第2話

帰宅してまず自転車をしまう。

雪乃が引っ越してきてからは裏庭に通じる塀と外壁に挟まれた通路が自転車置き場になった。


祖母の春江が趣味で育てている植木鉢にぶつからないように自転車を止める。「一目ぼれしたのよ」と言って植えられたネモフィラの花が青く色づいていた。


玄関に戻り、引き戸を引くとガラガラと音を立てる。

自宅は趣のある戸建てだった。


築年数はかなり立っていて、見た目にも古さが十分に分かる。それでも小洒落た古民家でも開けそうな雰囲気が雪乃のお気に入りだった。


春江がいるのはいつもの居間はずだ。


「おばあちゃんただいまー」


声をかけてから返事を待つ。いつもは温かく出迎えてくれる声が今日は聞こえない。

代わりに廊下の奥から春江の話す声が聞こえた。


「あ、ちょっと待ってね。今ちょうど帰ってきたみたい」


誰かと話しているようだ。

相手の声は聞こえない。廊下の奥には固定電話が置かれているため話し相手は電話の向こうだろう。


内容から察するに電話の相手は雪乃を待っているらしい。


靴を脱ぎ、廊下に上がる。

L字に曲がった廊下を進むと曲がり角でちょうど春江が顔を出した。


「雪ちゃん、お電話よ」


やはり電話は雪乃にかかってきたらしい。

春江から受話器を預かる前に雪乃は嫌な予感を感じとった。


このご時世、大抵はスマートフォンへの直接の電話が普通のはずだ。

あいにく雪乃には携帯電話に連絡をくれるような友達はいないのだが、家の電話に連絡してくる相手にも心当たりはない。


父や母ならスマホにかけてくるだろう。姉の場合も同じ。

他の親戚にはスマホの連絡先は教えていないが、わざわざ自分に用があるとは思えない。


そもそも、親戚連中ならば受話器を渡す時点で春江が「〇〇よ」と教えてくれるはずだ。


雪乃は受け取った受話器の話口を手で覆い、小声で尋ねる。


「誰?」


春江は首を傾げた。肩をすくめ、口元が「さぁ」と動く。


得体の知れない相手からの電話を受けないでほしい。

ましてや、それを孫に取り継ぐとはどういうことだ。


雪乃は不信感を募らせたが、春江に文句を言うことはなかった。

この祖母はどこか抜けている。

前々からそう思っていたが、高校入学前に引っ越してきたこの数週間でそれは確信に変わりつつあった。


といってもそれを疎ましく思ったことはない。

危なっかしいと思うことはあるが、彼女はそのおっとりとした見た目とは反対に器用なタイプだ。


雪乃では揉め事に発展しそうなことを何事もなかったかのように終息させるのを何度も目にしている。


そのおおらかさこそ彼女の取り柄であり、可愛らしさの源なのだ。


諦めたように受話器を耳に当てる。

オレオレ詐欺とかそういうのだったらどうしようと思いながら、「だったら私に変わってくれとはいわないか」と自問自答し、応答した。


「もしもし」


警戒しているためやや声が低くなる。

無意識のうちに得体の知れない相手に威圧感を与えようとしていた。


そんな雪乃とは対照的に電話口の相手は快活である。


「あ、もしもし。高松雪乃さん? 繋がってよかった。いなかったらどうしようかと思ったよ」


電話口の相手は男だった。

実際に声を聞いてみても思い当たる人物は浮かばない。


「どちら様ですか?」


自然と声がもう一段低くなる。

今度は無意識ではなく、意識的に警戒した声だった。


「桐生東高校、三年の東堂って者です」


電話口の相手が名乗る。

警戒した雪乃よりもさらにやや低い声だ。男子高校生にしたら平均的だろうか。声色だけは優しく繕っているのか、言葉尻には丁寧さが目立つ。しかし、どことなく嘘くささも感じるような、そんな声だった。


名前を聞いてもやはり心当たりはなかった。

入学してまだ二週間だ。

クラスメイトの顔と名前を一致させるだけでも大変で、学年全体となればほとんど他人である。

ましてや上級生ともなれば面識など皆無のはず。


東堂ってだれ?

何で家の番号を知っているの?


疑念が湧き、警戒心が強くなる。

「一体誰ですか?」とちょっと強気に出てみるかと思案している途中で電話口の東堂何某から思いがけない発言があった。


「あんた、自転車置き場のところに学生証落としたろ? 拾ったんだけど裏に家の電話番号書いてあったからかけてみたんだけど」


雪乃は慌てて自分の学生鞄を確認した。

確かに前のポケットにしまっておいたはずの学生証がない。


霊感バレを危惧して急ぎ帰宅した時に落としたようだ。

全く気づかなかった。


学生証の裏には連絡先を記載する欄があり、このご時世にどうなんだと思いながらも自宅の番号を記入した覚えがある。


「変なことを口走る前でよかった」と雪乃はホッとした。

学生証を拾い、わざわざ電話までかけてくるような心優しい人に警戒心MAXの失礼な態度をとるところだった。


「はい。確かに落としたようです。すいません」


電話越しに謝る。

東堂の「良かった」という声が返ってくる。


「どうしようか? 家まで届けてもいいし、明日校門で待ち合わせてもいいですよ」


東堂が提案する。

声には依然として丁寧さを感じる。提案も献身的だ。

随分と人の良い性格らしい。


拾ってもらった上に相手に運ばせるなんてダメだよね。


雪乃は少し思案した。

家まで持って来てもらうというのは論外だろう。

時間を指定して相手を校門に呼びつけるというのも気が引ける。


「あの、よければ私が取りに行きます。クラス名を教えていただければ朝のホームルーム前に」


少しでも相手の負担を無くそうと考えた結果、雪乃はそう申し出た。

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