2話 歪んだ記憶

死んだと思っていた人間が生きていたこと。


ましてや僕が殺したと思っていた人間が僕の目の前に現れることなんて、今まで生きていた中で初めての経験だ。

まあ普通に考えて、人を殺してしまったこと自体、初めてだから当然ではある。


だから自分が転生したなどという、とち狂ったことが頭に思い浮かんだのだろう。

自分がそういう思考になったことに関しては、このように少し考えれば説明がつく。

しかし、キツキが僕の前に現れたことに関しては一向に説明がつかない。

色々と仮説を立てたりしたが、どの仮説も自分が建てておきながら、自分で説き伏せてしまう。


もしかしたら別人かもしれない。

ドッペルゲンガーというやつかもしれない。


いや、やっぱり無理だ。

別人だなんて思えない。

ドッペルゲンガーだなんて思えない。


こんなふうに。


というのも目の前に現れたキツキ(仮)が別人やドッペルゲンガーとは思えない明確な理由があった。

黒髪ロングのポニテールに眉が少し隠れるくらいの前髪と顔の輪郭をなぞるように伸びる触覚。そしていつも明るく、元気でうるさい顔。

顔のパーツや雰囲気が似ているのは、おそらく、別人やドッペルゲンガーだったらあり得そうだ。

しかし、顔以外の部分で似ているというのは全く聞いたことがない。僕が目を覚まして最初に触って、見た出っ張りが彼女の太ももだったわけだが、その太ももこそ、僕が別人やドッペルゲンガーとは思えない理由になる。


彼女の太ももは、彼女以外に見たことがないほど特徴的なふとももをしている。というのも彼女の家系は下半身が強靭な一家だそうで、彼女は特に大腿筋の発達が凄まじかった。

そのせいで女の子らしい服が似合わないと言って、彼女は小さい頃はよく泣いていたもんだ。泣くたびに何度あやしたことか。


それから高校生になって彼女は陸上部へと入った。あれだけ自分の太ももが嫌だと言っていたのにも関わらず、下半身もとい、太ももを使ったスポーツを選ぶなんて正直困惑した。

陸上部に入ってから一発目の大会。僕は見にいくつもりはなかったが、半ば強引に引っ張り出され見に行った。めんどくさいと思いつつも見にいったその大会は、かなり印象的だった。

なぜならあれだけ自分の太ももが嫌だと言って隠していた彼女が、太ももを隠すことのないユニフォーム姿でいたからだ。陸上競技といえば男女共通で見られるその正装。その正装に身を包む彼女の姿はとても印象的だった。

さらに、その露わになった彼女の太ももには練習を積み重ねた証拠であろう「傷」がいくつか見られた。


小さい頃から走るのが遅かったり、走ったとしてもつまづいてしまったり、何かと鈍臭く運動音痴だった。陸上部に入ったと聞いて、「太ももを丸出しにするユニフォームを着るのに?」と思ったのと同時に、「あの運動音痴のキツキが?運動部?」と、動揺をしたのを覚えている。


動揺と共に頭の片隅で恥をかかないかとか、運動音痴が原因で顧問やチームメイトにいじめられないかが心配だったが、その当日の大会のチームメイトや監督、そして彼女のそのやる気に満ち溢れた笑顔、その彼女の傷だらけの足を見てなんだか腑に落ちた。


キツキは相当練習したんだ。どれだけ運動音痴でも鈍臭くても頑張ってきたんだ。そしてそのキツキを周りは冷やかさず、いじめず一緒に頑張ってくれたんだ。そう空気を感じ取ることができ、僕の胸の奥底が締め付けられる感じがした。自分が知らないキツキを見た気がして、かなり印象的だった。


あいつは変わったんだ。

そして印象的だったのはそれだけはない。その走る姿も印象的だった。なぜなら彼女の口角はずっと上がりっぱなしだったからだ。


真剣勝負に挑んでいれば笑っていられることなんてない。それ相応の表情になるはずだ。だが、彼女は走りながらも終始笑顔を絶やさなかった。


走り始めから走り終えるまで、そして自分の輝かしい戦績を僕に見せにくる時まで

彼女はずっと笑顔でいた。


それからも彼女は僕の予定がない日を確認しては、僕を自分が出る大会へと連れ回した。そして、どの大会でも変わらず笑顔のまま走っていた。


真剣勝負をしている中、笑っていることが少し変だと感じた僕は、一度そのことについて聞いたことがある。


とある日の休日。僕の部屋にくつろぎに来た時だっただろうか。


「なぁ、なんでいつも笑いながら走ってるんだ?」

「んー?何でそんなこと聞くの?」

「他の人が真剣な表情してるのにキツキだけ笑ってるの変だなって。」

「ふふっ…確かに。」


口元を隠し少し恥ずかしそうに笑う。

変なやつ。


「…それで、何でなの?」

「楽しいんだ。走るのが。風になったようでとてもきちいいんだ。それに自分のこの太ももだって…。」


よくある走る人がするような表現をする。


あれ、キツキってこんなやつだったっけ?


