第25話

「え、西垣先輩は見えるだけじゃなくて触れることができるんですか?」


雪乃が素っ頓狂な声を上げたのは昨日の帰り道に交通事故に遭いそうになったばかりの例の交差点だった。


昨日は色々とあり過ぎて、自分が何度も聞いていたあの声のことは頭の片隅に追いやられていた。


しかし、ここを通れば嫌でも思い出してしまう。


もしも一人だったならば、あの時の背中が冷たくなるような恐怖感や嫌な気持ちを追体験していただろう。


自宅まで迎えに来てくれた七海には感謝しかない。


集合時間にはまだ早かったこともあり、二人は歩いて学校に向かうことにした。


せっかくなら色々と話してお互いを知って行こうよ、という七海の提案だ。


自転車を押す雪乃の隣で七海は会話がと途切れないように上手い具合に話題を提供してくれる。


最初はその勢いに飲まれがちだった雪乃だが、次第に慣れていった。


ただ、受動的に答えるだけじゃなく七海に問いかけることもある。


楽しい。


そう感じられるようになった。


そのおかげで、交差点を通った時もそれほど怖いとは思わなかった。


何度かの他愛無い話題を経て二人の会話は「お互いの能力について」に切り替わる。


そこで飛び出た七海の「私実は幽霊を捕まえる担当なんだよね」


という一言から雪乃の反応に繋がる。


「あはは、七海でいいよ。名前で呼ばれる方が好きなの」


七海が軽く笑う。

同級生ですら名前で呼び合ったことのない雪乃にとって、先輩を名前呼びするのはさらにハードルが高い。


だが、密かに憧れていたシチュエーションの一つでもある。


練習するかのように口の中で「七海先輩」と呟くが、どうにもまだぎごちない。

なんだか気恥ずかしい。


「私、見えるって言っても本当にちょっとなんだよね。そこにいるなーってわかるくらい。その幽霊が男の人なのか、女の人なのかもわからないの。でも、その代わりに触れることもできる。そんな感じかな」


七海は淡々と説明した。

雪乃にはすごいことのように思えるが、その口ぶりには誇らしさ、とか自慢気、なんてものは微塵も感じられない。


雪乃だって誰かに自分の力を話すとなれば、同じように淡々と話すだろう。


その能力は自分にとってはただの感覚の一つだからだ。


能力に苦しめられることも多い。

この能力を誇らしく思ったことは一度もない。


「捕まえる……というのはどういう?」


雪乃が問いかけると七海はニコッと笑い右の拳を思いっきり前に突き出した。


空手の正拳突きのようなポーズを取る。


「武力行使、ってやつですよ」


少しおどけた様子で七海は言った。


幽霊の全てが何か強い思いを抱えていて、未練や後悔に苦しんでいるわけではない。


中には自分が死んだことに気づいてもいない幽霊もいれば、気付いた上で人に悪さをすることに楽しみを見出すタチの悪い幽霊もいる。


「人間と同じだよね。話が通じる人もいれば、何を言ってもダメな人もいる。人間同士なら他の誰かの介入でなんとかなることもあるんだろうけど、幽霊が相手じゃそうもいかないことの方が多い。だから……」


そう言って七海は再び握り拳を作る。

身体の前で何度か拳を突き出す。


シャドーボクシングというやつだろうか。

七海の拳が空を切るスピードは早く、雪乃の目が完全に捉えるのは難しい。


カッコいい。


そう思うのと同時に、少しだけ心配になった。


「怖く……ないんですか?」


思わずそう聞いてしまったのは七海の表情にどこか影があるように感じたからだ。


おどけた様子の口調とは裏腹に、本心ではそれをやりたくないと思っているかのような歪さが見える。


雪乃の問いに七海は一瞬ハッとした。

そんなことを聞かれるとは思っていなかったのだ。


予想していた反応は「すごいですね」とか「カッコいいです」など。


怖くないか……。その質問を投げかけて来たのは二人目だ。


七海は思い出したようにクスッと笑う。


「要先輩と同じこと聞くんだね」


入学してすぐ。幽霊を見ることができ、触れることもできると知られた七海は東堂に裏生徒会へ勧誘された。


裏生徒会としての初めての活動。

遭遇した怪異はほとんど通り魔のような奴だった。


好き勝手にそこら中を漂い、気の向くままに人間を驚かす。

それだけならばまだ良いが、イタズラに人を襲って怪我をさせる。


死人が出る前に食い止めなければいけないというのが裏生徒会の仕事だった。


話の通じるような相手ではなかった。そこで白羽の矢が立ったのが七海だ。


「幽霊だって自分に害を為すことができる人間がいると分かればその場所を避けるようになる。根本の解決にはならないが、学生である私たちにできるのはそれが限度だ」


そう説明したのは当時の裏生徒会の会長だった。

まだ代替わりする前の会長に七海は助けを求められたのだ。


七海は戸惑った。人生で人を殴ったことなんてない。

相手が幽霊だからと言って暴力に対する嫌悪感が消えるわけではない。


裏生徒会長の提案を受けるかどうか迷っていた時、東堂が七海に尋ねたのだ。「怖くないか?」と。


あの時、自分はなんと答えたんだっけ。


七海は少し考える。それから、雪乃の目をまっすぐに見た。


「怖いよ。でも……自分にできることがあるのにそれをしなかったせいで誰かが傷つくのはもっと嫌なの」


そう答えた。

あの日と同じ気持ちが再び湧き上がってくるようだった。

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