業できるんだろ? なんでそんな言い方をするんだ?」

「この国の差別は根が深いんです」

「…………そういうことか」


 思わず歯ぎしりをしてしまう。体の内側からマグマのような怒りが湧いて出てくる。世の中、実力がある人間だけが成り上がれるわけではない。

 実力があってもどうしようもないことがあるのだ。


「元々、大学に入るのにも二年かかっているんです。試験結果は開示されないのでなんとも言えないですが、自分の成績が合格基準を満たしていないとは思いません。大学に入ってからも、正当な成績をつけてもらったことがありません。でも、それでも、絶対に卒業してみせると思っていました。——そんな時なんです。この収容所に研修に行くように言い渡されたのは」

「その物言いだと、研修でここに来ることは喜ばしいことじゃないんだよね?」

「そうなんです。お伝えした通り、私の家は裕福ではありません。だから、大学の学費を必死に稼ぐ必要があったんです。授業時間以外はほとんど仕事をしていました。そうでもないと……とても学費が払えなかったんです。それなのに……」

「大学側もそれを分かっていて、無理やりエルシィを研修に行かせたわけか」

 

 腐ってやがる。ただ母を救いたいという一心で医者を志し、昼間は講義、夜は仕事に費やし、必死に頑張っている女の子の夢すら打ち砕こうとするのか……このエルフの国は。ただハーフエルフであるというだけで、すべての努力が水の泡になってしまう。

 そんなのはどう考えてもおかしいじゃないか。


「研修は数ヶ月にも渡るそうで……ケータさんも知っての通り住み込みなので、他の仕事をすることもできません。もう次の学費を払えるようなお金は残ってないです。————だから、私が医者になることは不可能なんです。母を救うこともできないんです」

「エルシィ……」


 母を助けるというモチベーションを失ってしまった。出会った時からエルシットという少女は空っぽだったのだ。それなのに、自分が苦しい状況なのに、彼女は俺に優しくしてくれたのか。俺は彼女のごく表面しか見ていなかったのだ。

 それで彼女を口説いて、照れているのを勝手に好意だと勘違いして、彼女の内面にきちんと踏み込むことが出来ていなかった。

 エルシィが自分を好いてくれている? ……うぬぼれてんじゃねーよ。

 俺はただ弱っている女の子につけ込んだだけだ。そんなのはフェアじゃない。


「だから、私にはもう何もないと思っていました……。でもケータさんと出会って変わったんです。ケータさんと一緒にいられるならこんな日々もありかなって。私、ここに就職してもいいかな……なんて思っていたんですよ。だから、ケータさんお願いです。ここから脱出するなんて無謀なことはやめてください。わ、わたし……ケータさんなら……」


 エルシィはこちらまでゆっくりと歩み寄って来る。

 そして背伸びをして俺の首に手を回した。一○センチ先にはエルシィの美しい顔がある。

 甘い香り、長いまつ毛、蠱惑的な唇。


「好きです、ケータさん……」


 彼女は目を閉じた。そして……ゆっくりと、ゆっくりと、その唇を————


「ダメだ、エルシィ」


 俺は身を引き、丁寧に彼女の腕を振りほどいた。

 ここで、彼女を受け入れるわけにはいかない。ここで俺が彼女を受け入れてしまったら、彼女は完全に原動力を失ってしまう。


「な、なんで……」

「君は俺が好きなわけじゃない。目標を失って空いた隙間を、なにか適当なもので埋めようとしただけだよ。そんな風に自分を安売りしちゃだめだ」

「仕方ないじゃないですか! 私にはもう何も残されていないんですから!」


 悲痛の叫び。エルシィは泣き崩れてしまう。

 ここまで必死に耐えてきたのだろう。その糸がここにきてぷつりと切れてしまった。


「それは思い込みだよ」

「そんなことないですよ! 私は医者になる道を閉ざされたんですよ!? 医者になるためにここまで耐えてきたんです……。この国の差別にも、寝る間を惜しんで働くことにも、年並みの青春を送れないことにもです!」

「ほら、空っぽじゃないだろ? エルシィがここまで踏ん張ってきたからこそ、培ってきたものがそこにあるじゃないか」


 何かを真剣に取り組んだことにはそれだけで価値がある。

 スポーツ、学問、音楽、アルバイト、なんだっていいんだ。全力で何かのために突き進んだ経験は必ずどこかで役立てることができる。努力も才能だ。


「けど、それだけじゃ医者にはなれません! どんなに努力したって、結果が伴わなければ意味がないんです!」


 その考え方は理解できる。世の中は結果だ。努力というのは結果を出すために行われるべきだろう。だから、エルシィの言っていることも理解はできた。

 努力そのものを誇っても仕方がない。努力できることは後の力にはなるが、いつまでも結果を出すことができなければ無意味なものでしかない。


「そうだな。それはエルシィの言う通りだ」

「はい、医者になれなければ何の意味もないんです……」

「でもね、君は一つ勘違いしている。君にとっての目標は、出すべき結果は『医者になること』だったのか?」

「そうに決まってますよ!」


 エルシィは感情を露にした。今更、何を言っているんだと。

 好きな女の子を怒らせてしまうのはとても不本意だ。

 でも、この反応で分かったことがあった。やはりエルシィは大事なことを忘れていると。


「違うはずだ。君は医者になりたかったんじゃない。お母さんを救えるようになりたかったんだろ。医者になるのはあくまで手段に過ぎない」

「医者になることと母を救うことはイコールですよ!」

「いいや、そんなことはない。別に医師免許がなくとも医療行為はできる。もちろん非合法ではあるけどね。それだけじゃない。君が治療せずともお金をためて、高名なお医者さんに見てもらうことだってできる。もしかしたら、心の病を治せるような能力者がいるかもしれない。お母さんを救う手段はいくらだってある」


