第23話
「観客……ですか」
東堂のさらなる詳しい説明を聞いた後、雪乃は話に出てきた南野の言葉をそのままなぞるように呟いた。
なるほど、確かに。
南野の言葉にはしっくりくるものがある。
木村恵美子は幽霊となった今もコンクールに向けて練習しているのではない。
コンクールそのものに出場しているつもりなのだ。
しかし、コンクールとは奏者一人でできるものではない。
それを聞く観客。評価する審査員がいて初めてコンクールとして成立する。
だから、何度ピアノを弾いても思いは成就せず成仏することもできない。
筋は通っている気がした。
「俺たちはどうすればいいかを思案した。木村惠美子を満足させるべき、観客となり得る人物を探したんだ」
と東堂。
七海と南野の視線が雪乃に向く。
東堂にも、他の二人にも木村惠美子の演奏は聞こえなかった。
彼女がいる気配を察知できても、弾く姿を見ることができても音が聞こえなければ観客にはなり得ない。
そんな状況の中で、入学生の中に裏生徒会に入り得る能力を持った生徒がいると東堂が気づいたのはほとんど偶然だった。
いや、何か数奇な巡り合わせすら感じる運命的なものだったと東堂は思っている。
雪乃の存在を知った時、彼女ならば今回の件を解決できるかもしれないと東堂は思った。
そして、雪乃に接触し裏生徒会に勧誘するところまで漕ぎ着けた。
今日音楽室に連れて行ったのは雪乃の「聞く力」が本当に使えるのかどうか確かめるためだ。
その結果は雪乃がいち早くピアノの音に気づいたことで証明されている。
「高松雪乃。お前は裏生徒会に入り、今回の木村惠美子の件に参加してほしい。彼女を満足させる最後のピース。観客の一人として」
東堂の目が雪乃を見据える。
真摯な瞳だった。
雪乃は口の中で言葉を噛み殺した。
「私にはできません」
つい先ほどまでの自分なら思わずそう即答していただろう。
本当にできるかどうかではない。やりたいかやりたくないかでもない。
自分に自信が持てないからこそ「無理だ」と自分で決めつけてしまう。
でも、私はそんな自分が嫌いだったんじゃないの?
雪乃は心の中で自分に問う。
それを変えるためにわざわざ引っ越して来たのではなかったか。
引っ越して来て、何か自分から変えようと努力しただろうか。
聞こえるはずがないと避けて来た声を再び聞いて「やはりここでもダメだった」と早々に諦めかけただけではないのか。
気付けば雪乃は東堂の目をまっすぐに見つめ返していた。
こんなにしっかりと人の顔を見たのは久しぶりだ。
避けられるよりも先に避けるようになった結果、いつの間にか人の目をしっかりと見れなくなっていた。
この人はこんな顔をしていたのか。
東堂の声はとてもぶっきらぼうに聞こえる。
本校舎の生徒会室で会った時はもう少し優しげのある声だった。
ただ、その代わりにどこか演技じみた、嘘くさいとも感じる声。
今の彼に嘘くささは感じない。
優しさもなくなってしまったが、真実のこもった声色をしている。
その声の持ち主が冷静な瞳で雪乃を見ていた。
思っていたよりもまつ毛が長い。
目の奥に燃える光のようなものが雪乃を捉えて離さない。
ここで私が断れば、惠美子さんはどうなるんだろう。
脳裏にその言葉がよぎる。
生憎、雪乃には命を落とした後も未練が残るほど熱意を注いできたものはない。
しかし、彼女がピアノのコンクールにどれほどの気持ちで臨んでいたのかを想像することはできる。
高校生活の全てを曝け出す最後のコンクール。
そこに注ぐ思いは一際大きいだろう。
それが、不慮の事故で無に帰してしまう。
木村惠美子は自分が死んでしまったことを理解しているのだろうか。理解していて尚、コンクールのために弾き続けているのか。
それとも、死んだことにも気づかないほどピアノに情熱を注いでいるのか。
どちらにしてもとても悲しいことのような気がした。
音楽のことは雪乃にはよくわからない。
でも、誰にも聞かれることのない演奏をずっと続けるなんて悲しすぎる。
そう思えた。
彼女を救うにはその演奏をしっかりと聴き、耳に焼き付けてあげなければならない。
彼女の魂の籠った演奏を最後まで見届けてあげなければいけない。
それができるのは……私だけ。
「やります。やらせてください」
雪乃は自分の意思でそう言い切った。
七海がホッと息を吐く。
その隣で南野も僅かに胸を撫で下ろした様子だ。
東堂だけは表情を崩さず、雪乃に問いかけた瞬間から信じ切った目をしていた。
「裏生徒会の活動で大事なのは咄嗟の判断力と状況に応じた行動力。それから機を逃さない決断力だ」
東堂が言う。
その言葉がこの場ですぐに返事をした雪乃に向けた褒め言葉だというのは七海がこっそりと耳打ちで教えてくれる。
「私の時もそう言ってたの。回りくどい褒め方だよね」
七海は嬉しそうに雪乃の肩を抱きながらそう告げた。
微かに笑った南野が「僕の時もそうでしたよ」と頷く。
「ようし、これで雪乃ちゃんも正式にうちのメンバーだ! 今度絶対歓迎会やろうね。蓮くんの分も一緒に!」
七海が拳を上げる。
自分のことで他人がここまで喜んでくれるのが雪乃には新鮮だった。それから少し気恥ずかしい。
一気に歓迎ムードになる裏生徒会のメンバーに東堂が釘を刺す。
「まずはやることをやってからだ」
と。
「明日、この件にケリをつける。放課後、全員で音楽室に行くぞ」
続くその言葉に三人はほとんど同時に頷いた。
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