そして、キツキは自分の太ももに目を落とした。


「小さい頃は嫌いだったけど、今は好き。私の唯一のアイデンティティーだよ。」


そう言って自分の逞しくも傷だらけの太ももを愛おしそうにさすっていた。自分の太ももを愛でる姿は少し変態っぽく見えた。


「にしても、本当に変わったな。昔は可愛い服が似合わないって顔ぐちゃぐちゃにしながら泣いてたのに。」

「はー?!そんな顔ぐちゃぐちゃにするほど泣いてませんー!ちょっとしか泣いてませんー!」

「強がるなって。あ、そういえば顔だけじゃなかったっけ。パンツだってー。」

「変態!」

「いてっ!」

「ふん!そんなデリカシーがないから、いつまで経っても彼女できないんだ!ばーかばーか!」


お前だって彼氏できたことねーじゃん。


そう言い切る前にキツキは僕の部屋を出て行く。

いつもこんな感じのいがみ合いが彼女が帰るきっかけになっていたっけ。


学校終わりやお互いの部活がない休日には、暇さえあれば僕の部屋に来ては勝手にくつろぎ、いがみあっては帰っていく。今となってはいい思い出だ。その時にした他愛もないやりとりすらも今では恋しい。


いや、恋しかった。


なんせ、また同じようなやり取りを仕掛けられたからだ。と言っても、困惑と衝撃でいつも通り言い返せなかったのだが。少なくともその雰囲気を感じてしまった。


やはり転生としか思えない。自分が知っている理屈を並べ上げたって、彼女が僕の目の前にいることが説明つかない。それでもどうにかして、頭の中では理屈をこね上げては自分の納得できる理由を探し続けた。自分の中のありとあらゆる理屈を何十周もし、自分の思考回路がこの現象の理由を探すのに、いよいよ屁理屈にまで手が伸びたその時だった。


過去を掘り返す僕を我に返すように風が吹く。自分の目を覚ませた時の風と似た、優しい風。


しかし、どこか違う。違うところはといえば、前よりも優しさに溢れていたこと。そして、頬を撫でるように吹いていたこと。


とても心地よい。


我に返したと思えば、我を忘れてしまうような心地よさ。その心地よさは、僕の頭を痛くするような出来事が全て頭の隅っこに追いやられるほど、今の僕にとって良薬に等しい存在だった。


しかし、その心地よさに浸っていたのも束の間だった。


その風は一変し、僕の身に襲いかかった。先ほどとは打って変わって、恐ろしく冷たい風が頬を撫でる。先ほどまでとギャップが強すぎるのか、頬がヒリヒリする。その風は頬をすり抜けるだけでなく、無防備だったうなじまでも伸びるように触り抜けていった。


“お前を殺す”


そう言われてるような気がするほど冷酷さを感じる風。普段穏やかだが、腹の中では冷酷なことを考えてる人の怒りの琴線に触れた時と同じ感覚だ。もしかしたら、誰かに目をつけられているのかもしれない。そう考えずにはいられなかった。


「でも、誰に?」


身が硬直し、動けなくなったものの思考は止まることを知らなかった。そしてその思考は口をついて独り言を吐き出す。


まだ目を覚ましたばかり。説明がつかないことや自分の情緒を脅かすことで満腹なのに、考えさせられてしまう。おかしくなってしまいそうだ。


「まこと!」


自分の名前を呼ばれてて再び我に帰る。周りを見ると先ほどと変わらない風景。風のせいで一歩も動けなかったのはそれはそうとしても、全く移動していないことに驚いた。どうやら全神経が頭の中のごちゃついた事象を整理していたために、その前も一歩も進まず立ち止まっていたらしい。