 目的に至るための手段は一つではない。

 北海道には飛行機でも、船でも、電車でも、車でも、バイクでも行くことができる。

 どれを取っても結果は一緒だ。

 たしかに結果を出さなければ意味はないかもしれない。けど、結果に至るまでの道は一つじゃない。AがダメならBと切り替えることだって可能だ。


「……いつから間違えていたんでしょうか。最初は母を救うために医者になると考えていました。でも気がつけば、医者にならないと母を救えないという考えになっていたんです。ケータさんが言うように、手段としての『医者になる』がいつの間にか、それ自体が目的になっていました」

「君は間違えてないよ。少しだけ視野が狭まっていただけ。さて、それでどうかな。医者になるということにこだわらなければ、まだまだやりようがあるって思わないか? 自分には何も残されていないだなんて悲しいこと言わないでさ。エルシィが積んできた努力はきっとこれからもエルシィに力をくれる。もっと自分を誇っていいんだよ」

「……ケータさん、……ありがとうございます」


 エルシィの瞳からは涙が溢れでる。しかし、その表情は不思議と暗いものではなかった。もう大丈夫だ。きっとエルシィはまた立ち上がれる。そして、お母さんを救うという目標を成し遂げるはずだ。エルシィにはその素質がある。


「じゃあ、俺はもういくよ。ここを脱出したらデートしよう! 約束だ! それに、エルシィがなんとか学校に通える方法も模索しとくから!」


 俺にも新たな目標ができた。

 ここから出たら、エルシィが大学に通えるように資金を集めよう。

 エルシィに想いは伝えた。だからひとまずはこれで————


「待ってください!」

「どうした? まだ脱出には反対?」

「……脱出の件はどうせ言っても聞かないので諦めました。どうしても一つだけ訂正しておきたいことがあるんです」

「訂正したいことって……」

「ケータさんは『君は俺が好きなわけじゃない。目標を失って空いた隙間を、なにか適当なもので埋めようとしただけだよ』と言いましたが、これは間違ってます! 心が弱っていたことも、ケータさんに縋ろうとしてしまったことは事実ですが、私のケータさんに対する想いだけは否定させません! 私はケータさんが好きです!」

「…………」


 あまりの小っ恥ずかしさに言葉を失う。思わず、甘酸っぱい青春を彷彿させられる。

 大人の恋愛は否応なく損得勘定が見え隠れしてしまうからな。こんな感情を覚えるのはとても久しぶりだった。

 誰かを打算なく好きになる。当たり前のようで当たり前ではないこと。

 あぁ、彼女を抱きしめたい。脱出なんて諦めて彼女とイチャコラしたい。

 そんな気持ちになってしまう。しかし、今は我慢だ。満足な豚より不満足なソクラテスだ。短絡的な快楽に手をするのは簡単だ。だが、人間的な快楽はその向こう側にある。


「ケータさんは私のこと……好きですか?」

「好きだよ」


 それだけははっきりと言える。

 俺は彼女が好きだ。まだ表面的な部分しか見れていない。けど、彼女のことをもっと深く知りたいという気持ちに嘘はない。


「……あ、ありがとうございます」


 エルシィは照れ笑いをしている。うん、可愛い。

 しかし、この可愛いエルシィをじっくり愛でている時間はなかった。


「じゃあ、今度こそ俺は行くよ」

「最後に一つだけお願いがあります!」

「お願い?」

「き、キスしてください……!」

「…………」


 この様子だと、まだキスもしたことがないんだろうな。……ファーストキスか。


「だ、だめですか?」

「いやだめじゃないんだ……ただ」

「ただ?」


 こんな可愛い子とキスできるなんて最高でしかない。

 さっきの一○センチ先にエルシィの美しい顔があった光景。もう一度見て見たい。いや出来ることなら何度だって見ていたい。


「ここでキスしたら最後のお別れみたいじゃないか。俺たちはこれから何度だってキスできる。何ならそれ以上のことだって出来るさ。だから、キスをするのは次に会った時にしよう。そして、次に会うのはここから脱出した後さ」


 せっかくキスをするなら、もっとしかるべき場面があるはずだ。こう見えてもロマンチストなんで。どうせキスをするなら、彼女の思い出の中で忘れられない存在になりたい。


「ちょっと残念ですけど……ケータさんの言う通りですね。約束、絶対に守ってくださいね?」

「あぁ、次に会った時、必ずキスをしよう」


 俺とエルシィは約束をした。だから、今は目の前のことに全力になろう。

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