裸のお姫様④
「……なんで今日もまたここに来たのよ」
昼休み、昨日と同じ旧校舎の図書室にやってきた俺は、昨日と同じ席に座っている早川さんに開口一番文句を言われた。それを聞き流しつつ、俺も昨日と同じ席に座る。
「わたしがいるって分かってるんだから、別のところで食べればよかったでしょ?」
「今日もいつもの場所に昨日と同じカップルがいたんだよ。というか、『いい場所見つけたね』みたいなこと言ってたから、多分これからも居座りそうでもう使えない。それで、思いついた場所がここしかなかったんだ」
学校は公共の場所である。その中の特定の場所が俺一人のためにあるわけではないのだから、他人が使っていようが文句を言うわけにはいかない。それはそれとして、せっかく見つけたいい場所を後から来た人間に横取りされるのは、なんだか寂しい気持ちが少しあった。
「そう、それは残念だったね。で、それがここを選ぶ理由にはならないと思うけど? 旧校舎の他の場所でも一人になれるでしょ?」
その公共の場所で露出をしている女は、腕組みをしながらここは自分の場所だと再び文句を言ってきた。昨日と同じように衣服は机の上に綺麗に畳まれて置かれているが、昨日と違って今日はミントグリーンのブラをしている。彼女なりの反省なのだろう。もちろん、それで罪が軽くなったりはしない。
「1階以外はほとんど使われてないんだから、どこか適当な廊下で食べてればいいじゃない」
「やだよ、せめて階段に腰を下ろさせてくれ。贅沢言うなら椅子に座って食べたい」
「ここの椅子、持ち出しても大丈夫だけど?」
「物を置く机もあると最高だな。包装されてるとはいえ、食べ物を床に置きたくない」
暗にここから動きたくないとアピールすると、『なんだこいつ』という目で睨まれる。その視線を気にせず、持ってきた昼食とジュースを机の上に置いてパンの袋を一つ開けた。今日はカレーパンが売り切れていたのが残念だ。
「念のため言っておくけど、旧校舎の他の部屋が開いてないか軽く調べてはいるからな」
「ああ、そう。まあ、ここに来たってことは開いてなかったんでしょ?」
「そうだね。ちゃんと施錠してあったよ」
適当に調べてどうやら開いてるところがなさそうだと判断したら、可能性の低い確率に賭けるより鍵が壊れているため確実に開いてるここを目指した方がいいと思い、そしてその通りに行動をしただけだ。反応を見るに早川さんもそのことを知っている様子なので、一応過去に調べてみたことがあったのだろう。
それとちょっと気になることがいくつかあったので、ここなら早川さんと話ができるかもという思いもあった。
「ところで、朝、俺に話があるみたいな態度してなかった? それもあってここに来たっていうのもあるんだけど」
買ってきたクロワッサンにかぶりつきながら、俺は気になっていたことの1つを尋ねる。
「……はい? わたしが? そんなこと言った?」
「言ってはないけど、なんか目が合ったときに手を振られたからさ。何か言いたいことがあるのかと思って」
「え、そんなことしてた?」
何時間も前のことではあるが、何日も前のことではないのに忘れられていた。
「……あ、思い出した。もしかして、朝にヒロコたちと話してるときに目が合ったときのこと?」
「ああ、それ。反応見てると、どうも俺の勘違いだったみたいだけど」
「そうね。あれはただ単に目が合ったから挨拶しただけよ」
あっさりと早川さんは特に面白みのない答えを返す。
「目が合ったのに無視するのも感じ悪いじゃない。それくらいは普通にすると思うけど?」
「まあ、俺も知り合いと目が合ったら頭を下げるくらいはするけど……でもほら、早川さんはここに俺が来たことに対して、いい感情を持ってなさそうだったからさ」
「今も持ってないんだけど? だからって、それで牧田くんに対してだけ態度を変えたら、何かあったと言ってるようなものじゃない」
言われたことに「なるほど」と返しながらオレンジジュースを飲む。
「今まで早川さんと話したことなかったから、そういうものだって分かってなかったよ」
「そ。とにかく、わたしはここにいることを知られたくないんだから、牧田くんも不自然な態度を取らないようにね」
「演技は得意じゃないけど善処はするよ。で、この知られたくないことをカレシは知ってるの? っていうか、昼休みにカレシと一緒じゃなくても大丈夫?」
「カレシ?」
なんのことか分からないという目でこちらを見ながら首を傾げられる。その動きはとてもかわいらしいものだったが、組まれた腕の上にブラが乗っている絵面が全くかわいらしくなくてなんとも言えない気持ちになった。
「ほら、その朝の話の中で早川さんのカレシがどうのってが聞こえてきてさ。盗み聞きしようと思ったわけじゃなかったんだけど、聞こえちゃって。気になったのならごめん」
「あー……そういえば、そんな話もしてたかな。それと、話を聞いてたことは気にしないでいいよ。あんな大声で話してたら、聞きたくない話も聞こえちゃうでしょ」
早川さんは少し気まずそうにそう言った。昨日も思ったが、どうも彼女は自分たちのグループのことをかなり冷静に見ているようだ。
彼女は、こほん、と一つ咳払いをすると、考えるように目を逸らしながら話してくる。
