第30話


「裏生徒会の方ですか?」


意外にもそう切り出したのは香織の方からだった。

テーブルの上に置かれたスマホはスピーカーの設定になっていて、声は全員に聞こえている。


「えっ」


と思わず声を漏らしたのは七海。口には出さないが南野も目を丸くする。

東堂でさえ眉をピクリと動かして多少の動揺を示した。


全員思ったことは同じだろう。


「葉山香織は裏生徒会の存在を知っている」


裏生徒会は桐生東高校の影の伝統だ。

その活動はもう何年も密かに続いている。


卒業生の香織が在学当時にもあっただろう。


しかし、その存在を知っているということは在学時に香織は裏生徒会に接触していた可能性がある。


「……木村惠美子さんの霊と会うのは初めてではないですね?」


少しの間を置いて東堂が訪ねた。

口調は丁寧だ。ただ、表の生徒会長モードになったわけではなく年上である香織に対する配慮らしい。


声色は元の彼のままで、丁寧な口調の中にぶっきらぼうな声質がミスマッチしている。


「葉山香織は在学中に一度木村惠美子の霊と出会っているのではないか」と直感が囁いていた。


「優花一年生。聞いていなかったことがある。事故の後、お姉さんは塞ぎ込んでいたと言っていたがいつ頃立ち直っていた?」


電話を通して香織からの返答が来る前に東堂は優花にも訪ねた。


優花が口籠る。

チラリとスマホに目をやるところを見るとその話題を姉の前でしてもいいのかと悩んでいる様子だ。


やがて、状況が状況だけに腹を括ったのかポツリと言葉を紡ぐ。


「卒業式の前には元気を取り戻していたように見えました」


その言葉に東堂は頷く。

それから、再度スマホに向けて


「その時期ですね? 貴方が木村惠美子さんに再び会ったのは……」


と語りかけた。


スマホの向こうで香織が息を呑む僅かな気配を雪乃は感じ取った。


息遣いや僅かに漏れる声。会話の途中に挟む間の取り方。


声だけしか聞こえない電話でのやり取りでも、彼女が何か覚悟を決めるような心持ちなのを感じ取れる。


「その通りです。……本当は優花にもっと早く話さなければいけない内容でした。でも……私自身あれが本当にあったことなのかどうかわからなくなっていて……。それに、優花が信じてくれるかどうか……。信じてくれたとして惠美子のことを『怖い』と思ってしまうのではないかと考えたら不安で、中々話す決心がつかずにいました」


香織の声は僅かに震えていた。

泣いているせいなのか、それとも勇気を振り絞っているのかは流石に雪乃にも判断できない。


ただ、その声の真剣さのようなものだけは聞く人にしっかりと届くような気がした。


誰が質問するでもなく、香織は静かに話し出した。五年前の出来事を。


親友を亡くし、絶望の淵に立っていた時の自分自身の話だ。


そう、それは卒業を一月後に控える二月の冬空の頃の話だった。



桐生東高校の冬は中々に厳しいものがある。


土地柄雪が頻繁に降るわけではないが、周囲の小高い山を縫って乾いた冷たい風が吹き付けるからだ。


鉄筋コンクリート製の校舎は嫌というほどに空気が冷たくなるし、何故かいつもどこかしらの窓が空いていて廊下でも風を感じてしまう。


下に何枚か肌着を重ねているであろうやや着膨れした学生服を着る男子学生が増える。

女子生徒もスカートの下にジャージを履いたり、見えないところにホッカイロを大量に貼ったりして防寒する。


そんな季節の頃合いだった。


その日、香織は三階の自分の教室で楽譜を眺めていた。


ここ最近はずっとそうしている。

家に帰るのも億劫で、放課後は教室に残って楽譜を眺める。


最初の頃は溢れるように流れていた涙も最近ではすっかりと枯れてしまった。

まるで、もう一生分を泣き尽くしてしまったのではないかと疑いたくなるほど乾いている。


残ったのは悲しみと寂しさだけ。

楽譜を見る度にその感情が込み上げてくるとわかっているのに、それでもどうしても楽譜を手放す気にはならなかった。


二人にとって大事な楽譜だったからだ。


「エリーゼのために……ですか」


不意に声がした。

振り向くと男子学生が一人立っている。

小柄で、おかっぱ頭のような髪型をしている。

黒髪は毎日櫛で梳かしているかのように綺麗で、耳にかけた丸メガネがよく似合っている。


気配もなく後ろに立たれていたことに多少驚きつつも、香織は少しホッとした。


それが見知った生徒だったからだ。

といっても仲がいいというほどではない。


こんな場面を見られるなら知らない生徒でも仲のいい友達でも気まずい。


知らない生徒に事情を説明する気にはならないし、友達はあの事故の後自分に随分と気を遣ってくれている。


腫れ物に触るかのような態度にうんざりする気持ちもあったが、そうさせているのが自分だという自覚もあった。だから、これ以上気を遣わせたくはなかった。


ホッとしたのは声をかけてきた男子生徒がそのどちらでもない、「事情は知っているが気を使うほどでもない」距離感の関係性だったからだろう。


「音無くん……」


香織が男子生徒の名前を呼ぶ。

彼のことを知っているのは、三年間同じ高校に通っていたから。

加えて、彼が「音無」という珍しい苗字を持っているから。さらに、期末試験の後に張り出される学年順位の掲示板で常に上位にいるからだった。

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