第三十一話:火のあとに残るもの
【SE:遠くでくぐもった鐘の音。燃えかすが崩れるかすかな音が続く】
祭壇の火は静まり、夜空は深い藍へと還っていた。灰の匂いの中で、槇篝はゆっくりと息をつく。
足許には、否花の残骸――黒い花弁が細かな炭となって散り、風に乗って流れていく。
美香がそっと駆け寄り、槇篝の手を握る。
「お姉ちゃん……終わったんだね」
槇篝はうなずき、けれどその横顔には安堵よりも──何かを探すような、空虚が宿る。
――火は燃え、花は咲いた。封印は解けた。それでも、胸の奥に残った空洞は埋まらない。
響が、灰の上に膝をつき、残り火を掌で包むようにすくい上げた。
「火は土に戻り、土からまた芽を出す。けれど、その間は……ただの灰だ」
灰は冷たい。けれど、よく見れば微かに朱が残っていた。
「これが、君の残した火種だ」
響はそれを小さな瓶に収め、槇篝へ差し出す。
「火は消えたようで、まだ眠っている。灯すも眠らせるも、君次第だ」
槇篝は瓶を受け取り、胸に抱いた。
「……これから、私は何を照らせばいい?」
その問いに答えたのは、幼い声──篝火。
「わたしを、次に灯したい場所へ連れて行って」
槇篝は驚いたように瓶を見つめる。微かな朱が脈動し、焔の鼓動のように瓶の内側を照らした。
「火結杜だけが、火を必要とするわけじゃない」
律が歩み寄り、崩れた祭壇の外を指さした。森の向こう、まだ夜闇の底で、点々と家々の灯が揺れている。
「この杜で守ってきた火を、今度は外へ解き放つべき時かもしれない」
ともが静かに呟く。
「封印が断たれた今、古い“贄”の制度は支柱を失い、諸国で揺らぎはじめましょう。──火を恐れるか、火を祀るか。その選択の行方を、誰かが示さねば」
ちよは炬火を掲げ、夜道を照らした。
「教祖様──御神裔と影の手は、新たな巡礼の支度を整えております。火の行脚は、この杜の外から始まりましょう」
槇篝は夜空を見上げる。灰の匂いの中、月は冴え冴えと煌めき、その周りに微かな薄雲が輪を作っていた。
「私は火を灯す。……でも、その光が届く場所を、まだ知らない」
響が立ち上がり、手を差し伸べる。
「なら、共に探そう。君の火が照らすべき大地を。──灰が撒かれた先に、きっと芽が出る」
槇篝は瓶を胸に抱え、掌を響の手に重ねた。
火結杜の東の空が、わずかに白みはじめる。
夜明けだ。
【SE:鳥のさえずりが遠くから重なり、静かな風が灰を巻き上げる】
灰は風に乗り、森を越え、まだ見ぬ地へと流れていく。そこに眠る種子があるならば──きっと、その灰が肥しになる。
槇篝の瞳に、初めて迷いのない光が宿った。
「行こう。灰の先へ」
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