「そうね……気になるだろうからこれだけは教えとくけど、わたしのカレシ、この学校の人じゃないんだ。だから、昼休みに会うことがないの」
「へぇ、そうなんだ。大学生? 社会人?」
「それ以上は秘密。というか、大学生はまだしもいきなり社会人が出てくるのはヤバくない? なんで素直に他の高校の子って発想が出てこないのよ」
言われるとそうだなとは思うが、早川さんのグループはそういう人と付き合っていることをステータスとしていそうな雰囲気がある。この様子を見るに、彼女自身はそこに高い価値を置いてはいなさそうではあった。
「じゃあ、早川さんはカレシに会えない寂しさを露出することで紛らわさせてるわけだね」
「そんな変態みたいな理由じゃない。……ちなみに、カレシもこの趣味のことは知らないから」
誤魔化すように目を逸らしながら言われる。まあ、こんな変態的な趣味を持っていると知っていて付き合うなんて、そいつもよほどの変態じゃないとありえないことだと俺は思う。
「それで、話を聞いてたなら分かると思うけど、このこともみんなには秘密にしてね。特にグループの子には絶対。昼休みにカレシに会ってくるって言い訳してここにいるんだから」
「ああ、そういうことね。自分の趣味の時間を作れて、カレシがこの学校にいるかのように思わせられる、一石二鳥ってわけか」
ブラとパンツだけという風呂上りかアホしかしない格好をしている早川さんだが、こうした知恵は回る方のようだった。朝の話だとピンク髪の黒ギャルの子が、人のカレシを寝取ることが好きなようなので、その対策も含めると一石三鳥なのかもしれない。
「分かったなら、絶対に誰にも話さないでね? ……というか、昨日のことも誰にも話してないよね? なんか話してたら急に不安になってきたんだけど」
「安心してくれ。もし誰かに話してたら、ここに警察が来てるはずだから」
「その情報だけだと安心する要素が全然ないんだけど。警察ってそんないきなり来るものじゃないでしょ?」
「油断してるところに急に来るものだと思っておいた方がいいよ」
「なんで経験したことがあるみたいに言うのよ。お世話になったことがあるとか?」
「暮らしを守るという意味では、みんなお世話になってると思うけどね。あくまで一般論だし、そんな怯えなくても大丈夫だよ」
誰にも言ってないんだし、と言ってみるが、なぜか疑いの眼差しを向けられ続ける。そんなに話したことがない相手だから信頼できないのは分かるが、そんなに話したことがないのだからそこまで疑わなくてもいいのではないだろうか。
「牧田くん、どこかズレてる感じがするのよね。さっきはほら、こっちは挨拶しただけなのに何か話があるかと勘違いしてたみたいだし」
「こんな秘密を知ってたら、むしろ話があるものだと考える方が自然だと思うけど……あとはまあ、こっちからも言いたいことが1つあったってのもあるかな」
「さっきの話とは別に?」
「そう、別に」
「……服を着ろって話じゃないよね?」
「それはここに来たときから思ってるけど違うよ。また朝のことなんだけど――」
俺がそう言いかけたところで、突然図書室の入口からガラっという横開きの扉を開ける音が聞こえてきた。
「おおっー! 本当に変質者がいる! しかもおにぃも一緒だ!」
思わず振り向くとそこには見慣れた顔が見慣れたブレザーの制服を着て、こちらを興味深そうに見ながら部屋に入ってくるところだった。
「優姫? なんでここに来てるんだ?」
そこにいたのは俺の妹。同じ学校に通う1年生の牧田優姫だった。
「やー、おにぃと一緒にお昼を取ろうと思ってねー。それで前に聞いてた場所に行ったら、なんか知らないカップルがいたからさー。教室には多分いなさそうだったし、他の当てもないからここに来てみたってわけですよ」
「そうなのか? それなら連絡してくれればよかったんじゃ」
「サプライズをしたいという
そう言って優姫はこちらに近づいてきながら、『イタズラ成功!』という感じでウィンクする。妹心とはなんなのか分からないが、楽しそうにしているところに水を差す必要はないだろう。
「ま、おにぃのリアクションが微妙なのはいつものことだし、ちょっと驚かせただけでもいいとして」
「ちょっとじゃなくて結構驚いてるんだけどな。まさか来るとは思ってなかったわけだし」
「分かってる分かってる。で、おにぃ」
優姫は俺の後ろを覗き込むように見る。釣られて俺も振り返った。
「そこの下着だけしか着てないっぽい人、なんかすごく笑顔になってるんだけど、大丈夫?」
視線の先には明らかに作り笑顔を張り付けた早川さんがいた。
「牧田くん? ここのことは誰にも話してないって、さっき言ってなかった? この子、明らかにここであったことを知りながら来てるよね?」
とても綺麗な笑顔だというのに、俺でも察せるくらいに怒りの黒いオーラが出ていた。寒そうな格好をしているのは早川さんだというのに、こちらの背筋が凍りついた。
「い、いや。俺はちゃんと約束は守ってるよ? 他人には話してないから」
「へぇ……じゃあなんで、牧田くんの妹さんらしき人がここにいるの? 他人に話してないなら、こんな場所に迷うことなく来ることはないよね?」
