第24話

次の日。

天候はくもりだった。


今にも降り出しそうなほどどんよりとした雲が厚く太陽にかかり、日の光をほとんど遮ってしまう。


いつもよりも薄暗い朝。しかしいつもと同じ時間に雪乃は目を覚ました。


今日は土曜日だ。

いつもならばお昼少し前くらいまではこのままベッドの上でぬくぬくと過ごす。


気の抜けるくらい温厚な春江の優しさに甘え、「雪ちゃん、ごはんよ」の声がかかるまで部屋からは出ない。


だが今日ばかりはそういうわけにはいかないだろう。


「この件にケリをつける」


昨日の東堂の言葉を雪乃は頭の中で反芻した。


憂鬱……とは少し違う。

学校に行きたくないわけではない。


昨日返事をした時の、あの自分でも何かの役に立てるんじゃないかという感覚はまだ残っている。


木村惠美子を不憫に思う気持ちも。

彼女のために何かしてあげたいという思いも消えていない。


それでも、どうにも動き出したくないような曖昧な感情を抱えていた。


あえて言葉に表すとするなら「不安」だろうか。


うん、それが一番しっくりくる。


雪乃は自分の気持ちに踏ん切りをつけるように、勢いよく毛布を蹴飛ばした。


不安だからやっぱりやめます、なんて言えるわけがない。


短く、不器用な言葉だったが東堂は真摯に自分に助けを求めてくれた。

それは雪乃にとって初めての経験だ。


今まで、自分の力を良いと思ったことなんてなかった。


他の誰にも聞こえない声が聞こえてしまう。

だからって何かができるわけでもない。

幽霊には纏わりつかれ生身の人間には避けられる。

自分を孤独にさせる原因の一端でしかなかった。


しかし、昨日はその孤独感をそもそも感じなかった。

自分を頼ってくれた東堂と、優しく接してくれた七海、南野。彼らといる間だけは能力に負の感情を抱かなくて済む。


そんな人達を裏切れない。裏切りたくない。


手早く制服に着替えて部屋を出る。

階段を降りると台所から春江が顔を覗かせた。


「あら」


と少し驚いた顔をする。

恐らくその後に続くはずの「どうしたのこんなに早く」という言葉が聞こえる前に雪乃は先に口を開いた。


「今日用事があるから学校に行ってくるね。お昼までには帰ってくると思う」


雪乃がそう伝えると春江は特に気にした様子もなく「わかったわー」と呑気に返事をした。


東堂が指定した時間は午前中だ。

本来ならば土曜日も運動部、文化部問わずに部活動で登校する生徒が一定数いる。


だが本日の午前中に関してはその限りではないらしい。


「報知器の点検業者が入るそうだ。その関係で午前中は部活動禁止の連絡が各部に行っている。こんなにちょうど良いタイミングはないだろ」


東堂は昨日そう説明した。


手早く支度を済ませ、朝ごはんがわりに牛乳をコップ一杯一息で飲み干した雪乃はそのままの流れで玄関の扉を開けた。


指定された時間はいつもの投稿時間よりも遅い。

もっと余裕を持って家を出ても十分間に合うだろう。


でも、雪乃はいつも通りの時間に家を出た。


厚みのある黒い雲がやけに近い。

今にも降り出しそうだ。どうにか雨が降る前には学校についていたかった。


それに、いつまでも家でグズグズとしていると「行きたくない」という自分の不安からくる感情に負けてしまうような気がしたのだ。


「おはよー雪乃ちゃん。やっぱり早いね!」


玄関を出て後ろでに扉を閉めたところで声がかかる。

すっかり癖づいてしまった下に向けられる視線を意識的にあげて雪乃は少し声を漏らす。


家の前に七海が立っていた。

手には学生鞄。学校は雪乃と同じ制服だ。

リボンの色だけが違く、彼女が上級生であることを示している。


「えっと……なんで」


突然の訪問者に雪乃の言葉が詰まる。

引っ越してくる前の家も含めて、未だかつて自分の家に学校の知り合いがやってきたことなど一度もない。


そもそも、私家の場所教えたっけ。


戸惑いながらも頭の中で問う。

なぜ知っているんだろうと。


それに対して別に嫌悪感があるわけでもなく、知られていて怖いなんて感情は微塵も湧かない。


恐らく、七海の人柄の良さと裏生徒会という特異な組織に属しているという先入観のせいだろう。


ただ、純粋な疑問だけが残っている。

何故ここにいるのか、だ。


「いやー、おせっかいかなって思ったんだけど……。私が初めて裏生徒会に入った時のこと思い出しちゃって。学校に行くの不安かなって思ったから思わずきちゃったんだよね」


七海はそう言って軽く頭をかく。

そこそこの長身ですらっとした彼女が背を丸めて首を傾げるその仕草はなんだかアンバランスな印象を与える。


でも、その中にも確かに可愛らしさが残っている。

この姿を見たのが高一男子だったなら一目で恋に落ちるほどの破壊力があった。


詰まるところ、七海は雪乃を心配してやって来たのだ。


去年、東堂と初めて会った時の彼女がそうだった。

東堂に頼られ、ほとんど二つ返事で裏生徒会に参加した。


それでも初めての事件に遭遇した時は緊張と不安感で胸がいっぱいだった。

その気持ちを七海はよく覚えていたのだ。


「蓮くんも誘ったんだけど、『きっと異性の僕がいると余計に緊張させちゃうから』って断られちゃった。要先輩は『行っても良いが……』ってなんか渋ってた。もしかして、強引だったかな……」


と七海が伝える。

後半は、雪乃の様子を伺うような仕草を見せた。


雪乃は慌てて首を振る。焦りすぎて、両手があわあわと宙を掴む。


来てもらって迷惑だ、なんて気持ちは全くない。

わざわざここまで来てもらったことを申し訳なくは思うが、心配して来てくれたというその気持ちは素直に嬉しかった。

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