「大丈夫?」


キツキ(仮)が不思議そうな表情で僕の顔を覗き込んでいる。

やっぱり彼女そっくりだ。


「何をそんな顔してるの?どこか具合悪い?すっごい顔色悪いけど…」


自分の顔がどんな状況なんて気にする暇もない。まあ気にしたところで確認する術なんてないのだが。


「…なんでもない。」

「ほんと…?」


そう言って心配そうな顔を近づける。


「いっつもそう言い方する時は無理してるじゃんか」


そう言って詰め寄るキツキの瞳の色は僕の全てを、さも、お見通しかのような色をしていた。


やはりキツキだ。そっくりなんてもんじゃない。本人そのものだ。


そうはっきりと言い切ると同時にやはりここにキツキがいるということが不気味に感じた。その不気味さから逃げるように、僕は顔を背け左手のひらで彼女の顔を押し除ける。


「ぶっ?!」

「…ちかい。」

「っもう!またそうやってレディの顔を手のひらで…!不細工になったら責任とってよね!」

「…そのうるさい顔を近づけんなって」

「ハァー?!私の顔のどこがうるさいのよ!こんなにも可愛い顔をしてるのに…♡マコトこそ私みたいな美女と幼馴染ってことを泣いて喜ぶべきよ!」


やっぱり、彼女だ。

このやり取り、キツキ本人。キツキそのものだ。

困惑しながらもいつも通りの返しをする。


「泣いて喜ぶ?泣き叫んで嫌がる間違いじゃなくて?」

「はー?!そんなに私と幼馴染が嫌っていうわけ?!」

「おーおーよくわかったじゃんか。バカだからはわからないと思ってたよ。」

「んにゃろう…!言わせておけば…!」


果たして可愛い女子が

こんな江戸っ子みたいなことを言うだろうか。


もう意味がわからない。

不気味さを感じつつも、何でこんな慣れたやり取りが自然と出てしまうんだ。


ここまでくると情緒の整理どころではない。自分の感情も把握できず、自分を見失ってしまいそうだ。もう見失っているのかも知れない。


「あれ?まだこんなところにいたのか。」


おかしくなりそうな環境の中、さらに困惑するような要素が増える。これまたどこか聞いたことのある声。


これ以上、ややこしい情報が増えたら、僕はもう気が狂ってしまう。そう思いつつも、僕はその声先の人物に視線を向けた。


視界にはこちらに向かって歩いてくる女性。

いや…?思っていたよりも女性じゃない…?


僕の視力が悪いせいか、ぼやけて見える。声からして女性らしさがあったものの、細身の男性と言われるとそうとも捉えられる体格だ。近づいてくるにつれてそのぼやけた輪郭がはっきりし、その声主が女性だということがはっきりする。


女性ではあるもののやはり体格はかなり逞しかった。女性らしさはありつつも見える肌は程よく筋肉がついており、そこらへんの一般男性にだったら喧嘩で勝てそうだ。身長はキツキより少し高いくらいか。

さらにこちらに歩いてくるにつれて、そのぼやけていた彼女の顔が鮮明になっていく。鮮明度が上がっていくにつれて、僕の動悸も激しくなっていく。


何でこんなにも動悸が激しくなっているのか、察しがいい人ならわかるだろう。

そう。彼女もまた僕の知っている人だったからだ。


眼帯はしているものの、その鋭くはっきりとした目つきは彼女そのもの。髪型も金髪でロング。そしてそのロングヘアは後ろで束ねられ、前髪も一緒に束ねられたオールバック。僕の知っている彼女はポニーテールではなく、顔の両横に髪の束で作った大きなソフトクリームがぶら下がっていて違う。しかし、その違いも気にならないくらい、おでこの生え際は特徴的で、僕の知っている彼女を象徴するものの一つと言っても過言ではない。


彼女の名前は茶畑ソノカ。

キツキと同じ陸上部で、クラスメイト。キツキを勝手にライバル視しており、いつも空回りしていた。


僕との関係はそれほどなく、キツキと一緒に登校する時にいつもめんどくさい絡み方をしてくるくらい。それもキツキがいるからであって、僕と二人きりになった時はまるで僕に興味がないように、空気同然の扱いだった。いくら興味がなくてもそれなりのコミニュケーションをとるだろうが、それすらもない。その距離感に最初は少し傷ついたが、時が経つにつれ慣れていき、茶畑と僕の関係はそういうものだと、そういうものでいいと、わかるようになった。


キツキをライバル視していたものの、それなりに仲が良かったらしい。キツキが僕と話すとき、彼女の話題になるとキツキは楽しそうに話していた。もしかしたらキツキ自身、彼女をただの友人としてしか見ていないのかも知れない。まあ空回りしている感じからしてそうだと思うが。


僕の知っている茶畑ソノカはそんな感じ。

ここにいる茶畑ソノカもそういう感じなのだろうか。


彼女は腕に腰を当て、ため息をつく。


「あんたら毎回毎回顔を合わせては喧嘩から始まるのなんなのよ?」

「ソノカ姉ェ!」


キツキのその言葉に衝撃が走る。


「ソ、ソノカ姉ェ?!」


衝撃のあまり、思わず口をついて出てしまう。そしてさらに衝撃だったのはそう言って駆け寄るキツキが彼女に抱きついたこと。


どういうことだ?

