第3話 気妙な生き物

ドカーン・・・

地鳴りと共に大きな音が鳴る。

その音に床へと倒れ込んだ仁が目を覚ます。

ゆっくりと体を持ち上げながら窓へと視線を向けると、気だるそうな目をしている自分の姿と、激しく打ち付ける雨跡だけが映し出されていた。

——夢か・・・?

先程の獣の姿はなく、倒れる前の景色となんら変わらない景色がある。

仁はゆっくりと立ち上が離、部屋にある姿見の鏡の前へと向かい、髪をかきあげながら、ぶつけた可能性のある頭を確認していた。

そして、ふと自分が見たこともない表情をしている事に気付く。

ほんのり痛みがある程度で、顔を歪めるほどでもないのに、端正な顔立ちのそれは眉尻を下げ、影を落としていた。

——これは・・・そうだ・・・「悲しい」だ・・・。

仁の記憶にこの表情をした人物がいた事を思い出す。


この屋敷に来たのは高校へ進学してすぐだった。

中高一貫の学校に通っていた仁は、ちょっとした有名人だった。

仁の家系は古くから商いの才に秀でており、その才能と財を持って時代の最先端をゆぐ貿易商で、今では精密機器やIT、ホテル業にも手を伸ばし、海外まで名を広めるほど日本企業ではトップの資産家にまで成長した。

金持ちの息子・・・だけではなく、成績は常にトップで運動神経も良い、それだけでも注目を浴びる存在だが、仁の「無」の部分がそれを増長させていた。

周りからは、「尊敬」「嫉妬」「好意」「悪意」全ての感情を向けられていたが、圧倒的に多かったのは「気味が悪い」だった。

そんな感情から遠巻きにされ、仁には友人と呼べる者もいなかったが、その事に対しても寂しいなどの感情が仁に芽生える事はなかった。


初夏が訪れようとした頃、静まり返った図書館で本を読んでいた仁の耳に啜り泣きが聞こえ、その声を辿ると、奥の本棚の片隅で泣いている小柄な男子生徒を見つけた。

「どこか痛いのか?」

仁の唐突な声かけにびっくりしたのか、慌てて顔上げた生徒の顔は涙でぐしょぐしょだった。

「痛いのであれば、医務室へ連れて行くが・・・」

更に問いかけると、口を開けたまま目を瞬かせ生徒は仁を見つめた。

「・・・大丈夫なのかと聞いている」

その言葉に、慌てて生徒は頷く。

「そうか・・・・一つ、尋ねてもいいか?」

「・・うん?」

「それは、涙という物だろう?それは悲しい涙か?嬉しい涙なのか?」

仁の問いに生徒はキョトンとする。

「変な問いだとわかっている。ただ、絵以外で涙を見たのは初めてだから興味が湧いた」

その言葉を黙って聞いていた生徒は、急に吹き出して笑う。

「悲しい涙だったけど、もう悲しくなくなっちゃった」

「・・・どういう意味だ?」

「ううん。なんでもない。君、同じ学年の楠木 仁君だよね?」

「俺を知っているのか?」

「君、有名だもん。僕はミツル、睦月 充。特進科の君とはなかなか接点は無いけど、僕も中学から一緒だよ」

「そうか。すまない、君の事は存じてなかった」

「存じてって・・・ふふっ、君は噂通り変わってるね」

「・・・そうかもな。それで、悲しいとはどんな気持ちなんだ?何がそんなに悲しい?」

仁の問いに、充は笑いを止めて、俯くとぽつりぽつりと話始めた。


「僕、嫌われてるんだ」

「・・・・誰に?」

「ん〜・・・クラスメイトのあるグループ?」

そう言いながら充は悲しそうに笑う。

「今日も呼び出しされて・・・」

「イジメか?」

「・・・・・うん。中学からずっとなんだ」

「それが悲しいのか?」

「うん・・・悲しくて辛い」

「そうか・・・すまない」

「何が?」

「俺には感情と言うものがない。だから、君の気持ちがわからない」

「そっか・・・・でも、僕は君が羨ましい」

「羨ましい?」

「感情がなければ、こんなに悲しくならないでしょ?・・・僕のね、父さんと母さんは僕の事が本当に大好きで、学校の事もいつも応援してくれるけど、僕はこんなんで、本当に情けなくて・・・」

そう言ってまた涙を流す充に、仁はなんと言えばいいのか分からず、ただ黙って泣き止むまでそばに居た。

なんとなく、そうしなければいけない様な気がした。ただ、それだけだった。


それから何度か充とは、図書館で会ってたわいもない話をする程になっていた。

コロコロと表情を変える充を、仁は見ていたかった。

その感情が何なのか分からずにいたが、見ていて飽きなかった。

それから数日経った頃だった。

放課後の静まり返った校舎の渡り廊下で聞き覚えのある声がうめき声を発していた。

その声を辿って校舎裏に行くと、数人に囲まれて踞る充の姿を見つけ、咄嗟に声をかけ駆け寄った。

その後ろでは嘲笑う男達がいて、尚も充を蔑む言葉を投げつけていた。

気が付いた時は、その男達をボコボコに殴りつけた後で、ふと窓ガラスに映る血のついた自分の姿を見た時、仁は気付く。

——あぁ・・・これは「怒り」だ・・・両親が時折り自分に向ける「怒り」・・。

俺は怒っているのか?何故?

ぼんやりとそんな事を考えている間に、周りは騒がしくなった。


充は数日入院した後、転校の手続きを取った。

仁に殴られた男達は被害者でもあったが、元の原因がイジメだった事、他にも虐めていた子がいた上に、学校外でも問題を起こしていた事が発覚して停学処分。

仁もまた停学処分となった。

一度だけ充の見舞いに行ったが、その時の充の悲しそうに笑う笑顔が未だに浮かぶ。

「僕のせいでごめんね。でも、僕、君が助けに来てくれて嬉しかったよ。ありがとう」

そう言葉を残して、充とは会えなくなった。

そして、停学処分になった仁に怒りを向けた両親は、この屋敷へと送った。

ここから出ることは、余程の事がない限り無いだろう・・・。

鏡に映る自分の姿を指で撫でると、また窓へと視線を向けた。

アレは何だったのだろうか・・・・。

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