裸のお姫様③

 翌朝、住んでいるマンションの部屋の施錠をしっかりと確認してから、俺は学校へと向かうためにエレベーターへと向かった。優姫は友達との待ち合わせとかですでに家を出ている。そのため、エレベーターには通勤に出るであろう知らないおじさんと一緒に乗り、1階まで下りていくことになった。


 マンションの外に出ると目の前には小さな公園がある。ブランコは2つだけ、鉄棒も大きさ別に3つしかなく、他には砂場と滑り台、それとベンチが2つ並んであるくらいの本当に小さな公園だ。そんな寂しい公園だが、一応俺の住んでるマンションとこの公園を挟んで向こう側にあるマンションが両方ともファミリー向けなのもあり、夕食前くらいに遊んでる子供を時々見ることがある。あとはたまにベンチに座ってる大人も見る。今日は朝早い時間なのもあって誰もいなかったが。その公園を通り抜けたりせずに右に曲がり、大通りへの方向へと足を向けた。


 マンションから学校へ向かう約15分間、特に何か面白いことが起きるわけでもなくいつも通りの登校風景が流れていく。友達はいないので途中で誰かと合流することはない。学校に近づくほど俺と同じ制服を着た人間を見かけるが、みんな一人で登校しているか俺以外の誰かと話しながら歩いている。それが俺にとってのいつも通りであり、特に思うところのない日常の流れだった。


 とはいえ、何も思うことがない登校時間でも、今日はずいぶん暖かく過ごしやすい気候になってきたと改めて感じていた。こんなことを思ったのはもちろん、昨日の昼休みに露出狂と出会ったことが頭に残っていたからだ。朝の時点でこの暖かさなら、昼間になれば裸でいても風邪をひくことはないだろう。だからこそ、春に露出狂が増えるのだ。


 そんな無益なことを考えてながら歩いていても、無事学校には辿り着く。下駄箱に靴を入れて上履きに履き替えてから自分の教室へと向かう。黒板側の方から中に入ると、そこには昨日の昼休みに出会った露出狂が、いつものグループの中で何食わぬ顔をして談笑している姿があった。


「それでさー、サルのやつなんて言ったと思う? 『そんな危ないことしたら怪我しますよ』とか言ってんの! あの顔で人の心配してる場合? しかもビビッてるし!」

「なにそれダセェ! しかも、ちょっといいとこ見せようとしてるなんてありえねぇわ!」

「ワタシもちょっとないなー。男なのにそんなことでビビっててどうすんのって感じ」

「だよねー! ホント、サル調子乗んなって感じ!」


 ……談笑というか、朝から悪口大会が行われているようだ。早川さんを入れた4人組は窓際の一番前の席あたりに四角形を作る形で固まり、サルというあだ名の人間に対してよくない感情を吐き出しているようだ。途中から話を聞いただけなので何がいいのか悪いのかは判断できないが、クラス中に聞こえるでかい声で話す内容ではないとは思う。

 もっとも、ここにいない誰かの愚痴や悪口を咎めることができるほど俺も立派な人間ではないから、特に何かすることもなく自分の席へと向かう。縦横6列ずつ並んだ机の入口から4番目、後ろから2番目、そこが今の俺の席という扱いになっていた。


「なー? 愛理沙もそう思うよな?」

「んー……まあ、今時そんなマジメくんも珍しいね。そこまで行くとちょっと堅苦しいというか、束縛してるみたいに思っちゃうかも」

「あー、言われるとそんな感じもあるかも? カレシでもないのになんでカレシ面してんだよ、みたいな」

「ま、サルにカノジョがいるなんてことはないだろうけど。マジメだしね」

「あんなマジメに惚れる女がいるかっつーの!」


 赤の他人のことを聞く趣味はないので女子4人グループの会話を聞くつもりはなかったのだが、早川さんに話を振られたことに気付いて耳を傾けてしまう。どうやら一般的には褒め言葉であるはずの『真面目』という言葉は、彼女たちにとっては悪口の一つであるようだった。


