第29話
優花は枕の横に自分のスマホが置かれていることに気付いた。
脳裏に、あの瞬間着信音が鳴っていたことが思い出される。
優花はスマホの着信音を人によって分けている。
親しい友人や家族。それぞれ、その人にあった曲を割り当てる。
あの着信音は……。
耳に残るメロディから電話の相手を連想する。
「お姉さんからでした」
と同時に聞こえた声は雪乃のものだった。
その声に反応し、優花が首を傾けると雪乃は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。葉山さんが倒れた時、スマートフォンが手から転げ落ちて……。その表紙に画面を見てしまったんです」
ほとんど偶然だった。
意識は倒れた優花の方に向いていたのに、反射的にスマホを目で追った。
点灯するスマホの画面に表示されていたのは「お姉ちゃん」という文字。
それを見ながら雪乃は耳に聞こえるピアノの音が揺らぐのを感じ取った。
初めは「ああ、演奏の邪魔をされて怒っているのか」と思った。
しかし、すぐに違うと気付く。
「香織……」
漏れ出るように呟かれたその名前は雪乃の耳にしか届いていない。
木村惠美子の声だったからだ。
「スマホを見ていたのは私だけじゃなかったみたいです」
優花に説明するように雪乃は言った。
それから七海に目配せする。
「蓮くんに確認を取ったの。優花ちゃんが倒れた時、惠美子さんの視線は確かにスマホに向いていたんだって」
雪乃の説明を補足してくれる。
優花は少し呆然としているように雪乃には見えた。
「私の勘ですが、木村惠美子さんの抱える無念はコンクールに出場できなかったことではないと思います。もっと違う理由。多分……葉山さんとお姉さんに関係している何かがあるんじゃないかと」
雪乃は自分が感じ取った異変を正直に口にする。
その話は既に東堂にもしてあった。
「自分にできることがあるのに、それをしなかったせいで誰かが傷つくのはもっと嫌なの」
七海の言葉が頭に浮かぶ。
それから、「異変を感じたらすぐに言え」という東堂のあの表情も。
ここで何もせず、黙っておく選択肢もあったのかもしれない。
自分には関係ないとやり過ごし、何もなかったかのように普段の生活に戻っていく選択肢だ。
今までの雪乃だったらそうしていたかもしれない。
しかし、もう逃げるのは終わりにしたかった。
「私も……?」
ベッドの上で優花が呟く。
木村惠美子の未練に自分も関係しているというのがまだ信じられていないようだった。
しかし雪乃には確信がある。
木村惠美子のあの声。
真剣で、真っ直ぐな声色。僅かな怒りと強い悲しみを含んだあの声は間違いなく葉山優花に向けられたものだった。
葉山香織の名前を呼んで狼狽えている様子はあった。
でも、思いは香織に向けられたものじゃない。優花に向けられたものだ。
その思いの正体がなんなのか、雪乃にはわからなかった。
でも、きっとそれを知っている人物がいる。
「お姉さんに……折り返した方がいいと思います。そして、今起こっていることをすべて話してみませんか?」
何かの主体となって動くのは得意じゃない。
自分の発言が余計なお世話で、相手を不快にさせるんじゃないかという不安もある。
それでも雪乃は言い切った。
それが自分にしかできないことだと思ったからだ。
雪乃の真剣な表情のおかげだろうか。
優花はまだ戸惑った様子を見せつつも、やがて微かに頷くのだった。
♢
「もしもし……お姉ちゃん?」
ところ変わって、一行は旧校舎の生徒自治会室にいる。
東堂たちはそれぞれ自分の固定の席に座り、雪乃も前回座ったのと同じ七海の隣に腰を下ろした。
扉から一番近いパイプ椅子に座っているのが優花だ。
緊張した面持ちでぎこちなく腰掛けている。
耳に当てられたスマホの返答に耳を傾けながら雪乃はカップのココアに口をつけた。
甘い。
少しだけ落ち着く感じがする。
飲めないコーヒーのワンクッションを挟まず、今日はいきなりココアが差し出された。
淹れたのは南野だ。
「牛乳を入れた方が美味しい」
という先日の発言を証明するべく、今日は投稿途中にコンビニでパックの牛乳を買ってきたらしい。
確かに、昨日飲んだココアよりもまろやかな感じがする。
雪乃の隣では七海がコーヒーを楽しんでいた。
いつものコーヒーフレッシュではなく、余った牛乳を入れたカフェオレだ。
一味違うティータイムを楽しみながらも視線はやはり優花に向いている。
正確には優花と、電話の先にいる相手の会話の動向を見守っている。
電話の相手は無論優花の姉、香織だった。
優花は時々「それで……」とか「実は……」など言葉に詰まりながら、最近起きた一連の出来事を説明しているようだ。
香織の声は聞こえない。
電話だから、というわけではなく何も喋っていないようだ。
ジッと黙って優花の話を聞いている。
「……これが今起こってることなの。お姉ちゃん、お願い。信じて」
優花の声が切迫する。
仲のいい妹の言葉でも信じるのは難しい内容だろう。
「悪趣味なイタズラはやめて」と怒られるかもしれない。
東堂は身振りで優花に合図をした。
初めから優花がある程度の説明を終えたら東堂が代わる手筈になっている。
優花は頷き、スピーカーマークを押した状態のスマホをそっと机の上に置いた。
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