第7話

放課後に予定があったと思い出すのは思いの丈を散々発散した後だった。


その頃には多少冷静な状態に戻っており、河原で一人叫ぶ女子高生という自分の異常な行動に羞恥心が湧いてくる。


そのまま帰ってしまいたい気持ちになったが、「受け取りに行く」と電話口で伝えたのは自分である。


その約束を反故にして知らん顔できる性格ではなかった。


自転車に乗り、来た道を戻る。

部活に入っていない帰宅目的の生徒たちとすれ違い、その中には何名かのクラスメイト達もいた。


突然教室から走り去る姿を目撃されていたのだろう。

クラスメイト達は少しばかり不可解な視線を雪乃に送ったが、彼女はそれを気にしないように努めた。


よくない負の連鎖に陥り始めていると気づいたからだ。

幽霊、あるいはそれに類似する存在しない声に振り回されて元々苦手な人間関係の構築がさらに難解になっている。


発端は奴らが声を聞かせて来たことにあるのだが、状況を悪くしているのは自分だった。


幼い頃からのトラウマに縛られて、考え過ぎてしまっている。

もっと動じない心が欲しい。


奴らを無視できるくらい強くあらねば。


河原で叫ぶというストレス発散は思いの外雪乃に余裕を生ませたのである。


部活に勤しむ学生達の活動はすでに始まっており、「今年は県大会優勝を」と意気込むソフトボール部の練習にはことさら熱が入っている。


その練習を横目に見ながら雪乃は昇降口へ向かった。


朝と似たような光景だが、違う点がある。

ネットの前に応援の女子生徒達がいないのだ。


それを認識しながらも特に疑問に思うこともなく通り過ぎる。

彼女達だった四六時中ソフトボール部に黄色い声を上げているわけではないのだろう。


それよりも今はいち早く特別室棟に向かわなければならない。


東堂は「放課後」と指定した。

理屈的には授業を終え、帰宅可能となった後ならばいつでも「放課後」に該当する。


しかし、落とし物を拾ってもらいそれを受け取りに行くという建前ならば早い方がいい。


一度自転車で外に飛び出したせいで既に相手を待たせているかもしれない。

これ以上待たせるわけにはいかない。


上履きを履いて雪乃は走った。

途中で生活指導担当で厳しいと噂の男性教師を発見し、彼を通り越すまでの間だけ早歩きになる。


一階の廊下をまっすぐ進み、職員室の前を通り過ぎて角を曲がる。

階段を上り、二階の連絡通路を抜けた先が特別室棟である。


雪乃は連絡通路で特別室棟に入り、そこから階段を上って三階へ上がった。


本校舎の三階からも連絡通路は伸びているが、本校舎三階には三年生の教室がある区画になっている。


新入生の雪乃にとって三年生の多い本校舎の三階から向かうのは荷が重かった。


特別室棟にはその名の通り、基本五教科以外の科目で使う特別教室がある。


一階には図書室と図書準備室。中庭を挟んで向かいに家庭科室。

二階にはコンピューター室と理科室。

三階には特別科目担当の教師達と教務室があるはずだが、まだ一年生で移動教室の少ない雪乃は来たことが数回程度しかない。


その他の空き教室は文化部の部室や生徒会室になっていると入学式の後に説明されたのを思い出しながら雪乃は特別室棟の三階階を見て回った。


「放課後なら生徒のいる教室は一つだけ」という電話口での東堂の言葉を思い出しながら該当する教室を探す。


文化部が部室にしているという話だったのに、他の生徒はいないのだろうか。

それとも東堂何某先輩が文化部の生徒なのか。


そんなことを考えながら廊下を進むが、確かに三階には生徒の気配がなかった。

その代わり下の階からは窓を通して女子生徒高い笑い声が聞こえてくる。


文化部部室として扱われる教室が多いのは一階と二階のようだ。


中庭を囲むようにぐるりと建つ特別室の廊下を奥の方まで進み、人のいる気配がある教室を見つけた。


窓付きの扉が見えている。

スライド式ではなく、開き戸である。


雪乃の中で開き戸は生徒が使う教室というよりも教員が使う部屋というイメージがあった。


ノックするのすら躊躇してしまう。

窓から中を覗こうにも扉の窓には黒い垂れ幕がかかっていた。


その隙間から光が漏れているので中が明るくなっているとわかる程度だった。


中から話し声がするので人はいるのだろう。

ぐるっと見て回った様子だと人がいるのはこの部屋だけだ。


東堂何某先輩の言葉を信じるのならここに彼はいるはずである。


意を決して扉をノックしようとして、その隣にある壁掛けの箱に目が向いた。


木製の箱が不躾に壁に打ち込まれた釘に紐でかかっている。

箱には横長の名が空いていて、見た目はポストのようになっている。


その箱の正面に「目安箱」と達筆な文字で書かれていた。


「目安箱?」と雪乃の頭に疑問符が浮かぶ。

それがどういうものかは知っている。


起源云々とか、本来はどういう意図で使われていたのかとか歴史的なことを聞かれても答えに困るが、校内において置かれている目安箱ならば生徒からの不平不満を解決するために設置された投書箱のことだとイメージできる。


大抵は生徒会が設けている物という認識である。


雪乃の中で何かのピースがかちりとハマる。


東堂何某の言う「生徒のいる教室」とは、つまり生徒会室のことだったのではないだろうか。


普段ならば生徒会室の扉を叩くことなど絶対にないが、今回に限っては落とし物の回収のため。

事前に約束も取り付けてある。


臆することなく、雪乃は扉をノックした。

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