第2話 白の世界
真っ白な空間に閉じ込められてから体感一週間。未だに何一つここから出られる方法は見つかっていない。
最初の数日は、完全にパニックだった。喉が焼けるまで叫び、意味があるのかも分からないままに走り回り、まるで自分が止まらない地震速報になったような、それでも同じ行動を繰り返した。どれだけ声を張り上げても、この無音の世界で返ってくるのは僕の呼吸音と、遠くで擦れるレールのノイズだけだった。
四日目くらいから、頭の中が急に静かになった。ここには誰もいない。少なくとも、僕の目に見える範囲には。ポケットに入っていたスマホは、既にただの冷たいガラスの板になり沈黙したまま。ブラックアウトした世界の一部みたいだった。
改めて、白い遊園地を歩いた。止まったままの観覧車は空に縫い付けられた巨大な骨格標本のようで、小学校の遠足で観た博物館を思い出す。回転木馬の白馬は一頭きり、同じ方向を向いたままフリーズしていた。針のない時計塔は、時間という概念そのものを嫌というほど突きつけるオブジェとしてそこに有り、動かない太陽の下、影だけが薄く伸びていく。
歩いても、歩いても、景色はほとんど変わらない。いや、全く変わる気配もない。前に進んでいるのか、スタート地点のリプレイを何度も再生させられているのか、その区別すら、だんだん曖昧になっていった。
六日目、初めて眠気に襲われた。不自然で、気分の悪いぬるい眠気だった。白い地面に横になると、冷たくも硬くもなく、ただ感触だけが希薄で、僕は夢の中でさらに眠るという、二重のスリープモードに落ちていく感じがして、少しだけ怖くなった。
そして七日目の今、僕は観覧車の影に座り込み、膝を抱えたまま、初めて声に出して独り言を言った。
「帰りたい。」
その一言は、誰かに届くはずもなく微塵に散っていく。家の天井、玄関の靴、引き出しに突っ込んだままのプリント。どうでもよかったはずの日常の断片が、やけに高解像度で、僕の脳裏にちらちらと過ぎる。ここに来る直前、僕は確か、教室で窓の外をぼんやり眺めていたはずだ。
その時、視界の端で何かが揺れた。最初は風に煽られた無機物だと思った。でも、この世界に、そんなものがあるはずがない。顔を上げると、少し離れたベンチのあたりに、人の形をした輪郭のような歪みが見えた。
僕の中の命が心臓をきりきりと握りしめる。
誰か、いるのか。
そう思って一歩踏み出した瞬間、その歪みはすっと溶けるように消えた。そこには、無人のベンチと、相変わらず白すぎる地面しか残っていなかった。
見間違いだ。そう言い聞かせても、胸の奥に残ったザラつきは消えなかった。僕はこの世界に一人きりだと思い込もうとしているだけで、本当は最初から、何か別の存在が、ずっと僕を観測しているのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎって、すぐに首を振った。そもそも誰かが居るのなら一週間も何もないはずもない。考えても仕方がない。ここでは、考えることと、探すことくらいしか、やれることがないのだから。
僕はもう一度、遊園地の奥へ向かって歩き出した。出口は見つからない。それでも、歩くしかない。止まったままでは、世界ごとフリーズしてしまいそうな気がした。
白い地面に、僕の足音だけが、やけに大きく反響していた。
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