第21話
9
丘の上の桜花が俺達を見下ろしていた。夜空の下で俺達は話す言葉も見つからず、ただ無言で歩いていた。
ふと、咲夜が空を見上げた。
「やっぱり、今日もあまり星は出てないですね」
そういう咲夜にあわせるように俺も空を見上げた。やはり点々と小さな星が輝いているだけだった。
「そうだな。全然だよな」
ゆっくりと視線を元に戻すと咲夜は優しい微笑を浮かべていた。
「どうしたんだ?」
「学校に残った夜のことを思い出して……楽しかったなって……」
そう言って咲夜はまた小さく微笑んで見せた。
「終わったら、どこか行こうな。一緒に」
そう言うと、咲夜は返事を返す代わりにそっと俺の手を握った。咲夜は頬を赤らめ、うつむいていた。
俺はつないだ手を離すことなく桜花の元へと向かった。桜花のそびえ立つ丘はもう目の前まで近づいていた。
「澤見さん。下がっていてください」
俺は一つ頷くと、つないでいた手を離し、後ろへと下がった。
咲夜は刀を抜き、構えた。広い芝生の上に咲夜だけが立っていて、桜花を囲むように植えられた木々が風に凪いでいた。
「やっと来たんだね。待ちくたびれたよ」
少年が木の影から姿を現した。軽く笑みを浮かべた少年がゆっくりと咲夜に近づいた。
「あんまり遅いから、逃げ出したかと思ったよ」
「それができないことは知っているでしょ」
咲夜も軽い笑みを浮かべていた。まるで友達と話しているような、そんな感じさえ受けた。
「まあね。じゃあ、始めようか。霧島桃花」
咲夜はこちらをちらりと見てから、少年に向かって頷いた。
二人はそれぞれの武器を構えたまま、睨みあった。じりじりと間合いを詰め、互いの出方をうかがっている。
静かだった。ただ、木々の風鳴りだけがあたりに響いていた。咲夜は落ち着いた様子で少年を見つめていた。
「なんだか余裕があるみたいだね。霧島桃花」
少年が咲夜に向かってそう言った。
「ええ、負ける気がしないから」
咲夜は微笑を浮かべた。
「負ける気がしない? 僕は一度、君に勝ってるのに?」
「私は負けていません。――だからこうして今ここにいる。それに……」
そこまで言いかけたところで、激しい金属音がした。気付くと少年の攻撃を咲夜が受け止めていた。
「あれ? 油断してると思ったのに」
少年は一歩前へ踏み出て、槍の柄で咲夜の足元を狙う。これも軽くかわし、咲夜は少年に言った。
「それに私はもう、霧島桃花ではないから」
その言葉を聞き、少年は眉を寄せた。
「確かに何か違うね。昨日とまるで動きが違う」
そう言って、咲夜に向かって突きを放つ。咲夜はそれをいとも簡単に刀で弾き返す。そして距離を置くように離れた。
「それに、さっきからなんで打ち返してこないんだ? 少しくらい反撃してくれないと面白くないんだけど」
俺から見ても咲夜が攻撃を避けるのに精一杯というようには見えなかった。むしろ、反撃することを避けているようにすら見えた。
「私はあなたと戦いに来たわけではありません」
また少年は顔をしかめた。
「じゃあ何しに来たのさ。仲良くお茶でもするのかい?」
少年はくつくつと笑って言った。しかし、その瞳は笑ってはいなかった。
「話しをしにきました」
また金属のぶつかり合う音がした。少年のなぎ払いを咲夜がふさいだ音だった。
「君と話すことなんてない。僕たちはそんなことをするためにここにいるんじゃないだろう?」
「話を聞いて。戦い合えば、きっと……私が勝ってしまうから」
咲夜は断言した。少年は咲夜の言葉に声を荒げた。
「話すことはないと言っただろ! それに僕に勝つだって? ――副産物の分際で!」
少年は流れるような動きで連撃を繰り出した。一撃目を寸前でかわし、二撃目を払い、そして少年の槍の柄を片手で掴んだ。
「やめて。もう戦いたくないの」
どこか悲しげな瞳で咲夜は少年を見つめた。対する少年の瞳は怒りに満ちていた。
「黙れ!」
咲夜を突き飛ばし、また距離を置いた。少年はすでに肩で息をしていた。
「話しをしたければ僕を倒してからにしろ!」
少年は攻撃を止めようとはしなかった。咲夜はただそれを静かに受け流すだけだった。一通りの連撃が続き、それをかわしながら、咲夜は言った。
「もう私はあなたの知っている霧島桃花ではないの」
「だったらなんだって言うんだよ」
「私は咲夜――霧島咲夜」
「――咲夜?」
攻撃の手を止め、少年は咲夜を見つめた。
「もう私は、澤見さんの心の一部を脱したの。私の桃花の部分はもううっすらとしか残っていない。私は咲夜という一個人として今ここにいるの」
それを聞いた少年は顔を伏せた。
「また……」
少年の表情は窺えないがその声は哀しみに満ちていた。
「また君だけに与えられたのか……それは僕の求めていることなのに……」
少年は顔を上げた。頬には涙が伝っていた。
「どうして君なんだよ。僕らはもともと同じところから生まれたのに……出会い方が違うだけでどうしてこうなっちゃうんだよ……どうして――」
少年は槍をその場に捨てた。そして膝を抱えるようにその場にしゃがみこんだ。
「どうして僕らを認めてくれない……僕らだって……僕らだって人に近づきたいだけなのに……どうして僕らは嫌われる? どうして僕らを戦わせる? どうして僕らを……」
少年は肩を震わせていた。シャツで溢れてくる涙を拭い、俺のほうを見て少年は言った。
「―――どうして僕らを生み出したの?」
「……」
咲夜も俺も何もいえなかった。なんと言葉を掛けていいのかわからなかった。
「もう嫌だよ……考えたくない……苦しい、つらい」
その時、少年の足元に広がる影がひろがったように見えた。咲夜もそれに気付き、声をあげた。
「駄目………」
「こんなにつらいなら、始めから心なんていらない。人になんかならなくていい。もういらない。全部いらない。キライだ。全部嫌いだ」
「駄目!」
影が少年を飲み込んだように見えた。咲夜の呼び声が聞こえたのか少年は顔を上げた。そこには何の表情もなかった。
「澤見さん下がって……鬼がきます」
「え……」
少年を包んだ影は次第に大きくなっていった。咲夜は再度刀を構え、それの出現を待った。そして咲夜は囁くように俺に言った。
「彼は……鬼に堕ました」
影の中のそれは雄叫びをあげた。いや、産声だったのかもしれない。そして、俺の頭の中をあの痺れが襲った。その痛みに俺は立っていられなくなり、頭を抱えて蹲った。
(あなたがそうしたんだよ?)