意味がわからない?


確かに、仲は良かったが、こんな風に抱きつくほどではない。


それに加えて、あんなにも甘えた表情をキツキがするなんて…。やはりあれはキツキじゃないのか?


「ほんっと毎度よくやるわね。あんたたち…。」


もう一度、ため息をつきながら、抱きついてきたキツキの頭を撫でる。今までの彼女らの関係だったらありえない距離感に困惑した僕は、その困惑がさらに口をついて出てしまう。


「え?本当に、お前、茶畑…なのか…?」


その問いに対して、彼女は鋭い反射神経で僕の頭を殴りつけた。


「誰に対して口聞いてんだこのガキャ!!!!」


殴られると予想だにしなかった僕はそのまま地面に叩きつけられる。


「また舐めた口を聞いたと思ったら苗字で呼び捨てだぁ?いい度胸しているじゃないか…!」


そう言って指の関節を鳴らしながら、詰め寄ってくる。


こんなの僕が知っている茶畑ソノカじゃない…!

怖い…。怖すぎる…。

やっぱりこいつは僕の知っている茶畑ソノカじゃない!


「今日もまた矯正が必要なようだね…!」


またってことはこんな怖いやつ相手にいつもこんな感じなのか…僕は。


恐怖のあまりそのまま突っ伏していると、また何か新しいことが起きそうな予感がした。

顔伝えに地面が振動している。


どしん。どしん。


まるで巨人が歩いてこちらに向かっているようだ。


「ニフフ。また姉さんにたてつくなんて相変わらず懲りないねぇ。」

「ヌヒヒ。もう逆にねぇさんのこと好きなんじゃないかしら?」


その声にまたしても反応する僕。顔を上げると茶畑そのか後ろに大きな黒い影が見えた。へんな笑い声と共に現れた黒い影の正体は二人の女巨人。


一人はが手足が長く細身の巨人。

もう一人は、巨大な図体の巨人。


二人とも茶畑の1.5倍ほど身長がある。地面に突っ伏している状態で見上げているせいか圧迫感がすごい。そして、その二人の顔を見覚えのある顔だった。どちらもつぶらな瞳でモブキャラのような顔つきをしているが、その顔つきは茶畑ソノカの取り巻きである、種芋サトコと種芋ナガコの二人にそっくりだった。というか体型も含めそのままの二人だ。サイズ感だけは規格外すぎて全く違うが。


「ちっ。こんなガキ、私の方から願い下げだよ。」


茶畑はサトコの茶化しに嫌がるように返した。そして未だ抱き付いているキツキを軽くこづく。


「ほらキツキもいつまでもここにいないで、さっさとこいつつれてリーダーのとこへ向かいなさい。」

「あ!そうだった!リーダー怒ってるかな…?」

「ヌヒヒ。今いけばまだ間に合うわよ、多分。」

「ニフフ。今ならまだちょっとお仕置きされるだけで済むと思うわ、多分。」

「ヒェ〜。早く行かないと!ほらマコト急ぐよ!」


そう言って地面に伏している僕を軽々と持ち上げる。


「あ!おい!降ろせ!自分で歩くから!」

「んなこと言ったって、いつも歩くの走りのも遅いじゃんか!」


運動音痴だったこいつに言われるのは屈辱だ。そう思ったのもあって、力一杯ジタバタしたが、下ろしてもらえそうにない。それどころかがっしりと片腕に抱かれて身動きもうまく取れない。

自分を巻きつくキツキの腕を見ると、先ほどの茶畑に負けないくらい筋肉がついていることに気づく。


「おい、マジかよ…。」

「んー?何か言ったー?」

「…なんでもない。」

「そう!」


意外にもキツキが屈強だということに驚いたのと同時にここでジタバタしても仕方がないと悟った僕は諦め、されるがままキツキの肩に米俵のように担がれることにした。


「無事に済むといいね〜」「お達者で〜」

サトコとナガコがそう言って手を振り、茶畑は呆れたような表情で見送る。


こいつらにこんな醜態を晒している自分に恥ながらも僕にはなす術はない。

こうして僕はキツキに担がれたままその場を後にするのだった。

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