裸のお姫様⑤
人生で一番短く感じた昼休みを終えた後は、いつも通りの日常を過ごした。昨日は旧校舎の出入り口から外に行く前に別れたが、今日は何やら人が多かったので3人バラバラながらもおおよそ一緒に出たと思う。本当に人が多かったので、人波に流されてしまって分からないが。ちなみに、人が多かった理由は旧校舎も1階は普通に授業で使われており、急遽そこに教室変更されたからだと、俺が教室に戻ろうとしてると勘違いした見知らぬ女子生徒が教えてくれた。
「いやー、今日の昼休みは大変だったねー」
そんな1日も気が付けば夜10時過ぎ。テーブルに座ってバイト帰りの遅い夕食を摂っている俺に、向かいに座った風呂上がりの優姫がニコニコ顔で話しかけてきた。
「まあな。俺の人生で昼休みにあれだけイベントを詰め込まれたことはないよ。……ってか、イベントの大半は優姫が来たから起きた気がするんだが」
「なんのことかな~? 優姫ちゃん、おにぃの妹だからよく分かんない~」
それは遠回しに俺を馬鹿だと言ってるな? と苦笑いしながら、今日のメインである優姫お手製の焼き餃子を頬張る。途端、今度は幸せの笑みが浮かんでしまう。別に餃子が俺の大好物だというわけではない。ただ単に、今日の餃子が会心の出来だっただけだ。
「ふふん、どうよ? 昨日に引き続き、今日もめちゃくちゃ上手くいったからね。10年に一度の出来栄えだよ」
若干どころかかなりウザいドヤ顔をされるが、それを許してやろうという気になるくらいには美味しい。ただし、昨日も言った10年に一度というフレーズを明日も使われたら、絶対にツッコんでやると心に誓った。
「その代わり、ちょっと味噌汁の味噌が多くなったのは許してほしい。別に妹は兄の塩分濃度を上げたいわけではなく、単に手が滑って多めに入れてしまっただけなので」
「俺の塩分濃度を上げてどうするんだ、注文の多い料理店か? 別にこのくらいなら全然美味しいからいいよ。作ってもらってるのに文句なんてあるわけないし」
「食べられないくらい不味いものは、文句言ってもらわないと逆に困るかなー? それに、ほとんどの家事をおにぃがやってるんだし、料理くらいはさせてもらわないと私の居心地が悪くて仕方ないよ」
優姫の言う通り、ここの家事は大体俺がやっている。学校とバイト以外の時間が有り余っているという事情もあるが、単に掃除や洗濯といった家事で物や場所が綺麗になっていくというのが好きなのが大きい。さすがに下着の洗濯などのデリケートな部分は自分でやってもらっている。
「居心地の悪さなんて気にしたことないだろ。でも、風呂上がりにわざわざ餃子焼いてくれたし、他にもいつも助けられてるよ。ありがとな」
「……どーいたしまして」
そこには部屋の明かり以外何もないであろう所を見ながら、風呂上がりでゆったりと下ろしている横髪を人差し指にくるくる巻き付けている。どうやら結構本気で照れているようだ。割と珍しいものが見れて、こっちも少し幸せな気分になった。
「……と、そうだ。話を昼休みのことに戻すけどさ」
「? うん?」
「優姫さ、今日なんで来たの?」
言っている意味が分からないという風に首を傾げられた。
「なんで来たのって……あれ、来ちゃダメだった?」
「ダメかダメじゃないかで言えばダメよりな気はするけど、そういう話じゃなくてだな。俺と一緒に昼飯食べたかったって言ってたけど、本当の用事はなんだったのかって聞いてるんだ」
あの場ではサラッと流しておいたが、実は結構気になっていたことだ。
例のこともあって普通の兄妹以上に距離が近いことは意識しているものの、だからといって四六時中一緒にいたいと思うほどの仲ではない。小学校でも中学校でも俺に会うために教室に遊びに来たことなどないし、学校行事のたびに一緒の行動をすることもない。無理に距離を離しているわけではないから、廊下で偶然出会ったら思わず長々と話してしまったり、遠足で偶然近くにいたりすると優姫の友達そっちのけで話し込んだりすることはある(これはそのとき一緒にいた優姫の友達に悪いことをしたと思ってる)。が、逆に言えばそんな偶然がないなら、思い思いに過ごしていることが大半だというわけだ。
そんなわけだから『兄と一緒に昼食を食べたい』などという、いかにもブラコン妹のイメージっぽい言い訳を使って、その場にいた早川さん相手に誤魔化したものだと思っていたのだが……
「本当の用事も何も、あのとき言ったのは本音だよ? おにぃと一緒にお昼したかっただけなんだけど」
こちらを真っすぐに見ながら、何を言ってるのか本当に分からない感じで言われてしまう。
「あれ、そうなの? 中学まで一緒に昼飯食べたりしたの、運動会くらいだった気がするんだけど」