「妹はほら、他人じゃなくて家族だから」
「そっか、死にたいんだ」
俺が約束したのは他人に話さないことだったので、身内に言う分にはセーフ理論を通そうとしたら殺害予告された。しかも多分ガチだ、目が全く笑っていない。
「やー、すみません。昨日の今日でまた脱いでることはないだろうと思って、何も気にせず来ちゃいました」
そんな殺意のオーラに身を竦めていると、この場の冷たい空気を全く気にしないかのように優姫が口を開く。
「というか、見つかったのに場所変えたりしなかったんですね? 一度バレた場所に居座るのって、結構度胸がいると思うんですけど」
「……そ、それは……えっと、ここを先に見つけたのはわたしよ? なのにわたしが場所を譲らないといけないなんて、おかしいとは思わない?」
「それは正しいかもですけどねー。でも、それはそれとして見つかった場所に行くのは怖いと思うんですよね。少なくとも、私だったらそう思います」
「そこはほら、牧田くんが誰にも話さないって約束してくれたし」
「兄のことを信頼してくれてるんですねー。ありがとうございます」
「え? いや、信頼してるわけじゃなくて……牧田くんも一人でご飯食べてるの知られたくないって言ってたし、その、取引というか」
「……もしかしてその取引、本気で釣り合ってると思ってたんですか? だから来ても大丈夫だと思ってたとか? どう考えても犯罪やってることを知られるよりはマシだと思うんですけど」
「さ、さすがにそんなことは思ってない! でもほら、知られたくはない事実であることは確かなわけだし、わたしがここにいることを言ったって牧田くんが得するわけでもないんだし、信じたっておかしくなくない!?」
「ええ、それはおかしくないと思います」
「ほら! だったら、わたしがここにいるのもおかしくないってことになるでしょ?」
「そうかもですね。でもそれって、兄の方がここに来てもいい理由が多いという話にもなるんですよね。なのに避けようとしなかった、ってことになりませんか?」
「……えー、っと……」
優姫が次々と正論を繰り出すため、言葉を詰まらせる早川さん。すごいぞ妹、あれほどまでの漆黒のオーラに負けずに戦えるなんて。お兄ちゃんは立派な妹を持ったことを誇りに思うよ。
なんてことを考えていたら、突如早川さんはこちらに視線を向けてきた。いや、睨みつけてきた。
「って、今はそんなことはどうでもいいのっ! 元はと言えば牧田くんが嘘吐いたのがいけないんでしょ!? なんで妹さんに話しちゃったのっ!?」
そして、ここにいるのを知られたくないと考えていたことを忘れているとしか思えない大声を出してきた。
「いや、本当に嘘を吐いたつもりはないんだ。多分、早川さんは家族にも喋るな的な意味で言ってはいるんだろうと思ってたけど、俺が約束したのは『家族以外の他人には喋らない』ってやつのつもりだったし」
「ちゃんと意味通じてるじゃない! というか、そういうつもりで言ってたならそのとき言いなさいっ!」
「え、言ったら許してくれたの?」
「ダメに決まってるでしょっ!!!」
怒られてしまった。どうせ許してもらえないのならば、わざわざ言う必要もないのではないのだろうかと思った。
「……そっちがそういう態度なら、こっちも考えがあるから。昨日牧田くんが言ってたように、わたし、牧田くんに裸にされてたことにするから」
「えっ、ちょっと早川さん、それは」
「どうせバラされるんなら牧田くんも道連れよ。昨日は半分冗談だったけど、今は割とガチだからね」
追い詰められた早川さんがとんでもないことを言い出した。実際に警察が信じるかどうかというと本当は怪しい程度には思ってるが、初動から俺の言い分が通るとも思っていない。そして、俺としてはたとえ後で疑いが晴れる可能性が高いと分かっていても、そもそも警察のお世話になりたくなかった。
どうしたもんかと優姫の方を見ると、彼女はバツが悪そうな顔をしながら口だけを動かして『ゴメンね』と謝ってきた。やりすぎたと思ってるみたいだが、元はと言えば俺がちゃんと言わなかったのが原因だし、優姫は気にしなくていいと思う。
「……分かったよ、勝手に話したことは謝る、ごめん。今度は家族親族含めて誰にも話さない。約束する」
「どうだか。口約束なんてやっぱり意味がないって、さっき分かっちゃったし」
「そう言われてもな……どうすれば早川さんが納得するのかなんて分からないし。何か案でもある?」
俺の言葉を受け、早川さんは腕を組み直して考え込む。『そんなこと自分で考えなさい』的なことを言われるかと思ってたから少し意外だった。それだけ俺を信用していないってだけかもしれない。
「そうね……じゃあ、『これだけは絶対他人には知られたくない』ってことを教えてくれる? それこそ、わたしがここで服を脱いでることを趣味にしてるレベルのやつ」
「ええ……」
早川さんの要求に思わず引いてしまう。また睨まれてしまった。
「だって、言ってることは自分の秘密を知られないために、弱みを握って脅迫したいってことだよね? ただでさえ露出の罪を犯してるのに、更に罪を重ねようっていうの?」
