第12話

数十分後、雪乃は再び校門の前にいた。

朝の投稿時に一回。放課後は数回通り抜けた校門である。


部活の活動時間が終わる頃、という雪乃の推測は正しかったらしくグラウンドでは運動着に着替えた生徒たちが道具の後片付けをしているところだった。


ちらほらといくつかのグループに分かれ、校門に向かってくる制服姿の生徒達もいる。

文化部だろうか。


雪乃の横では七海が肩を僅かに上下させ、僅かに息を乱している。


「うーん。結構頑張ってるつもりだったんだけど。まだまだだなぁ」


彼女はそう呟いた。

雪乃は心の中で「十分でしょ」とツッコミを入れる。


七海は雪乃が事故に遭いそうになったあの場所から走って学校まで戻ってきたのである。


それも、雪乃の漕ぐ自転車と並走して。


自転車というのは普通はどれくらいの速度で走るものなのだろうか。


雪乃にはわからない。体力もなく運動神経の鈍い自分はもしかすると他の人よりも遅いのかもしれない。


それでも、自転車と並走して何キロも走り続けたのにほんの少し息が乱れるだけなんて凄すぎる。


雪乃は自分だったらこんな程度では済まないなと密かに思った。


苦しそうに息を吐き、肺の痛みに苦しみながら顔を歪ませる自分の姿を容易に想像できる。


その日はもう動けないだろう。もしかすると次の日は筋肉痛になっているかもしれない。


そんな風に思っているうちに七海はもう既に息を整え終わっていた。


「さぁ、行こ。あの人待たされると不機嫌になるの。遅く帰った時のお母さんくらい怖いんだから」


七海がそう言って雪乃の背中を押す。

あの人とは先ほどの電話の相手だろうか。


すれ違う帰宅途中の女子生徒たちが七海に向かって手を振る。


「先輩、お疲れ様です」


「また明日も応援に行きます!」


口ぶりからするに表グラで七海を応援していた生徒たちのようである。


「ありがとね。でも無理しないでよ?」


七海は慣れた様子で返答し、手を振りかえす。

それだけで女子生徒集団から軽く黄色い悲鳴が上がった。


他にも不特定多数の生徒たちが男女問わずに七海に挨拶をして帰っていく様子を見て雪乃は七海の人気の高さを実感した。


私も、友達がいたらこんな感じだったのかな。


ふと思う。


すれ違う生徒の中には何人かクラスメイトもいたようだ。


その中の誰も雪乃に手を振ることはない。

「じゃあね」も「バイバイ」も「また明日」も存在しない。


雪乃からも声をかけることはなかった。


もしもこれが友達だったのなら、何度も学校に戻ってくる雪乃を見つけて


「どうしたの? 忘れ物でもした?」


と声をかけてくれただろうか。


七海は校舎をぐるりと周り裏グラのある方に進んでいく。


雪乃はそれについていくだけだ。


時折り、七海から「学校はどう?」とか「あの先生面白いよね」とか話題が振られるが「はい」とか「まぁ」と相槌を打つのがやっとである。


本当はもう家に帰って眠りたかった。

温かい風呂に入って、春江の作る美味しい料理を食べて、柔らかい布団の中でぐっすりと眠りたかった。


春江の作るほうれん草の胡麻和えが雪乃は好きだ。

その好物を食べれば今日あった嫌なことも全部忘れられる。


それでも、雪乃は学校に戻ってきた。


突然現れた七海の存在と彼女が電話で話していた相手のことが気になったからだ。


この人たちは他の人たちと何か違う。

そんな根拠のない確信があった。


七海は裏グラを抜けてずんずんと奥に進んでいく。

雪乃は少し不安になる。


この先に何かあったっけ?


入学式の後の説明でも裏グラまでしか案内されていない。


鬱蒼と茂る雑草が伸びている。

木が多い。ろくに手入れがされていないのか裏グラの奥は最早学校とは思えない有様だった。


森だ。


雪乃は思った。

事実として高校の敷地内に森があるはずがない。ただ、少なくとも雪乃はそう思った。


生い茂る自然はそこだけ別世界なのではないかと思える。

木の種類まではわからない。しかし、夏にはカブトムシでも取れそうな大きな木ばかりである。


「驚くよね。私も去年おんなじ顔したの 夏に涼しいのはいいんだけど……虫がでるの……」


七海が肩を落とす仕草をしてみせた。

しかしその割にはさほど気にした様子もなく茂みの中に入っていく。


雪乃は少し躊躇した。


虫は苦手だ。

しかし、ここまで来て虫が嫌いだからと引き返せる空気ではない。


仕方なく諦める。

なるべく七海が通った跡を辿り、制服が草木に触れないように気をつけながら進んだ。


驚きはまだ残っていた。

草木を抜けた先に建物があったのだ。

それもそれなりに大きい。


「ジャーン。桐生東のびっくりポイント二つ目!」


七海が大袈裟に両手を広げて強調する。

その手の間から建物を見ながら雪乃は前に似たような物を見た気がしていた。


あれはどこだったか。

少し考えて思い出す。子供の頃に見た教育番組の中の記憶だ。


それは昔の子供たちがどのような学校生活を送っていたのかをまとめた特集番組だった。


目の前にある建物はそのテレビに出てきた学校の校舎によく似ていた。


全く同じではない。記憶は少し曖昧なところもあるが、それはハッキリとわかる。


ただ、古びた木造造りが醸し出す独特の雰囲気がそっくりである。


学校の校舎にそっくりな建物が高校の裏のグラウンドの隅っこに。


「……旧校舎」


ピンと来た雪乃は静かにそう呟いた。

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