今までに感じてきた痺れとは違う痛みのなかではっきりとその声が聞こえた。今まで頭にときおり流れてきた声とは違う少女の声。
(救いを求めるあの少年をあなたが鬼に堕としたんだよ?)
「澤見さん!」
咲夜の声が聞こえる。前を見ると、すでに少年は鬼に変わっている。しかし、俺の頭には、なおその痛みが走りつづけている。
(あなたが受けとめてあげないから……だから、みんな苦しむ)
――みんな……苦しむ?
(そう、少年も、咲夜も、そして………)
次第に声が小さくなっていく。それに伴い、痛みが和らいでいくのがわかる。目の前もはっきりしてきた。
「澤見さん! 大丈夫ですか?」
「だ……大丈夫」
すでに鬼は咲夜の目前に立ちはだかっていた。漆黒の身体に赤い瞳だけが浮かんでいるように見えた。それは、鬼そのものだった。
「あれが……あの少年なのか?」
「はい……」
鬼は少年の面影を一つも残していなかった。小さかった身体も、ほっそりとした腕も、何もかも変わってしまっていた。
「あの子には……まだ、早すぎたの」
「早すぎた?」
「私と関わるのが早すぎたんです。生まれてくること自体が早すぎたんです。あの子には自分の心を安定させるための力が、まだ弱すぎたの」
「どうするんだ?」
「斬ります。もう、あの子は戻れなくなってしまったから。せめて、私の手で……」
俺は一つだけ頷くと、後ろに下がった。咲夜は刀を構え、鬼が動き出すのを待った。鬼は周りと見回し、ふと咲夜のほうを見た。
「ごめんね。結局、私にはこうすることしか出来ないみたい」
鬼は小さな唸り声を喉の奥で響かせていた。まるで、咲夜の言葉に答えているように思えた。
そして、戦いが始まった。鬼が咲夜に向かって腕を振り下ろす。それを咲夜は刀で防ぎ、斬り返す。鬼もそれをかわし、払うように腕を振る。身体を逸らし、咲夜もその攻撃をかわす。
静かだった。ただ、静かに語り合っているように思えた。どちらも相手が憎くて戦っているのではなかった。
鬼は純粋だった。自分の生まれた意味もわからず、ただ、爪を振るう。それだけだった。
戦いの中で、二人の力の差がはっきりと見えてきていた。鬼はすでに片腕を失い、右目も失っていた。それでも、鬼は戦いを続けた。残った腕を振るい、咲夜に襲い掛かる。咲夜はそれを弾くように斬り返し、胸に刀をつきたてた。
そこで戦いは終わった。咲夜が小さな声でごめんね、というのが聞こえた。鬼の瞳から、小さな涙が零れ落ちた。哀しみに満ちた呻き声が響いた。咲夜は優しい声で鬼に……いや、あの少年に向かって言った。
「私が、あなたに名を与えます」
鬼は赤い目を咲夜に向けていた。そこには怒りも憎しみも感じなかった。
「私が澤見さんの夜に咲く花だというのなら……あなたはそれを照らす……月」
咲夜はよろける鬼を支えるように抱きしめた。
「月の光がなければ花の存在に気付かない、花がなければ、月の存在に気付くこともない」
咲夜の声が震えていた。鬼の身体が少しずつ闇に包まれていくのがわかる。もうすぐ、消えてしまう。
「あなたの名は………華月。月と花は互いを強調し合い、その相手を照らし合う。あなたがいなければ、私は生まれなかった。私がいなければ、あなたはいなかった。私たちはずっと一緒だった。なくてはならない存在だった」
そう言って、咲夜は鬼の頬を撫でた。鬼はその手を握り返し、そのままゆっくりと咲夜から離れ、震える手で咲夜の頬を伝う涙をそっと拭うと、膝をついた。
「私がずっとそばにいるから……もう寂しい思いはさせないから……」
そして、鬼はそのまま闇の中へと消えていった。風の音だけが終始その場に流れていた。
咲夜はしばらくその場を離れなかった。消えてしまった鬼のいた場所を見つめているだけで、俺はなんと声を掛けたらいいのか解らなかった。
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