第17話 吸血鬼ブラッド伯爵
少なくとも、ブラッド一号の予想した最悪の事態は避けられた。愛するメグが焼け死に、自分だけが残るという地獄は訪れず、代わりに人類に新たな地獄が到来した。といっても、それ以前の状況とさして変わらなかったが。
彼とメグは、気づけば湖のほとりの古城の前にいた。そこはフランクリ博士のそれでなく、といってどこかへワープしたでもなく、要は振り出しに戻ったのだった。ブラッド一号はしばらくして、自分らがいるのが元いた時代の二十一世紀、場所はルーマニアの山地で、多少ずれた位置だと知った。城の爆発により、またも時空がゆがんでタイムスリップしたのだが、のちに東京で自分が榊たちと共に消えたときから、たった数日しか経っていないことがわかった。トランシルバニアで過ごした、あの狂った何か月もの時間は、ただの夢のように感じられた。
榊たちがどうなったかは分からなかったが、どうでもいいのですぐ忘れた。ブラッド一号は、かつてのように感情がろくになくなっていたが、メグに対する愛情だけは突出して存在し、まるで頭脳がそこに全振りしたかのように、他のことは考えず、感じなくなっていた。以前にもまして、彼にとってメグが全てであった。
城を調べると、中世にドラキュラという名の伯爵が住んでいたとわかった。吸血鬼として恐れられていた魔物で、朽ちたクローゼットから黒い背広の上下とシルクハットを見つけ、拝借した。自分もある意味吸血鬼といっていいから、ドラキュラの衣装はぴったりと思ったのである。
だが、ドラキュラ伯爵は実際には軍人で国民の英雄であり、吸血鬼うんぬんはのちのフィクションにすぎなかった。城に残されていたのは現地のガキが捨てていったハロウィーンの仮装用でしかなく(だから小柄なブラッド一号にぴったりのサイズだった)、完全に勘違いだったのだが、それを知ることはなかった。姿見で自分を見ても、特に何も思わなかったが、メグに拍手で褒められたとたんに、脳が沸騰するほどの喜びと高揚感に襲われ、まるで人間のように自分を抱きしめて、うっとりした。
彼にとり人間は相変わらず二人のための食料でしかなく、和解するという選択肢はなかった。投降したところで、自分はメグと引き離されて処分され、メグもサイボーグとはいえ化け物だから実験材料にされたりと、ろくな結果にならないとわかっていた。
城に通りがかった旅人が餌食にされたが、いちおう英雄だから、町でドラキュラ伯爵の復活がささやかれることはなかった。調査に来た数人の警官を殺したあと、ブラッド一号はメグを抱いて城をあとにした。
きょとんと見る彼女に、彼は優しく微笑み、言った。
「東京に行くよ。ぼくが生まれた場所なんだ」
その東京の陸軍基地では、召集された部隊を前に、隊長の高見千津絵(ちづえ)がげきを飛ばしていた。隣には榊エリ副隊長が半ばうんざり顔で立っている。
二人はブラッド一号たちと同時に現代に戻ったあと、軍に復帰したものの、榊はやる気のなさで格下げになり、高見が師団長になった。今や立場も性格も、榊が機械化する以前の状態と真逆である。
「にっくきブラッド一号が、ここ東京へ向かっている、との情報が入った!」
敷地に集まる二百名の隊員たちに、拡声器なしの地声で怒鳴りまくる高見。その怒りに満ちた顔は、まさに鬼の形相である。
「あの人類の敵を、今度こそ完全に仕留め、消し去ることが我々の任務であーる! 奴は、メグという娘を従えているから、そこを狙え! 女は殺してもかまわん! 許可は出ている!」
榊は、ここへ戻ってから感情が倍増し、たんに機械の体を持つ普通の軍人と化している。メグも犠牲にすることは抵抗しかなかったが、今の高見に何を言っても無駄と分かっていた。
もうかつての彼女ではない。タイムスリップの過程で時空のゆがみの影響を受けたのか、単にそうなったのかはわからないが、確かなのは、高見がブラ公に対して、もはや憎悪と嫌悪の情しか持ち合わせていないことだった。
そして困ったことに、自分はブラッド一号にすら同情の念を抱いている。むろん、言えばブチ切れて殺されかねないので黙っているが。
「榊」
悪魔の笑いで高見が言い、肩に手をやった。
「お前の無敵のパワーが絶対に必要なんだ。やってくれるよな?」
それには答えず、ぽつりと言った。
「……あいつは、なぜメグのことは殺さないんでしょうね?」
「知るかよ」と、地面に唾を吐く高見。「頭脳がそうなったんだろ。あいつは、ただの機械だ。最初から、な」
なにも言わないので、いらいらと怒鳴る。
「あいつは、戦争の親玉だぞ! 人間をただ無駄に殺すだけの生ける冒涜で、人類への災い、そして悪魔だ! 悪しき病原体は絶滅させにゃならん! わかってんのか、おい!」
そして指さす。
「これは昔、おまえが言っていたことだからな! 今さら、いい子ヅラすんじゃねえよ!」
まったくそのとおりなので、反論はなかった。
「あら、かわいいお嬢様ですね」
東京行きの客船の甲板で、車いすを押すブラッド一号に、年配の婦人がにこにこと話しかけた。隣に連れの老紳士がいて、片眼鏡でこちらもにこやかに。
だが娘の様子を見て事情を察し、憐みの顔になる。それを見て、ブラッド一号は無感情に言った。
「お気遣いなく。私たちはしあわせですので」
老夫婦は去ったが、その後ろ姿を一瞥し、目の前の、晴れ渡る空の下に横たわる広大な海を眺めた。どうせ彼らも、着くまでには自分らの燃料になる。そして足元の無数の穴から排出され、無駄に捨てられる。そこに意味はない。戦争のように。
あるとしたら、一人の少女の命が続くため、というちっぽけなものだ。たった一人の化け物の少女が、この世界にしばらく存続するための生贄である。
メグがトビウオを指してはしゃぐ。吸血鬼ブラッド伯爵は、それを見て微笑む。二人の行く手には地獄と破滅しかないが、それでも彼らは幸福だった。
船は進む。恐るべき地獄の時代が、再び幕を開ける。(「戦争の親玉 ブラッド一号の花嫁」終)
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