「というか、あーちゃんってサルほどじゃなくてもマジメなタイプが好きなの?」

「えっ!? なんでそうなるの?」

「だって、サルの話聞いてもそのくらいならまだ大丈夫みたいな反応だったし。だから好みなのかなーって」

「あー、言われるとそんな感じあったかも? なに、愛理沙ってああいうのがタイプだったの?」

「もしかして、サルと付き合ってんじゃねーの? えー、それはシュミ悪過ぎんぞー」

「ちょっとやめてよ。そもそもわたし、そのサルって人を見たこともないんだから」

「あれ、そうだった? 前にワタシたち教えなかったかな?」

「わたしが覚えてる限りは教えてもらってないよ。写真でもあれば思い出すかもしれないけど」

「サルの写真とかあるわけないじゃん!」

「ギャハハハ! そんなもんが入ってるスマホ、持ってたら窓から投げ捨ててるっつーの!」


 そう言って早川さんたち4人組のうちの二人――いかにもギャル然としてアクセサリーの類をジャラジャラ付けた焼いた肌の長いピンク髪女子と、同じく日焼けした黒髪ショート刈り上げ見た目さっぱり系女子が大声で嘲笑う。パーマをかけた茶髪を肩のあたりで揃えている肌白いゆるふわ系女子も、2人ほど大声ではないが笑っている声が聞こえた。


 こういった話の盗み聞きは色んな意味でよくないと思うのだが、こんな大きな声で話されていては避けられようもない。思わず耳を傾けてしまったときは少し罪悪感があったが、そんなことをしなくても彼女たちの話は耳に入っていただろうと分かり、悪いことをしているという気持ちが薄らいでいったことはよかったことなのだろう。

 まあ、薄らいだところで他人の悪口聞くのはよくないし聞きたくもないので、何か意識を逸らす方法はないか探そうとしたところで、


「でもさー、愛理沙。そんな疑いかけられたくないなら、そろそろウチらにカレシのこと教えてくれてもよくなーい?」


 気になる話が聞こえてきて、またも彼女らの声に耳を傾けてしまう。


「もー、何度も言ってるけど嫌だってば」

「大丈夫大丈夫、愛理沙の男の趣味が悪くてもからかったりしないし! 本当にサルだったら別だけど」

「だからサルって誰なのよ。あと、からかわれるだけならもう教えてる。誰かさんが他人のカレシを寝取るの好きだから教えてないって、それも何度も言ってるでしょ?」

「えー、誰だよそいつ。友達のカレシを平気で寝取るとかヤバすぎない?」

「オメーだよ、オメー!」


 ピンク髪の黒ギャルがショート髪の黒ギャルにツッコまれる。そこからは自分たちの恋愛事情の話に変わっていったので、どうやらろくでもない会話は別のろくでもない会話になっていくようだ。それでも、さっきまでの会話よりはよほど生産性があるように思えた。


 それはともかく、早川さんにカレシがいるという話は正直意外だった。昨日の昼休み前までは俺もいるかいないかならいる方に賭けるくらいには考えていただろうけど、アレを見たあとだとやはり話が変わってくる。昼休みにカレシを放っておいて誰もいないところで全裸になるカノジョなどいるわけがないと、人付き合いに疎い俺でも理解できることだった。


 そうなると早川さんが嘘を吐いているか、俺の世の中への認識が間違っていたか、カレシがよほどの変態かのどれかになるのだが……よく考えるとそのどれでも俺にはどうでもいいことだと気付く。そもそも、存在するか分からないカレシの以前に早川さんが変態だ。そんな人間と関わらないようにしましょうというのは、小学校に入る前から知っている常識である。


 世界の真実を理解した俺は、いつの間にか耳だけでなく顔まで早川さんの方に向けていたことに気付いたので、今度こそ意識を他に向けようと制服の内ポケットからスマホを取り出そうとした。


「なにそれー。それはさすがにキモい、ってー……」


 だがそうしようとした寸前、不意にこちらの方を見た早川さんと目が合ってしまった。昨日のこともある上に、今話していた内容が内容なので何か言われるかもしれないと一瞬身構える。

 しかし、早川さんがしたことは周りの女子たちの意識が他を向いてることを確認し、こちらに向けて優しく微笑み軽く手を振るというものだった。


 睨まれるくらいはするかと思っていた俺は、想像とは真逆の行動をされて固まってしまう。その動作がやけに手慣れたものだったので、きっとよくやっている行動なのだろう。それが分かっていてもその一挙手一投足がかわいくて、これは男子の人気が高いわけだと思わずにはいられなかった。


