第11話
車から降りてきたのは若い青年だった。
二十歳そこそこか、金髪にピアス。
少し焼けた色黒の肌。
軽トラックが似合うといえば似合うが、どちらかといえばもっとチャラい車の方が似合いそうな雰囲気もある。
青年は仕事の帰りなのか、少し汚れた作業着を着ていた。
彼を見て雪乃は言葉を飲み込む。
少し。いや、かなり怯えたのだ。
幽霊的な恐怖ではなく、人間的な恐怖だ。
青年の見た目は雪乃の憶測と偏見で言えばヤンキーと呼ぶ存在に該当する。
これまでの十数年、決して近寄らまいとしていたタイプだ。
その男性が、たった今。
すぐそこで自分を轢いてしまいそうになったのだ。
脳裏には事故のことで恫喝される未来が予測されてい。
「ごめんな、姉ちゃん。怖かったろ。でも飛び出すのは危ないぜ。学生の頃は俺も早く家に帰りたかったけど、急ぐにしても気をつけろよ」
雪乃の予想を裏切り、青年の声は優しかった。
怒っている様子はなく、笑顔で手を上げている。
思っていた反応と違い、雪乃は「あれ?」と思った。
そして、青年の視線が微妙に自分には向いていないことに気づく。
ああ、そうか。なるほど。
雪乃は心の中で呟く。青年の目が明らかに七海の方へ向いていたからだ。
心なしか体の向きまでやや七海よりな気がする。
西垣七海という上級生は雪乃の目から見ても超がつくほどの美人だった。
瞳はぱっちりと二重で大きいし、腰のあたりまでありそうな髪を後ろで結い、ポニテールにしているのもよく似合っている。
学校での人気ぶりもうなづける。
雪乃でさえ見惚れてしまいそうなのだから、それが異性、加えるならやや女慣れしてそうな目の前の青年には目の毒だろう。
怒る気も湧かないくらい七海に夢中なのか、それとも「俺、こんなことじゃ怒らないくらい器が広いんだぜ」と主張しているのか、
青年はもう事故を起こす寸前にだったことなど忘れてしまったかのように七海を口説き始めていた。
一方で、七海もそういった対応に慣れているのか青年の言葉をあの手この手で見事に躱している。
「連絡先? ああ、ダメなんですよー。部活の方針で……」
困った様子も見せず、七海が作り笑いを浮かべているのを雪乃はただ黙って見ていた。
事故について咎められなくてよかった、というホッとする思いと当事者であるはずなのに蚊帳の外にされているこの状況にやや不服な気持ちが混ざり合う。
ただ、その他にも気になることがあった。
先ほど青年は「飛び出すのは危ないぜ」と言った。
この言葉に関しては間違いなく雪乃に向けられたものだ。
しかし、雪乃には飛び出したという自覚はほとんどなかった。
ただ夢中にあの声から逃げていただけだ。
流行る気持ちから確かに左右の確認を怠ったかもしれないが、車が迫る直前までその存在に気づかなかった。
車体が揺れる音も、エンジンの音も聞こえなかった。
だって……。何故って……。
「高松さん」
名前を呼ばれて雪乃はドキッとした。
ハッと顔をあげて自分のきた道を確認する。
そこには何もいない。
不思議そうに七海がこちらを見ている。
今の声は彼女のものだったようだ。
青年のナンパは不発に終わったらしく、少し肩を落として車に乗り込むところだった。
「よかった。あんまりしつこくなくて。今は忙しいもんね」
車が走り去るのを見送りながら七海が言った。
「あの……さっき、『捕まえる』って言いました?」
雪乃が尋ねる。
それも気になっていたことだ。「残念、逃げちゃったね。もう少しで捕まえられそうだったのに」
雪乃を助けた時、七海は確かにそう言っていた。
逃げちゃった、とは状況からしてあの声の正体のこととしか思えない。
それはつまり、七海もあいつの存在を知っていたということになる。
いったいどういうことか。
なぜ、自分を助けてくれたのか。
雪乃がさらに追求しようとした時だった。
携帯の着信音が鳴る。
少し古いバンドの人気曲だ。雪乃のものではない。
「あ、ごめんちょっと待ってね。出なきゃ」
そう言って七海が制服のポケットからスマートフォンを取り出す。
シンプルなケースに入った白いスマホだ。
「もしもし」
スマホを耳に当て七海が応答する。
電話口の相手の声が微かに雪乃にも聞こえた。
「……だ。……から……こい」
声は男性のもののようだった。
ハッキリと聞こえはしないが、少し不機嫌そうに感じる。
先ほどの青年のナンパを受け流した時とは打って変わって七海は少し困り顔だった。
「うん、大丈夫。無事です。……えっ? でもそれは……はい……はい」
話しながらチラチラと雪乃の方を見る。
まさか私の話をしている?
雪乃は困惑する。
電話の相手も自分のことを知っているのか?
知り合いだろうか。それならいったい誰だろう。
どんな内容なんだろう。
なんとなく耳を澄まして見てもやはり会話の内容までは聞き取れない。
人より多少耳が良い自覚はあるが、どんな小さな音でも拾えるほど万能ではない。
わかったのは「なんとなく、どこかで聞いてことあるような声かも」ということくらいだった。
程なくして電話が終わる。
終始困り顔だった七海が雪乃に向き直る。
そして、両手を顔の前で合わせそれなりの勢いをつけて頭を下げる。
「お願い。今から一緒に学校に戻ってくれないかな?」
学校? 何故?
時刻はもう既に夕暮れ時だ。日は少しずつ高くなっているが、時期に暗くなる。部活のある生徒だってそろそろ帰宅する時間に差し掛かっていた。
七海の言葉に雪乃は少し戸惑った。
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