第2話 暗闇に光る赤い瞳

「仁様、深夜には更に雨足が強くなる様です。念の為、戸締りは厳重にしておきますが、何かありましたらすぐにでも離れへ連絡下さい。」

白髪混じりの男がそう告げると、深々と頭を下げる。

窓辺で本を読んでいた青年はゆっくりと本を閉じ、男へと視線を向ける。

「あぁ、わかった。伊勢崎達も用心はしてくれ。離れも丈夫ではあるが、ここよりは小さい。何かあれば、時間を問わずにこちらへ避難する様に・・・」

そう言葉をかけると、片手をあげて下がる様にと指示をする。

その指示を受けて、男は静かに部屋を出て扉を閉じた。

青年はふと窓の外への景色へと視線を移す。

朝方から降り出した雨は、時間を追うごとに風を伴って強まり、まるで台風でも来たかのような騒がしさだった。

山の天候はコロコロと変わる。

人里離れた山林の中にあるこの別荘では見慣れた光景だった。

ただ、ここ数日は蒸し暑い日が続いたからか、久しぶりに降る雨はバケツをひっくり返したかのような豪雨へと変貌した。

山の近くでもある為、土砂崩れの恐れもある。

その為、先ほどの男は・・・いや、男達は、早い時間から何度も窓やドアの点検をして、厳重に戸締りをしていた。


この別荘を買い取ってから、強化ガラスなどにつけ替えてはいるが、なんせ100年近く経つ洋館だ。

アンティーク好きの母が買い取ってから補強はしたものの、それも数年前の事だ。

心配性は昔から変わらないな・・・。

そう思いながら、窓から見える離れへを目を向ける。


先ほどの伊勢崎という男は、代々ここを管理する家系の人間で、管理人でもあり使用人でもある男だ。

普段は1人で管理しているが、こうして別荘を使う際は信頼できる者を数人雇い、世話をしてくれる。

家族からも、何を考えているのかわからないと距離を置かれていた仁にとって、臆する事なく面倒を見てくれていたその男は、数少ない信頼できる人でもあった。


何を考えているかわからない・・・不気味な子・・・

そう言われながら仁は16年間育ってきた。

この先もきっと変わらずに言われ続けるだろうと、自分でも自覚するくらい「感情」というものがごっそり抜け落ちた人間だった。

言われた事は確実にこなす才も能力もあった。だが、人としての感情がない。

嬉しい、楽しい、腹ただしい、そういった感情を持った事がない。

物心がついた時には、すでに自覚していた。

自分は他の人間と違う。いや、人間ですらないのかもしれない。

そういった考えにさえ、悲しみも不安も、痛みさえもなかった。


ぼんやりと遠くに光る雷を見ながら外を眺めていると、林の中からほんのりと光る赤い物を見つける。

獣か・・・・?

そう思いながら目を凝らすと、その光は徐々に強さを放ち近づいてくる気配すらあった。

そのシルエットから、獣だと思っていたそれは人の形を成していく。

さほど大きくないソレは、急に消えたかと思ったらいつの間にか2階にある仁の部屋のテラスへと登ってきた。

その姿をはっきりと目に捉えた瞬間、仁の鼓動が大きく跳ねる。

ドクン、ドクンッと大きく打ち鳴らす鼓動の合間に、締め付けられるような苦しさが混じる。

その感情が何なのか、仁は知る由もない。

次第に体が揺らぎ、遠のく意識の中で、伊勢崎が昔言っていた言葉が蘇る。


仁様、森へ1人では行ってはいけません。

私の家系に伝わる伝説があるのです。それは、とても・・・とても悲しい伝説で、人であることを忘れた鬼の話なのです。

その鬼が今でも森の奥で生きているのです。

かつては人であった事を忘れた鬼がどんな姿をしているのか、長い間、誰も目にした事はないのですが、時折、森から啜り泣きが聞こえると今も言われています。

私達一族は、哀れな鬼を守る為にも、人間を守る為にも代々ここを守っているのです。

ですから、1人では決して森へ入ってはいけません・・・。


不思議だった。

他の家族には獣がいる・・・とだけ言っていたのに、何故か自分にだけは鬼だと言った。

ただ、当時の仁にとってはソレに心揺るがることもなく、ただ大人の言いつけの一つとして胸に留めいていた。

「イ・・・イイ、ニオイ・・・」

そんな言葉が聞こえたような気がしたが、仁の意識はすでに遠のいていて夢の中へと落ちるような感覚に身を委ね、ゆっくりと目を閉じた。

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