「そりゃ小中通して給食だったんだから、一緒にお昼なんてしないでしょ。でも、おにぃには高校に行ったら1回くらい一緒にお昼したいって言ったと思うんだけどなぁ」
「……そう、だったっけ?」
ガチで記憶にない。優姫とする約束はできる限り忘れないようにしてるのだが、寝ぼけてるときに聞いたものかもしれない。
「……あ、ゴメン。これ、友達に高校行ったらしたいことで話したやつだわ。なんか混ざっちゃってたね」
てへっ☆ って感じでかわいく舌を出しながら誤魔化された。この野郎、こっちは結構やっちゃったと思って凹んでたんだぞ、許してやるが。
「優姫、友達にそんなことまで話してんのか。ブラコンアピールしてるのは聞いてるけど、そこまで行くと引かれたりしない?」
「最初はドン引く子も結構いるけど、そのうち勝手に厳選されてくし、勝手に納得していくから割と大丈夫だよ。特に今の学校は結構いいね、兄と二人暮らしの時点で苦労してるんだなと察してくれるからありがたい。さすがは進学校、みんな頭いいね」
その感想は頭悪いぞと思ったが、中学時代と比べるとだいぶ過ごしやすいのはこの1年で俺も強く感じていた。特に去年のクラスは、無理に仲良くしようとしないが露骨にハブるわけでもない、それでいて行事ごとでカーストによる住み分けが崩れても嫌な顔をしないという、空気の読める人間の集まりで大変過ごしやすかった。文化祭で委員とかに呼ばれた人以外全員にちゃんと仕事があるとか、人生で初めて見たし、今後も見ることができないのではないだろうか。この俺が柄にもなく学校行事に全力で取り組んだほど、学校生活という面では快適な1年だったと言える。
もっとも、これは去年のクラス運がとてもよかったこともあるということは、進級してからの約2週間で証明されてしまっているわけだが。それでも、中学時代よりはまだマシに感じているのも事実ではあった。
「それに『好みのタイプは兄です!』って断言しておくと、色んなしがらみからも解放されるからね。具体的には好きな男子の奪い合いに参加しなくて済む」
「言い方はアレだけど、実際あるんだろうなって今日ちょっと実感したから何も言えないな……」
「不思議だよねー。男の子が男の子を好きでも、女の子が女の子を好きでも許される世の中になったのに、誰かを好きじゃない人はなぜか許されないんだよ。別に誰も好きじゃないのに自分と同じ子が好きだと思われるの、本当に面倒。だったらこっちは兄妹愛で対抗じゃい」
兄妹愛の部分は苦笑いを浮かべるしかないが、その他の部分は俺も同意見だった。恋人がいれば、もしくは結婚していれば、少なくともまともな人間と保証されるなんて話も耳に挟んだことはあるが、『そんなわけあるか』と俺たち兄妹は断言できる。
「だから、今日の昼休みに遊びに来たことはおにぃが気にしなくても大丈夫だよ。ガチでブラコンなんだって安心した子もいると思うし」
「ああ……いや、全く気にしてなかったわけじゃないけど、さっきの質問は別にそこを気にしたわけじゃないぞ。勘違いしないように」
「またまた~。私がブラコンなように、おにぃもシスコンなんだから遠慮すんなって」
一体俺が何を遠慮しているというのだろうか。今だけこいつとの血縁関係を遠慮したくなった。
「……ま、もうちょっとだけ本音を言うなら、ちょっと変質者さんの正体を知りたくなったってところもあるかな」
優姫は普段と変わりない感じで、しかし少し感情を抑えた声音でそんなことを呟く。
「早川さんの正体? 昨日の話を聞いた後なら確かに気になるかもしれないけど、変質者に近づくなんていう危ないことをするのは今後はやめてくれよ。本当にマジで。頼むから」
「すごくまともに心配されてる……いや今後は言うとおりにするけど、でもおにぃが自分から私以外の人のことを話すのはやっぱり気になるって」
「まさか今日もいるとは思ってなかったけど」とため息混じりに言ってくる。どうやらあのとき言ったことは、優姫の本音だったようだ。
「で、実際あった感想はどうだった?」
「変な人だね」
「変質者だからな」
優姫の時速165㎞のストレートに、こちらも時速103マイルのストレートを投げ返す。会話はキャッチボールなので打ち返しはしません。
「なんというか、あんな格好しておいて貞操観念強そうとか、頭の回転は悪くなさそうなのにアドリブ弱すぎとか、感情で動くタイプっぽいのに無理やり理性で動こうとしてるとか、色々アベコベなんだよね。だから、変な変質者としか言いようがない人だった」
優姫の早川さん評は、大体俺と同じ感じだった。