「その罪を知られないためなんだから仕方ないじゃない。こうなったら1つや2つ増えても一緒でしょ。それとも、牧田くんは冤罪を押し付けられた方がいいの?」
「だから、誰も得をしないようなことはやめようよ……」
「おにぃ、多分何を言っても無駄だよ。要は、今度こそおにぃが誰にも話さないように保証がほしいだけなんだから」
優姫の言葉に早川さんは上機嫌に頷く。ブラとパンツしか着ていない半裸の女が偉そうにしているのは腹が立つと、生まれて初めて知ることができた。
「そうは言ってもなぁ……早川さんは俺にそんな秘密がないとか考えないの?」
「……それはないでしょ。何かあるから、わたしに何もしなかったとしか思えないもの」
突然鋭い言葉を投げられて、心臓が大きく跳ねる。
「別にその秘密を聞かせろとは言わないけどね。でも、牧田くんが何も問題はない人間だとは思えない。……牧田くんが話したくないなら都合がいいことに妹さんもいるし、そっちに聞いてもいいけど?」
「実はうちの兄、私のことが大好きでして……ものすごいシスコンというネタではダメですか?」
「ダメ」
なんとか俺をフォローしようとした優姫だが、にべもなく却下されてしまった。俺と優姫は特別仲がいい兄妹の自覚はあるが、それを他人が知ってもどうしようもないと俺でも思うからフォローになってるのかは謎だった。
「……まあ、早川さんの言うように他人に知られたくないことは確かにあるよ。でも、それをただ脅しのネタにされるためだけに話すのはちょっと嫌だな」
「何かメリットが欲しいなら、牧田くんがここを使うことに今後一切文句を言わないって約束してもいいわよ。お昼ご飯食べる場所に困ってるんでしょ? わたしが使わなくなるってわけじゃないから、それでもいいのならだけどね」
強引に押してくるだけかと思っていたら、今度は上手い具合に引いてきた。そして、それは俺にとってかなり魅力的な提案でもあった。
別に俺は一人でご飯を食べるとこを見られること自体に抵抗があるわけではなく、それを見られて色んなことを言われるのが面倒なだけだ。『あ、一人でご飯食べてるんだ』と思われるだけならどうでもいいが、それを見て笑ってきたり憐れんでこられると、さすがに食べるのに集中できない。1年のときに寂しそうにしてると思われて、「一緒に食べよう」と言われたときの申し訳なさは今でも覚えている。
早川さんがそんな俺の心理を読んでいるとは思わないが、少なくとも彼女は一人でご飯を食べることにどうこう言う人間ではなさそうではあった。もちろん、早川さんの視線がない方が気楽ではあるものの、別にいたところでストレスになるような存在ではないと現段階では思えた。
……いや、服を脱いでる女子が目の前にいるのはストレスか。まあ、そこに目を瞑れば悪くない話だとは言えた。瞑っていいのかは知らない。
「どう? これならわたしたち、仲良くやれると思うけど?」
そう笑顔で言ってくる早川さんは、服を脱いでなければただただかわいいのになぁ、と思った。
「……優姫」
「ん、おにぃの好きなようにしていいよ」
俺一人では決められないことではあったので巻き込んでしまった優姫に確認すると、予想通りあっさりとこちらに任せてきた。理解のある妹は、こういうとき本当に助かる。
「……分かった、話す。よく考えると、聞いておいた方が早川さんも安心できる話かもしれないしね」
ため息を一つ吐いてからそう切り出すと、早川さんは不思議そうに首を傾げた。
そんな彼女の表情を見ながら、俺は口を開く。
「たたないんだよ、俺」
あまりにも簡潔に秘密の暴露をしたためか、早川さんはポカンとした顔を浮かべていた。
「……たたない? え、何が? 何が立たないの?」
「ナニが勃たないって言ってる。つまり、勃起しない。ペニスやチンコや男性器と呼ばれる部分が大きくならないんだよ」
「んな……っ!?」
卑猥な言葉を聞いて早川さんは一瞬顔を赤くする。……が、それがいけないことだとすぐに気付いて頭を下げてきた。
「……ゴメン、驚いて」
「いいよ。いきなり下半身の話をされたらセクハラだと思うのも無理はない」
「うん……でも、ゴメン」
本当に申し訳なさそうに言われて、こちらが罪悪感に苛まれる。
……ただ目の前で半裸になられている以上、セクハラ受けてるのはこっちも一緒なのでは? と冷静な自分は思うが、ここでそれをツッコむとややこしいので何も言わない。
「その……病気、とか? あ、この場合の病気は肉体的というか、体調の問題というか――って、こんなことも聞かない方がいいか。本当にゴメン」
「だから、そこまで気にしなくてもいいって。いきなりこんなこと言われて気にならない方が珍しいし」
「それはそうかもだけど……わたしから聞きたいって言ったことだから。まさかこんな重たいことが出てくるとは思ってなかった」
「まあ、自分でも重たいと思ってる自覚はある。だから話したくないわけだし」
「そう……だよね」
「ちなみに、好奇心だけどどんな秘密があると思ってたの?」
「え、昔はワルだった的な何かかなって……万引きしてたとか、喧嘩に明け暮れていたとか」
教室で目立たずに過ごしていたというのに、なぜそんな偏見を持たれていたのか。かなり謎だった。
