第4話

結論から言えば全ては雪乃の杞憂だったのかも知れない。


家でじっとしていられなくて早めに出たのも良かったのだろう。


雪乃が扉を開いた時、教室の中にはまだ誰も居らず自然と彼女は一人でクラスメイトが来るのを待つ形となった。


まばらにやってくる級友たちは扉を開けて自然と全体を見渡し、何事もなかったかのように入って来て自分の席に着く。


その動作が「友達を探しているのだ」と気づいたのは教室内に人が増え始めてからだった。


新しく入って来た生徒が全体を見渡し、特定の人物を見つけて表情を緩める。


それまで一人でつまらなそうにスマホを見ていた相手側の生徒も人が変わったように表情が明るくなる。


「おはようー。今日寒いね」


「ねー、花粉もすごいし嫌になっちゃうよ」


示し合わせたかのように話し始める両者が雪乃にとっては不思議だった。


しかし、それは誰か個人に限った話ではない。

教室にやって来た生徒の多くが自分が席を置くコミュニティの誰かが来た途端にコミュニティケーションを開始する。


なるほど、私にはきっとこの能力がかけているんだ。


もう何回か読み返している文庫版の小説を流し読みしつつ、雪乃はそう思った。


コミュニケーション能力が欠落していると自負する雪乃にとってクラスメイト達の行動は酷く歪に見える。


本来の自分を隠し、繕った自分で無理して会話をしているように見えるのだ。


そう言った捻くれた見方しかできないから今だに自分には友人ができないのだろうと自覚する。


同時にある意味努力とも言えるクラスメイト達のコミュニケーション能力に驚いてもいる。


唯一の救いは男子生徒、女子生徒を問わず。クラスメイト達全員がいつも通り自分に無関心なことだった。


昨日の一件などまるで何でもなかったかのように話題にも上がらない。


時折り視線は感じるが、人より多少よく機能する雪乃の耳は陰口を拾っていない。


視線もすぐに感じなくなり、自分は話題の外だとホッとする。


考えすぎだったな。

そもそもあれだけで能力に気付かれるわけもなかった。


杞憂とわかってホッとすると同時に自意識過剰だったかもしれないと恥ずかしさが込み上げる。


誰にも白い目で見られないのはありがたいが、話題にすらならないのは情けないような気もした。


時間はいつも通りに過ぎていく。

ホームルームが終われば授業が始まる。

一限、二限と退屈な時間が続いていき、程なくして昼休みになった。


昼食はなるべく目立たない場所で手早く。

というのが雪乃のスタイルである。


入学後の二週間ひたすらに自分の好みに合う場所を探した結果、体育館への連絡通路裏という完璧な場所を発見した。


桐生東の体育館は不思議な作りをしている。

入り口は連絡通路と呼ばれる広い廊下のような建物で校舎と繋がっているのだが、高さは二階の高さになっている。


当然体育館も二階の位置にあり、一階は体育教師の教務室と柔道場がある。


その不思議な作りのせいで体育館の前方と後方の左右にある扉の外はベランダのようになっており、そこから連絡通路の外側へ回ることができるのだ。


ベランダには階下に通じる階段もあったが、そこは滅多に使われることがない。


連絡通路の窓の下に膝をつけば外からも中からも死角になるちょうどいい場所だ。


いつものようにその場所に向かった雪乃だが、今日はたどり着く前に動きを止めた。


ここ数日自分しか使っていなかったはずの憩いの場に今日は先客がいたのだ。


黒い学生服。男子生徒だ。

それだけで雪乃の身体は強張ってしまう。


特段男嫌いというわけではないが、同性の友達すら作れないのに異性はハードルが高い。


窓際に体育座りをする男子生徒の耳には赤いイヤホンが刺さっていた。

膝上に抱えるような形で持っているのは携帯型のゲーム機。

確か年内に発売されたばかりの最新型のやつだ。


ゲームに熱中しているのか男子生徒は雪乃に気付く様子はなかった。


雪乃としてもそれ以上近づくつもりはない。


新幹線の指定席を知らない人に座られていたのならともかく、そこは学校の敷地内。

たまたま数日使用していたからといって雪乃に所有権が生まれたわけではない。


もしかするとここ数日は雪乃が陣取っていたせいで彼が歯痒い思いをしていたかもしれない。


そうだとしたら申し訳ないな。

そう思いつつ、来た道を引き返そうとした。


雪乃は忘れていたのだ。

自分の運動神経の悪さを。自転車で通うと親に話したら「あなたは絶対事故にあるからやめなさい」と頑なに反対されたほどの鈍臭さを。


その結果、振り向くと同時に出した右足は自身の左足につまづく形になった。


我ながらなんとも情けない。

そうだ、私はこういうやつだった。


後悔してももう遅い。むしろ寸前で両腕を前に出せるだけの反射神経が残っていたことをほめるべきだよう。


両方の手のひらに鈍痛が走る。

体育館横のベランダはコンクリート造りだった。冷たく固い人工の感触が直に伝わってくる。


涙目になりつつも顔を上げる。

腰を下ろし、打ちつけた手のひらを軽く叩く。

わずかに付着した砂を払い落とし、ハッとする。


「あっ……」


振り向くと、冷ややかな視線を送る男子生徒と目が合った。

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