第12話 ブラッケン団、森へ

 今やブラッド一号の人工知能は、過去の記憶のすべてを取り戻していた。二十一世紀の東京で桜庭凛博士に殺人マシンとして作られ、早朝ラッシュの満員電車の客を大量虐殺したあと、都心に向けて何千単位という数の人間の命を奪って歩いたこと。その後、宿敵になった陸軍師団長の榊エリの仕掛けた罠を、すべて創造者の期待通りに突破したが、結局は首を切断されて終わったこと。だが、その後、どこぞの反社会的思想を持つおせっかいが彼を復活させ、彼を「戦争の親玉」と呼んであがめた。そして、そのおせっかいは彼の血液減量により、あっさり殺された。


「戦争の親玉」は、ボブ・ディランという有名なミュージシャンの曲で、内容は別に化け物のことではなく、若者を戦場に送る政府の上層を批判した反戦歌だったが、いつしかその題名だけが独り歩きし、ただの人殺し以上の意味を持たないブラッド一号を、戦争という究極の不毛行為の象徴として呼ぶべく使われるようになった。

 彼はそのことを当時はなんとも思わなかったが、今は別の意味で完全にどうでもよくなっている。今のブラッド一号は、メグという伴侶のための存在である。彼の存在理由は、二人のための人間の血液を獲得すること、それだけだった。






 榊と高見が城へ行くのにえらく手間がかかり、結局一週間あまりも費やしてしまったのは、近隣全体を巻き込んだとある事情による。ブラショフ村の隣町であるダルムシュに、あのブラッケン伯爵の邸宅があるのだが、彼は娘が誘拐されたというのに、くだらない迷信で動かない警察に激怒し、魔女狩りの一団を独自に募集した。


 しかし彼の熱心な支持者たちも魔女の噂におののき、なかなか思うように集まらない。それでも一週間後には町の十数名のつわものたちが集結し、そこにブラショフ村のブライトン教会から来たエリ・サカキとチヅエ・タカミの二名が加わった。二人は、自分たちを異国からの旅行者だと言った。その女性でありながらグリーンの軍服に身を包む異様な風貌は、ともすると魔のモノではないかとの誤解を招きかけたが、伯爵が信用するブライトン牧師の関係者とあって、いちおう波風は立たずに済んだ。


 榊の懸念は、この騒動の終わりまでバイクの燃料が持つかどうか、ということぐらいだった。ブラッド一号を倒すことになった場合、バイクに搭載してあるレーザー砲で焼き切るしか手がない。バイクが動かなくなったら、もうアウトである。

 だが彼女は、もっと重大なことはまるで気にしていなかった。自分の燃料が切れる可能性である。しかし、彼女にとり、それは重大事でもなんでもなかった。自分が停止したら、あとは部下の高見が任務を続行すればいいだけだからだ。

 榊には相変わらず感情がなかった。一時は自分でも、昔あった怒りや悲しみのようなものが、ここでわずかでも発動したのでは、と疑う瞬間が何度かあったが、結局それは勘違いということで決着した。ここへ来て、もうひと月あまりになるが、榊エリは変らず、ただ任務遂行のためだけに存在していた。


 ホリスがどうしても一緒に行くと聞かないので、仕方なく夫も同伴で許可された。団長のブラッケン伯爵としては、足手まといはできるだけ避けたかったのだが、神父の口添えが効いたのである(これは高見の入れ知恵)。

「確かにわしらは、今回の狩りにたいして貢献はできませぬが、」

 いぶかる伯爵に、ブライトン牧師はそう言って、声をひそめた。

「実は、お嬢様のみならず、うちにおる外国の者たちの連れも捕まっておりまして。それも味方にすれば、かなりのつわもの、ええ、わしがこの目ではっきりと見たので、間違いはない。そのブラッドなる者は、化け物並みの怪力の持ち主でありながら、ホリスをことのほか慕っておりましてな。あれの言葉になら、必ずや忠実に従うはず。でありますから、どうか、わしら二人を、どうかこの一団に加えてはいただけませぬか?」



 かくして、ブラッケン伯爵を首領とした二十名たらずの山狩り隊が、その初秋の晴れわたる早朝、二台の馬車で出発した。後続の一台には二つの「隠し玉」である爺さん婆さんと、未来から来た鉄の馬――バイク(触れ込みは「外国からの秘密兵器」)が乗せられていた。カタツムリの殻のごとく背負うでかいレーザー砲については、強力な大砲ということで団員たちの士気をあげた。

 猟銃と剣や刃物で武装した団員たちは、ダルムシュ・タウンの平民ばかりだったが、警官も数人混じっていた。日ごろから魔女の呪いに怖気づいている同僚たちに嫌気がさしていたり、あるいは伯爵に個人的に恩義のある者たちだった。だが逮捕のプロであっても、森に入って不吉なカラスの声が響くや、向かい合って座るその顔に、さっと緊張が走った。


 もうこれ以上進めないところまで来ると、馬車を停めた。全員が降り、立ち込める朝もやのなか、草木をかきわけて歩く。バイクは高見が前、榊が後ろに乗り、立ち並ぶ大木の隙間を探してスローで進んだが、すぐにふさがるので、けっこう苦労した。徒歩も同じことで、休み休みの末、森の奥まで入るのに正午近くまでかかった。ちなみにブライトン夫婦は、後ろから二番目という安全を期した場所にいたが、もし出番になれば、最前まで移動することになっている。


 だが、真昼も暗いうっそうとした森林の向こう、生い茂る葉と木々の隙間に、ひときわどす黒いなにかが、点々と汚水がにじむように見えてくると、部隊はバイクも含め、ぎょっとして立ち止まった。前方に問題の城壁があることを、榊と高見のみならず、その場の全員が一様に察したが、彼らを戸惑わせたのは、それだけではなかった。

 そこから、ある奇妙な音が、木の葉はおろか巨木の幹すら震わせて響いてくるのだ。それは以前、山狩りに来た警察を恐怖におののかせた、あの野獣の咆哮のごとき音だった。地を這うように低いと同時に、天を刺し貫くほどに甲高く小刻みという、まるでこの世のものではない何ものかの、悪意に満ちた笑いのようであった。


 バイクのハンドルを握る高見は、(これは中世でなくてもビビるわ!)と、背筋が凍りついた。むろん、後ろの相方は、冷めきった真顔で城のほうを見つめている。

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