「おにぃ、やっぱりその髪型ダメだって。裏で女の子殴ってるイメージしかないよ」
漂う空気が微妙に重くなってきたところで、優姫は俺の隣かつ早川さんの真正面の椅子に座りながらそんなことを口にしていた。
「別にギター弾いたりドラム叩いたりなんなら歌ったりもしないのに、そんなバンドマンみたいな髪型しなくてもよくない? 特にモテたいわけでもないのにさー」
「なんで妹が兄に向かって偏見をぶつけてきてるんだ……俺の顔だとこういう髪型くらいしか似合わないんだよ」
「そんなことないでしょ? ね、先輩もそう思いますよね?」
「え、まあ……割と牧田くんはなんでも似合いそうとは思うかな。その髪型も普通に似合ってそうだけど」
「あれ、先輩的にはアリですか? 裏でカノジョ殴ってそうじゃありません?」
「別にそんなことは思わないけど……というかそれ、髪型じゃなくてバンドマンへの偏見じゃない? カノジョを殴るような人には見えないよ」
表で偏見を使って殴ってくる妹とは違い、早川さんはフラットな目で見てくれていた。この場で俺の味方が誰なのか分からなくなってきた。
「むー、そんなもんなんですかね? 教室でのおにぃを知らないのでなんとも言えないところなんですが」
「わたしの知ってる範囲だと、牧田くんに対してそんな悪口言う人はいないはずだけど……えーっと」
「あ、自己紹介が遅れましたね。牧田優姫です。優しい姫と書いて『ユウキ』になります。呼び方は呼び捨てでもちゃん付けでもさん付けでも、なんならくん付けでもいいですよ」
「じゃあ、優姫ちゃんで。牧田くんから聞いてるかもだけど、わたしは早川愛理沙。えーっと、愛するの愛に理系の理、それとサンズイに少ないの沙で、『アリサ』ね」
「お名前は初耳ですねー。よろしくお願いします」
今更ながら名前を教え合う2人。俺の秘密を知って早川さんが冷静になったのもあってか、先程まで結構バチバチにやり合ってたことはお互い気にしていないようだ。
「それで話を戻すけど……優姫ちゃんはこのことを知ってるのよね?」
「ええ、もちろん。というか、それがあるから昨日兄は私に話したってのもあるんですよ。ほら、女性の裸を見たわけですから」
「そういうことだったの。だったら、最初から話して――ああそっか、それが無理なのか」
「ですねー。なのでまあ、こういうことになったのはおにぃじゃなくて、考えなしにここに来た私が悪いわけですよ」
「すみませんでした」と謝る優姫に、早川さんは「気にしないで」と答える。俺の方からも後で優姫に謝っておかなければ。
「でも、そういう相談って妹にするものなんだ? わたしは兄弟いないし男の子じゃないから分からないけど、こういうのってまだ親に話す、方が……」
『親』という単語が出たとき、俺と優姫は同時に苦笑いを浮かべる。早川さんはそれを見て、『またやってしまった』という感じの気まずそうな顔をした。
「まあ、まさにその親が原因でこうなったって話だよ。医者が言うにはだけど、俺も他に心当たりがないから、多分間違いないとは思ってる」
「……えっと……」
「とりあえず、直接どうこうされたわけじゃないよ。そこは安心してくれ」
「……何を安心すればいいのか分からないけど、うん。分かった。また無神経に聞いちゃってゴメン」
「謝るのもいいよ。早川さんの疑問なんて普通なんだし」
色々と配慮が求められるようになった世の中ではあるが、どうしたって自分の中の常識というのはなくなるものではない。それがないと、そもそも配慮というもの自体ができない。『常識で考えたら嫌だろうな』と考えられるようになるためには、まず自分の持っている常識を基準に相手を見る必要がある。
だから早川さんの自分の感覚で話して違ったら素直に謝るところは、俺の中では結構好感が持てるところだった。その常識があるのに、なんで未だに服を着ようともしないで話し続けているのかは分からない。
「これ以上変な勘違いも困るだろうから全部言っちゃうけど、俺の両親、まだ優姫がお腹の中にいるときに変な宗教にハマっちゃってさ」
「変な宗教?」
「なんだかんだ理由をつけてセックスすれば救われるとかご利益があるとか
はぁ、とため息が零れる。自分の子供を助けたい一心だったという事実は、俺の中で割り切れない思いがあった。
「でまあ、今ここに優姫がいるから分かると思うけど、そこから急に容体が良くなりだしてさ。ただの偶然なんだけど、あまりにもタイミングがよかったから二人とも完全に与太話を信じ込んじゃって」
「……うん」
「優姫が生まれた後もそのイカれた教えを実践するために、定期的にセックスしてた――だけなら夫婦の営みってことでいいんだけど、まあそんなんじゃ偉い人たちは得をしないから、家に知らない人をいっぱい呼んで乱交してたってわけ」
当時の家の広さなどろくに覚えていないが、カモにできると思われる程度には立派で裕福なところだったのだろう。俺にとっては息苦しかった記憶しかない場所だから、思い出すのも苦痛だ。
「それも自分たちだけでやってればよかったんだけど……何を勘違いしたのか、『この教えを子供たちにも伝えなきゃ』って使命感に燃えちゃって。まだ小学校に入る前の俺の目の前で、自分の親と知らない大人たちが乱交する様を毎回見せつけられたんだ」
