第三十二話:灰より芽吹く巡礼

【SE:早朝、森を渡る薄い風の音。遠くで小枝が折れる乾いた響き】


 夜明けとともに、火結杜ひゆいのもりに残っていた靄が薄れていく。鳥たちの囀りはまだおずおずとした調子だが、その隙間を縫うように──人の足音が重なる。


 槇篝は小瓶を胸に提げ、先頭を歩いていた。響がすぐ横に並ぶ。続いて美香・律・とも・ちよ──御神裔と影の手、総勢六名の小さな行列だ。


 火結杜の外へと続く古い山道は、長らく踏まれぬまま草に埋もれていた。それでも掻き分けて進むたび、土の中に残った石畳がちらりとのぞき、かつて人々が往来していた名残を示す。


 「ここを抜ければ、最初の宿り村だ」


 律が手帳を開きながら告げる。


 「名は──灰植はいうえ。かつて月祀の香料を運ぶ中継地だったと記録にある。今は集落として機能しているか不明だけれど」


 「行ってみなきゃ、わからないよねっ!」


 美香が草露で濡れた裾を気にも留めず、ぴょんと跳ねるように歩幅を伸ばす。


 槇篝の視線が、美香の背中にそっと向けられる。微笑ではない。まだ表情の作り方を思い出せない──ただ、息を吐くたび胸の瓶がかすかに脈動し、それに合わせて彼女の肩もわずかに揺れる。


 ふいに、山道の右手──斜面にぽつんと立つ石造りの祠が目に入った。年輪のように苔が層を成し、扉は外れ、内部は空洞。だが祠の背には朱の焼け痕が走り、誰かが火を供えた跡がある。


 槇篝は足を止め、祠に向き直った。


 「ここにも……火を祀った痕がある」


 瓶の中で、朱がぽっと灯る。篝火の声がか細く響く。


 『ここは、昔“余火庚あまりびかのえ”を納める場所だった……かも』


 響が祠に近づき、黒く焦げた内壁を指でなぞる。


 「余火庚──祭礼で燃え残った火種を、一年抱いて次の祭へ渡す石殻(ストーンシード)だ。火が絶えぬよう、村ごとに輪番で守っていたと聞く」


 「でも、火は……もう、絶えている」


 槇篝が囁くと、瓶の中の朱がわずかに強まる。


 『灯そう?』


 瓶越しの声に、槇篝はしばし逡巡した。けれど、そっと祠の前に膝をつき、石の窪みへ瓶をかざす。


 「私は……“咲くな”と命じられた火を、いま抱えている。でも……

  火を必要とする場所があるのなら、分けるべきなのかもしれない」


 瓶の栓を開けると、淡い朱の火花が、ふっと祠の窪みに降り立つ。風のない朝。火は石の床に着くと、炎とも光ともつかぬ揺らめきを生み、その中心に極小の花弁のような形を結んだ。


 ともが小声で祝詞を紡ぎ、ちよが背後で短く鈴を振る。律は手帳に<火種分灯 一刻継続>と記し、美香は胸の前で両手を合わせた。


 火は三呼吸ほど揺らいだ後、石の窪みに落ち着き、朱い核心を燈芯のように残した。


 槇篝は瓶をそっと閉じる。まだ中には火が残っている──旅は続く。


 「……行こう」


 立ち上がった彼女の瞳には、わずかな決意の光が宿っていた。


 遠くで、灰植の村を示す小さな鐘の音が、風に乗って揺れた。


【SE:かすかな鐘、続いて山鳥の声】

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