 とはいえ、特に何もないクラスメイト同士だったときならともかく、俺は昨日のことで警戒されているはずである。だから早川さんのその行動にすぐに何かを返すことができず、どうしようかと迷っていると、


「うわっ、と!」


 俺の座っている椅子に何かがぶつかって衝撃が来る感覚があった。


「大丈夫か?」

「す、すみません。大丈夫です。牧田君の方こそ大丈夫ですか?」

「ああ、俺は平気。当たったのも椅子の背部分だったから」

「いやぁ、面目ない。昨日、夜遅くまで起きていたので、少しボーっとしていたようです」


 ハハハと誤魔化し笑いを浮かべる小太り眼鏡の彼は、聞いてもいない事情を話してくれた。


丸内まるうちくんはどこかぶつけたりはしてない?」

「自分も平気です。当たったのはカバンでしたから。本当にお気遣い感謝です」


 同級生相手にも敬語という少し変わった喋り方をするこの男子生徒は、俺の隣の席の丸内くんだ。1年のときから同じクラスであり、俺に割と声をかけてくる数少ないクラスメイトでもある。

 ただまあ、変わった人だとは思ってもただのクラスメイト以上の関係はない。なんなら去年から同じクラスなのに丸内くんの下の名前を俺は知らない。その程度の距離感の相手だと思ってるし、向こうも似たような感覚でいるだろうから、それ以上の会話もせずに丸内くんも自分の席に座ろうとしていた。


「おいおいマル~。牧田を怒らせるなよ~」


 けれど、その光景が目に入ったらしいピンク黒ギャルが、こちらに向けてちょっかいをかけてきた。


「マルと違って牧田くんは細いんだからさー。骨折ったりしてんじゃね?」

「ハハハ……そんなことはないと思いますが、ぶつかったのは確かに自分が悪かったですね。改めて申し訳ないです、牧田君」

「え、いや」

「おー、ちゃんと謝れて偉いぞマルー」

「これからはちゃんとぶつからないように、素早く動くようにするんだぞー」


 そう言って黒ギャル二人が大声で笑う。明らかに丸内くんを馬鹿にした感じの笑い。それに対して丸内くんは困ったように苦笑いを浮かべるだけだ。

 同じクラスメイト相手にこの態度、更に俺自身も巻き込まれてしまうとなると、さすがに何も思わないわけがない。関わり合いになりたくない連中ではあるが、何か一言くらいは言っておいた方がいいと思い口を開こうとした。


「そういえばロコ、もうカレシに連絡したの?」


 だが、俺より先に早川さんがピンク髪の黒ギャルに声をかけていた。


「は? なんのこと?」

「前にカレシが朝連絡しないとキレるって言ってたじゃん。めんどくさいし忘れるしウザいんだよねって文句も言ってたし」

「そういえばそんなこともあったねー。別れちゃえばって言ったら、『顔がめちゃくちゃいいからヤダ』ってワガママも言ってたような?」

「……あー、忘れてた! もう2人とも、覚えてたんならさっさと言えって!!」


 ピンク黒ギャルは慌ててスマホを取り出して操作を始める。先ほどの会話の中にあったカレシへとメッセージを送っているのだろう。個人的には彼女に本当にカレシがいること自体が、早川さんにカレシがいるということより信じがたい事実ではあった。反応を見るにどうやら本当に存在はするようなので、世の中は俺が思うより非常識にできているものらしい。


 一番騒いでいた人物がスマホに集中し始めたため、早川さんたちも他人の悪口大会からショートの子の部活のことに話題が移っていった。カレシと連絡を取り始めた子はスルーされている。当人もやり取りに集中してるみたいなので、彼女たちにとってはいつものことなのかもしれない。


「はーい、ホームルームの時間よー。みんな席についてねー」


 やがてホームルームのチャイムが鳴ると同時に、俺たちの担任である眼鏡をかけた40代の女性の先生が教室へ入ってきた。早川さんたちグループを含めたお喋りしていた連中は、それを合図として自分の席へと戻っていく。さっきまで話していた内容はここでおしまいと区切るように。


 良くも悪くも切り替えの早いクラスメイトと自分に、小さくため息が零れた。

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