……想像してしまったのか、早川さんは顔を青くしていた。下着姿でいるのに、こういう倫理観は普通っぽいのが少しおかしく思えて口元が歪む。
「そんなわけでそれがトラウマになって、勃起しないんじゃないのか――ってのが、医者の見立て。さっき聞かれた質問に答えるなら、心因性ってことになるかな」
「……えっと」
「謝るのはもういいよ。気軽に話すことじゃないけど、知ってる人は知ってることでもあるし」
このことは医者だけでなく、担任を含めた一部教師も知っていることだ。もっとも、教師陣は病気の方までは知らないだろうが。そこまで話してやる義理もない。
「……もしかして、前に聞いた虐待された子がいるって噂、牧田くんのことだったのかな」
……ポツリと零した早川さんの言葉が、人の口に戸は立てられぬということわざの正しさを証明していることだし、余計な話は本当にしない方がいい。
「多分そうじゃない? とりあえず、俺の秘密はこんなところ。満足できるものだった?」
「うん、色々とおかしな反応するなとは思ったけど、大体納得できた。……その上で、聞かなきゃよかったって思うくらいには、簡単に踏み込んじゃいけないことだとも思った。謝らなくていいって言われたけど、謝らせて。本当にゴメン」
「だからいいって。っていうか、謝るくらいなら服を着てほしい」
「……あ、そっか。こんな格好してるのもトラウマ刺激しちゃうよね。分かった、すぐに着る」
「えっ!? いや、俺がトラウマなのはセックスというか性行為そのものであって、裸を見るくらいなら別に……じょ、冗談だから気にしないで」
少しでも重くなった空気を軽くしようと冗談を言ったら、ガチで言ってると思われてしまい慌てて止める。
「……なんでおにぃは変質者がまともになろうとしてるところを止めてるの?」
そして、そのわけの分からない行動は即座に妹からツッコまれた。しまった、本当に何をしてるんだ俺は……!
「あーあ、これでおにぃは完全に共犯者だね……妹は悲しいよ。じゃ、警察に連絡するね」
「躊躇いなくスマホを取り出すな。通報するならそこの女だけにしろ」
「……えっと、その、優姫ちゃんは大丈夫なの?」
「はい? ……ああ、私は大丈夫ですよ。そういうことしてるとき、おにぃが必死に見せないようにしていたので。『何かやってるなー』くらいは思ってましたが、実際に何してたのか分かったのはもう少し大きくなってからですね。お気遣い、ありがとうございます」
優姫はこう言ってくれているが、子供のころの俺が完璧に守れていたとは思えない。俺のように身体的な影響が出ているわけではなさそうだが、どうも露出が多い格好をするのを嫌っているようだった。制服はリボンも上着もキッチリとしており隙がなく、一応校則で決められているがほとんどの女子が守っていないスカートの長さは膝丈まである。そのスカートの下は黒のタイツを履いていて、色こそ変わるもののどんな季節でも外では決して脱ぐことがない。ここ数年の猛暑の中でも絶対に、だ。
スカートを着なくていいなら着ないとか授業の水泳を嫌がるとか、そこまで極端なわけでもないから、もしかしたら単にそういう格好が自分好みだけの可能性もある。俺自身が過去のことにあまり触れたくないので、優姫に理由を聞くことができないだけ。そして、知っても特に何かできるわけでもないから聞いていないだけだ。
「そう。……偉いね、牧田くん」
……そもそも今一番どうしてこの格好をしているのか聞きたいのは、妹じゃなくてミントグリーンのブラをしているこの女の方だった。いや、さっき服を着ようとしてたのを止めたの俺だけど。なぜ止めたんだ、俺。
「別に偉くなんてないよ。ま、もし後で本当かどうか気になったら、担任にでも聞いてみたらいいと思う。事件の方は知っているはずだから」
「作り話とは思えなかったんだけど、でもそっか。証拠というか証明する方法はないのよね。担任に聞くっていうのも、どうしてそんなことを知ってるのかって、わたしが聞かれるだろうし」
念のために本当の話であることを証明する手段を言っておいたのだが、彼女が言うようにそんなことを確認すること自体が不自然だった。さっさと自首してほしいと俺は思っているが、本人に今のところその気はないようだし、どうやってそのことを知ったのかを知られるのは避けたいことだろう。
一応、他の方法もあるといえばあるが、最低な話な上に別に確実性があるわけでもないので言わずにいようと思っていると、
「証拠がほしいだけなら、おにぃのおちんちん触ればいいんじゃないですか? 多分すぐ分かると思いますよ?」
そんな最低な方法をなんの躊躇いもなく提案する馬鹿がいた。
「おち……っ!? ゆ、優姫ちゃんっ、なに言ってるの!?」
「え、なにって……ナニを触れば話が早いって言ってるだけですが」
『なんでこの人はこんなに抵抗があるの?』という目で優姫は半裸の早川さんを見る。もしかしたら、裸になるのが趣味ならそういうことに抵抗がないのかと思っているのかもしれない。だとしてもごく普通に提案することではないし、あとお前、兄の人権とか考えてる? 勃たなければ触っていいものでもないよ?
