第17話

旧校舎の一階。生徒自治会室に戻ると雪乃はホッと胸を撫で下ろした。

古びた空気が酷く落ち着く。実家である春江の家に似ているからだろうか。


少なくともあの音楽室の前にずっといるよりは心が休まる気がした。


東堂は一番奥の誕生日席に座り、七海は右側に二つ並んだ椅子の奥に。南野は左に二つ並んだ椅子の手前に座る。


どうやらそこが定位置らしい。


「雪乃ちゃん、雪乃ちゃん」


七海が名前を呼んで手招く。

横に座れという意味らしい。


促されるままに着席すると向かいの南野と一瞬目があった。


しかし、何か声をかける間もなく視線はパッと逸らされる。


き、嫌われてる?


彼に何かをした覚えはない。

出会ったのは今日が初めてのはず。


いや、昼休みに会った時転んだのが良くなかったのか。


鈍臭いやつだと思われたのかな。

そんな奴が入って来て鬱陶しいと思ってる?


何も言われていないのに雪乃の中では被害妄想が膨らんでいく。


南野がゆっくり席を立つ。

雪乃はビクッと身体を震わせた。


南野が向かったのは部屋の片隅。机と扉の中間くらいの壁に接着するように置かれた棚である。


そこで何やら手を動かす南野を、雪乃は背中越しにおっかなびっくりと見ていた。


部屋の中にほろ苦いコーヒーの香りが漂い始める。

芳醇な良い香りが立ち込めて、鼻口をくすぐる。

雪乃はコーヒーが苦手だ。

好んであんな苦いものを飲める人を尊敬している。しかしこの匂いは好きだった。


「どうぞ」


匂いに呆けているといつの間にか南野が目の前に立っていた。

手には紙コップを人数分乗せたお盆を持っている。


南野はまず東堂に、次に七海。そして雪乃の順でカップを配った。


「ありがと、蓮くん」


七海が礼を言い、それから机の引き出しから可愛らしい花柄のポーチを取り出した。


ボタンを開け、その中から出て来たのはそれぞれ包装されたガムシロップとコーヒーフレッシュである。


「雪乃ちゃん、お砂糖は何個?」


七海に聞かれてドギマギする。

まさか飲めないとは言いづらい。


「もっと早く言えよ」と思われるかもしれない。せっかく淹れてくれた南野にも悪い。


砂糖を多めにしてコーヒーフレッシュで苦味を抑えれば流し込めるだろうか。


でも、あんまり多くの砂糖を要求するのも不自然だろうか。


戸惑ったことで不自然な間ができてしまった。

七海はその間のせいで勘違いをしたようだ。


「大丈夫だよ。建物は古いけどポットは買ったばかりのやつだから! お水もミネラルウォーターだから清潔だよ」


と見当違いのフォローを入れ始める。

そのフォローが雪乃を余計に焦らせる。


違うんです。別に古い建物で出された飲み物だから汚いなんて思ってません! ただ、コーヒーが苦手なだけなんです。


そう言えたならどんなにいいか。

しかし、現実は非情である。

雪乃の心の中での言い訳は七海に伝わることはない。


焦れば焦るほど思ってる言葉上手く出てこず、「ああ」とか「うう」とか会話にならない声が漏れるだけだ。


これも友達がおらず、人とまともに話してこなかった弊害なのかもしれない。


「もしかして……コーヒー苦手だった?」


もう我慢してブラックのままのコーヒーを一息に飲み干すか、と雪乃が覚悟を決めかけた時だった。


助け舟を出すかのように南野が言った。


雪乃はまたしてもそれに上手く返事をできなかったが、南野はその沈黙を「是」として捉えたようだ。


「ごめん。淹れる前に聞けばよかった。ちょっと待ってて」


そう言って再び棚の方に戻る。

新しい紙コップを取り出して、そこに何かの粉を淹れる。

ポットからお湯を流し込む。


再び持って来たのはココアだった。

コーヒーとはまた違う、甘い匂いが雪乃の鼻をくすぐる。


「本当は牛乳があった方がいいんだけど。ここには冷蔵庫がないから」


ごめん、と付け加えつつ南野はココアの紙コップを雪乃の前に置いた。

それからコーヒーの紙コップを回収する。


一つ余ったそれをどうするのか、と雪乃が見ていると彼はそれをさりげなく自分の机の上に置いた。

二つとも自分で飲むつもりらしい。


「あ……ありがとう」


辛うじて雪乃から出たのはそんな言葉だった。

か細く、南野に聞こえたのかはわからない。


「お前ら、コントはその辺にしておけ」


若干の気まずい沈黙の後、東堂が言った。

不機嫌そうな声色に聞こえるが、怒っているというよりは少し呆れているといった感じだ。


雪乃は背筋を伸ばす。


東堂は南野の淹れたコーヒーをブラックのまま啜ると話し始めた。


「高松の『聞こえる』っていう能力は役立つことがわかった。今回の件は一先ず高松を仮入部の枠として扱い、一緒に動くぞ」


彼の言葉に七海と南野が「はい」と返事をし、やや遅れて雪乃も小さく返事をした。


「依頼者の話では件の生徒が在学していたのは五年前だ。図書室で学校史を探せばまだあるだろう。明日、一日かけて情報を集めるぞ」


「依頼者」という言葉に雪乃は疑問を持った。

あの音楽室に行ったのは誰かから何かを頼まれたからなのだろうか。


そこに七海の補足が入る。


「あのね、今の裏生徒会の活動方法って大きく分けて二つあるの。一つは会長が霊の存在を感知して動き出すパターン。雪乃ちゃん見つけた時みたいにね。もう一つが、困っている生徒から相談があってそれを調べて解決するってパターンなの」


裏生徒会は表向きには「部活動」として認識されている。

狭い社会の学校内で存在を完全に秘匿にするのは難しい。


そこで、「オカルト研究会」という程で活動することでカモフラージュしているのだった。


音楽室のピアノの音はその「オカルト研究会」という表の顔に対して相談して来た生徒の依頼だと七海は説明した。

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