第34話


音楽室の扉の前で東堂は足を止めた。

その後ろを歩いていた雪乃たちの足も自然に止まる。


東堂が振り返り、視線を優香へ。そして雪乃へと向ける。


「悪いが俺たちはここまでだ。この先は二人だけで進んでほしい」


東堂の言葉に優花も雪乃も同じような反応を見せる。

口には出さないものの「えっ?」という疑問符を頭に浮かべて、目を丸くする。

それからお互いに顔を見合わせて、最後に東堂に視線を戻した。


「俺や七海、蓮が感じていたあの強い圧迫感。アレの正体がわかった」


東堂が言っているのは雪乃たちにピアノの音が聞こえている間、絶えず感じていた緊迫感のことだ。


東堂は、最初それを「コンクール故の緊張感」だと考えていた。


誰も声を発さず、音を出すことも許されない。そんな雰囲気なのだと。


だが、違った。

香織の話を元に推測できるのは木村惠美子はコンクールを再現したいのではなく、優花と共にピアノを弾きたがっているということだ。


それではあの緊迫感に説明がつかない。


「俺たちは元々木村恵美子に『招かれていない』んだ。ピアノの音を聴くこともできない俺たちは親友の妹と二重奏をする場に相応しくないってことなんだろう」


「俺たちはここまでだ」の「俺たち」には七海と南野も含む。


裏生徒会の中で唯一の例外となったのはピアノの音を聴くことができる雪乃だけだった。


「五年前、音無という生徒は二重奏を聴いている。恐らくその生徒にも『聴く力』があったんだろう」


そう言って東堂は雪乃を見た。


「高松。入ったばかりのお前にこんな大役を任せるのはどうかと思う。だが、お前にしかやれないことだ」


「やってくれるな」という東堂の言葉に雪乃は頷くしかなかった。


正直にいえば不安しかない。

ピアノの音に対する恐怖心はもうほとんどなくなっているが、だからと言って頼り甲斐のありそうな裏生徒会のメンバーなしで、自分に何ができるのかわからない。


「心配しないで、雪乃ちゃん。扉の前には私たちがいるから。何かあったらすぐに飛び込むよ」


と七海。


南野は自分のスマホを取り出して雪乃に近づく。


「連絡先……教えてほしい。電話を繋げておけば中の状況がわかりやすいから」


先ほど優花が倒れた時、香織からの着信音が木村惠美子の「コンサート」の邪魔をしてしまい怒りを買ったのだと誰もが思った。


しかし、話を聞いた今は違う。

あの演奏がコンサートではないのなら、木村惠美子は電話に対しては何の関心も持っていないはず。


優花が倒れたのはたまたま木村惠美子の我慢の限界と電話の着信のタイミングが重なっただけだ。


南野はそう説明し、雪乃と連絡先を交換した。

すぐに雪乃のスマホに通知音が鳴る。


確認すると南野によってグループチャットに招待されていた。


「これ、裏生徒会のグループ。ここでテレビ電話を繋いでおけば中に入らなくても惠美子さんの表情がわかるかもしれない」


南野の言葉に雪乃は頷き、スマホを通話状態にしたまま胸ポケットにしまった。


「俺はここで木村惠美子の気配を察知しておく。何か異変があったらすぐに飛び込むから心配するな」


東堂はそう言って雪乃を安心させようとした。

そのセリフが直前の七海の言葉と微妙に被っていることに気づいていない。


雪乃と優花を二人で音楽室に入らせるのは東堂の本意ではなかった。


ただ、そうしないとこの怪異を解決できないから仕方なくそうするだけだ。


雪乃は深く深呼吸をした。

その隣で優花も同じように真似をする。


「あ、開けるよ」


少し震えた声だけ優花が確認する。

雪乃が頷く。


優花の手が音楽室のドアノブにかかった。


僅かに軋む音を立てながら、分厚い金属製の防音扉が開いていく。


空気が違う。


雪乃はそう感じた。

張り詰めたような圧迫感はない。


ひんやりと冷たい空気が肌に触れる。

嫌な感じもしない。


周囲が静まり返っているせいか、優花が後ろ手に閉めた音楽室の扉の音がやけに大きく部屋中に響く。


その後はまた静寂。


防音室とはいえ、完全に音を遮断するわけではない。


校舎の外では活気のある運動部の生徒たちが今も部活中のはずだ。


それなのに、何の音もしない。


雪乃は視線をピアノに向けたまま、目を離せなかった。


彼女にわかるのは幽霊の「声」だけ。

そのはずなのに、今は不思議と確信を持ってわかる。


「いる」と。


ピアノの前に、木村惠美子がいる。姿は見えない。だが、確かにいる。


耳が旋律を捉える。

軽やかに流れるようなメロディー。

「エリーゼのために」の弾き始めだ。


思わず唾を飲み込む。その音もやけに大きく聞こえた。


優花の顔を見る。

彼女もまた、雪乃を見ていた。


緊張しているのか、顔が僅かに青白い。唇も震えている。


聞いているだけじゃダメだ……。弾かなきゃ。


雪乃は心の中でそう唱えたが、優花は固まってしまっていた。


そっと近づく。

これがコンサートではないのだとしても、やはりピアノを邪魔するような音を立ててはいけない気がした。


そんな音を立てたら、きっと木村惠美子は満足しない。


雪乃の手がそっと優花の手に触れる。


ビクッと身体を跳ねさせて、優花は我に返ったように雪乃を見た。


雪乃の手の熱が、そのまま優花に伝わっていく。


静かに頷く雪乃。それに返すように握られた優花の手に力が籠った。

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裏生徒会怪異調査碌 六山葵 @SML_SeiginoMikataLove

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