「この状況で勃起してないのが分かれば、一発で信じられると思うんですけどね。女の私が言うのもなんですが、早川先輩、めちゃくちゃエッチな身体してますし。正直、ちょっと羨ましいレベルですよ」
本当に羨ましそうに優姫は言う。まあ、優姫の体つきはよく言えば慎ましい、悪く言えばお子様体型である。身長も女子平均より低いくらいだから尚更そう感じやすい。一方、早川さんは制服の上からでも分かるくらいプロポーションが良い。身長も優姫より多分少し高いくらいなのに、だ。
普段あまりこの手のことを気にしてる様子を見せていなかったので、そこを羨ましがるとは思っていなかった。優姫にもそういう憧れはあるんだなと新たな発見をしつつ、とりあえず言うべきことは言うことにした。
「優姫、それは女同士でもセクハラだ。知ってる男の股間を触らせるのもダメなんだから、よく知らない男の股間を触らせようとするな」
「いや、それを言ったら裸を見せつけられてるこっちはなんなのって話にならない? ハラスメントどころじゃないよ、ダイレクトだよ。セクダイだよ」
謎の造語を作りながらツッコんでこられたが、しかし言うことが正論過ぎて俺は黙るしかなかった。確かに俺たち兄妹、今思いっきりセクダイされてるわ。
「そ、そもそも今牧田くんが勃起してないのを確認できたところで、それが証拠とはならなくない? 嘘だと思ってるわけじゃないけど、病気と過去のことは別に関係のないことかもしれないし」
「かもしれませんけど、おにぃがEDなことの証明にはなりませんか? 後々に変な疑いを残すくらいなら、恥ずかしくても今のうちに確認しておいた方がいいと思うんです」
「そ、それは……優姫ちゃんの言う通りかもしれないけど、でもわたし、男の人のを触ったことなんてないし……普通の状態との違いなんて分からないよ」
「あれ、そうなんですか? なんか意外ですね。先輩モテそうですし、カレシのを弄ったりしたことありそうでしたが」
「なにそのイメージ!? そもそもカレシがいたことないんだけど!?」
「そ、それはもっと意外ですね……はぁ~、おにぃのクラスの男子は何してるんですかね。こんなエッチな女の子ほっとくなんて、色んな意味で人類の損失ですよ」
「…………えっ、早川さん、さっきカレシいるって言ってなかった?」
あまりにも普通に早川さんが否定するものだから一瞬反応が遅れてしまったが、聞いていたことと完全に矛盾していることを言われていた。早川さんも遅れてそれに気付き「あっ」と声を出してしまっていた。
「……ほほ~? どうやら私が来る前に、興味深い話をしていたようですね。私、こう見えて女子高生なんで、コイバナとか大好きなんですよ。ちょっとおにぃに話してたことを聞かせてくれませんか?」
そして、そんな隙を見逃す優姫ではない。こう見えてうちの妹は、面白そうなことに首を突っ込むのが大好きなのだ。その証拠に、今ニタァという音が聞こえるくらい悪い笑顔をしている。
「わ、わたしも女子高生だけど……こういうのってもっと仲良くなってから話すものじゃない? ほら、わたしたち、今日会ったばかりだし」
「ふむ……自白はしないと。じゃあおにぃ、早川先輩はどんな人って言ってたの?」
「校外にカレシがいるって言ってたな。ただ、その他の詳細は教えてもらってない。聞いてる感じ、高校生ではありそうだったけど」
「ちょっ、まっ、牧田くんっ。それも話さないって約束したでしょ!?」
「これについては俺も気になったし……嘘吐かれる理由がないからな」
恥ずかしくて顔どころか全身真っ赤にしている早川さんには悪いが、そんな嘘を俺にする必要性が分からなかった。グループの子たちならともかく、俺相手に見栄を張る理由が一つもない。あと、人は恥ずかしくなると顔以外も赤くなるのを知ることができる理由も分からないでいたかった。
「……別に嘘を吐いてるわけじゃないの。ただ、その……そう、清いお付き合い! ちゃんとお互いのことを考えて、清いお付き合いをしてる――だけ! それだけだからっ」
目を逸らしながら早川さんはそんなことを言うが、自分でも無理があると思ってるためか、めちゃくちゃ言い方がたどたどしい。
「なるほど、こんなところで裸でいる人が清いお付き合いとかいうのがもう笑っちゃいますが、言い分には一理あります。認めましょう」
「で、でしょ!? なんで上から目線なのか分からないけど、信じてもらえてよかった!」
「では、そのカレシとはどのような人間なのか教えてもらいましょうか? 実在するというなら答えられるはずですよね?」