一般の女子高生がよく知らない男の股間を触りたがらないのも、カレシマウントへの対抗策に嘘のカレシを作るのも、その場の感情とノリで行動してしまうのも全くおかしくない。しかし、早川さんは自身が変質者の格好をしていて、必要のない相手にも嘘を吐いてそれに一貫性持たせようとし、感情で動いたことに気付くと謝罪をして反省する。色々あって世の中を斜めに見ざるを得なくなった俺たち兄妹から見ると、彼女は不器用な変な人としか表現のしようがなかった。
「特になんで途中から私と仲良くなってるんですかね、あの人。まあ、アレで少なくとも犯罪者ではあっても極悪人じゃないというのは分かったけども」
「それは話を聞いてた俺も結構謎だったよ。つか、極悪人じゃないって結構評価高いんだな」
「おにぃは私の中で極悪人と兄しか評価基準がないと思ってない? ちゃんと他にも評価はあるよ、友達とか」
そんなことは思ってないが、こういった犯罪者には厳しい目を向ける人間だとは思っている。俺も厳しい目を向ける。誰だって向ける。向けないとダメだろ。
「それに、おにぃと仲良さそうだったし。そんな人を悪く言うなんて、さすがの私もできませんよ、ええ」
だが、どうも優姫から見た俺はそんな厳しい目を向けていなかったと、少し拗ねた感じで言われてしまった。
「……え、仲良さそうに見えたの? あの変態と?」
「見えた見えた、めっちゃ見えました。おにぃ、私の友達と話すときと全然違ったよ? 基本ボケたりツッコんだりしないし、真剣に話をしたりもしないで適当に合わせてただけじゃない」
「よく知らない妹の友達と話すときって、誰だってそうなるんじゃないのか?」
「じゃあ、早川先輩のことはよく知ってるのかって話だよ」
そう言われると、確かに、と思わざるを得なかった。
早川さんとまともに話したのはこの2日だけ、教室では未だに一言も会話していない。手を振られはしたが、あれは早川さん的には誰にも行うことだ。グループ内での会話も今日初めてまともに耳を傾けたくらい、俺は彼女のことについて何も知らない。
だが、そんなほぼ初対面と言っていい相手に対して、優姫相手ほどじゃないにしても遠慮なくものを言うことができていた。こういう経験は俺の記憶の中で一度もない。いきなり距離感バグっている相手が接してきたときでさえ、当たり障りのない対応を取ってきたと思っている。
そんな俺がただただ会話を楽しんでいたとしたら、客観的には仲良さそうに見えてもおかしくはないだろう。
……でもなぁ。
「……よく知らない変質者だから、遠慮したらヤバいってだけじゃないかな」
変な遠慮をしたら、そこを付け込まれるのではないかという恐怖。
世の中にはこっちが配慮をすると全く配慮してくれなくなる人種がいるから、それに対する対応策としてこちらも容赦をしないという選択を取る必要がある。ただそれだけではないかという話だ。
「ってか、変態と仲良くなってると思われるの嫌すぎる……認めたくない……」
「お、おう……そこまでガチで嫌がられるとは思わなかった。早川先輩、一応すごくかわいいのに」
かわいいのは分かるが、かわいいだけで露出狂であるというマイナスが消えるわけがない。当たり前の話だった。
「ほら、おにぃ。熱々の餃子をお食べ。美味しい物を食べると元気が出るよ」
露出狂と仲が良さそうに見えるということは、俺自身にも露出願望があるのか……? などと思考がドツボに嵌まっていく前に、妹に言われたように餃子を食べる。美味い。でも、熱々というには少し冷めてしまっていた。
「ま、とにかく色々と約束しちゃったんだから、上手いことやっていくしかないよ。私もおにぃが露出狂と友達だと思われるのは嫌だし」
「嫌がるところは本当にそれでいいのか? ……いいのか」
俺も優姫が露出狂と友達だと周りに思われて、優姫まで変態だと思われるのは嫌だった。なんなら俺がそう思われるより嫌だ。その秘密を知られないためには、優姫のように上手くやっていく必要があるだろう。
……だから、昨日今日とやけに昼休みが早く過ぎていったという事実は、よく意味が分からないということにしておこう。
「そういうわけだから、私も時々遊びに行くね。だから、普段は変質者の相手をがんばって、おにぃ」
「がんばりたくないことでもがんばるさ。ごちそうさま、今日も美味しかったよ」
「お粗末様でしたー。じゃ、私はそろそろ寝る準備するねー」
そう言って立ち上がりダイニングから出ていく優姫を見送り、俺も自分の食器を片づけていく。
人生には時々変わったイベントが起きることがある。そんなイベントがあった日でさえ、日常の行動は自動的に行われていくのだった。
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