まるで面接官みたいなことを言い出す優姫。就活ハラスメントを受けてしまった早川さんは、もはや目を逸らすだけでなく部屋中を泳ぎまくっている。
「えー……っと……その、どんな人かを教えるのは、不都合があるというか……」
「今裸でいること以上の不都合があるんです? まあ別に、細かいパーソナルがほしいわけじゃないんです。外見を教えるくらいはできますよね? それを知ったところで、私たちにはどうしようもないわけですから」
「が、外見……」
もはや全く隠す気がないくらいに何かないかと探している早川さん。さすがにちょっと挙動不審が過ぎて面白い。なのでずっと見ていたら、不意に目が合ってしまった。
「えーっと、髪型はバンドマンによくある感じで、目はちょっとたれ目でかわいい感じ……ね。鼻は高くはないけど低くもない……かな? あ、体型は割と痩せ気味だけど、筋肉がないわけでもなくて結構背も高い、そんな男の子よ」
「おにぃ、いつの間に付き合ってたの? しかもこんな変態が好みだったんだね」
「おにぃは女性とお付き合いをしたことがないよ。あと、女の子の好みは服をちゃんと着てる子が好きかな」
目が合った俺の特徴をただただ言って架空のカレシを作り出されていた。ドッペルゲンガーが現れたりしたら怖いので、ちゃんと否定しておいた。
「……ええ、そうよっ! カレシなんていないわよ、嘘っぱちよ!!」
またもや追い詰められた早川さんは、開き直って逆ギレしながらついに自分のカレシがいないことを認めた。嘘っぱちなんて言葉、テレビ以外で聞くのは初めてだった。
「いや、俺は別に早川さんにカレシいなくてもいいんだけど……グループの子ならともかく、なんで俺にまで嘘を吐いたのか気になっただけで」
「……こういうのは設定を統一しておいた方が、矛盾が出にくくていいの。いざというとき、どうにかしやすいでしょ」
言ってることは分かるような分からないような話だった。が、多分今までの経験則でやってそうなので、早川さん的にはこのやり方が一番だったのだろう。
なお、自分が来る前の話が混じり始めて優姫は完全に「何の話?」という顔をしていた。というか、俺に聞いてきた。なので簡単に話しておいた。
「ああ、その手のマウント合戦ですか……早川先輩も大変ですね」
「優姫も分かるんだな。経験あるとか?」
「直接は巻き込まれたことないし、そもそもそんなグループの子とはお近づきにならないけど、やってるのは見たことあるね。おにぃの妹としては、カレシがいることがなんで偉いことになるのかさっぱりですが」
俺と同じ過去があるなら、男女関係に冷めた目を向けてしまうのは当然だ。意識的に距離を取るのも自然な話だろう。そして、そうやって直接関わるのを避けている優姫でさえ、この手のことは大変だという認識でいるという事実が、女子は本当に大変だなぁという思いにさせた。
「……まあそういうことなら、これについては話を合わせておいてもいいよ。演技は得意じゃないから、バレても文句は言わないって約束してくれるなら、だけど」
なので、俺からそう提案していた。面倒くさいところがないわけでもないが、別に俺は人助けが嫌いなわけでもない。
「えっ、いいの?」
「ああ。ここを使わせてもらう礼ってことで」
「……ありがとう、牧田くん」
心からホッとしたような、柔らかい笑顔を向けられる。それは見る人が見れば一発で惚れるレベルでかわいく、そしてその笑顔が半裸の女が浮かべてると気付いて一瞬で恋が冷めてしまうと容易に想像できた。
「……ここ、学校の一室なので許可取る必要とか本来はないんですけどねー。でも、私もその程度なら話を合わせますよ」
きちんとしなければならないツッコミは入れつつ、同じ女子同士で苦労も分かっている優姫も協力してくれるようだった。
「優姫ちゃんもありがとう。本当に助かるよ」
「いえいえー。その代わりと言ってはなんですが、わたしも時々ここを使わせてもらってもいいですか? あ、友達呼んだりとかはしないですよ、たまにはおにぃとご飯食べたいってだけなので」
「うん、もちろん。優姫ちゃんならいつでも歓迎する」
当初の目的を完全に忘れているとしか思えない発言をする早川さん。だが女同士(1人は痴女、もう1人は妹)の友情が成立した瞬間に立ち会えたのだから、無粋なツッコミはやめておいた方がいいだろう。そのくらいの空気は読める男だ。
……そんなアホなことを考えていたら、昼休み終了前のチャイムが鳴り出す。そこでようやく、持ってきたパンを1つ食べ損ねていたことに気付くのだった。
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