2本目の釘 古くて壊れそうな、鉄鎚だった

「呪うって初めてなんだけど、何やるの」

「まずは紙すきからだな」


 わたるが自分に呪詛――正確には呪術代行――を勧めてきた栄太郎えいたろうたずねると、そんな言葉が返ってきた。所は古き日本家屋の一室。


「既製品は雑念が多すぎる。工場で大量生産され、複雑な流通経路を経て店頭に並ぶまでに、あまたの人の手に触れるからだ。従って、呪詛の道具は可能な限り手作りするのが最上にして最良。大業は準備の瞬間から始まっているのだ」


 そう言って、栄太郎は本当に紙すきの用意をし始めた。切り開いて乾かした牛乳パックを鍋に入れ、コタツに置いた卓上コンロでぐつぐつと煮る。

 航がスマホで紙の完成までを検索すると、牛乳パックに水を浸すだけで数日かかるが、今のように煮れば十五分に短縮できる。なら乾燥はと聞けば、AIは「数時間~半日(天候や方法によって異なる)」と回答した。


「紙なんか作って、どうするの」

「写経だ」なるほど?「呪力を高めるにはこれが一番だからな。その後で毎度お馴染み呪いのワラ人形を作るから、怨家おんけ――呪う相手の情報をできるだけ寄こしてくれたまえ。名前の他に生年月日、血液型、星座、両親の名、写真、髪の毛や爪」

「スマホに写真とかある?」と言ったのは紗蘭すずらん。「アプリ入れたらセブンで印刷できるから、持ってきてね~」

「あ、うん」


 しかし……どうして自分は、呪詛を勧められてホイホイ着いてきてしまったのだろう。たぶん、追いつめられて判断力が落ちていたのだろうが。


「後は、やっぱり釘を打つの?」興味本位でついたずねる。

「もちろん。実行は草木も眠る丑三つ時と決まっているから、これは我が輩の部屋で行う。本当は神社の境内などが最良だが、致し方あるまい」


 致し方ない、仕方ない。ああ、航自身の心境もそうだ。

 首を吊ろうとして栄太郎と紗蘭に見つかり、帰ってくれそうにもないから適当に話に乗っかった。そしていつの間にか、本当に呪詛をやるという話になっている。


「呪いの効果って、どのぐらいで出るの」


 死ぬ気になれば何でもできるだって?

 航の本音は「消えたい」「休みたい」だ。久重ひさしげ隼馬はやまがどうなろうと関係ない、あいつ一人消えたって、〝セミナー〟も学校も、人生も続くのだ。


「知らぬ。効果が出るまで、毎晩毎夜、我が輩が釘を打つまでだ」


 こちらを見向きもせず、栄太郎は事もなげに言い放った。


「じゃあその呪詛、ぼくにかけてもらえるかな」


「……何故なにゆえ?」鍋を見ていた自称呪術師は、航に向き直り問う。

「もともと君らが邪魔したんだよ。責任持って、楽に死なせるぐらいしてもいいと思うけどな。今日中に効かないなら、自分でやるからいいよ」

「相手を呪うより、自分が死ぬ方を選ぶと」

「そうだよ」


 もう面倒くさい。とにかく死にたい、早く休みたい。どう考えても自分が楽になるには、この二人に任せて呪いの効果を待つより、首を吊るのが確実だ。


「ホントに~?」


 笑顔を貼りつけた紗蘭が言うと、からかわれている印象が倍増した。


「一人呪ったところで、あまり変わらないし」

「うむ、復讐すべき相手は複数いるのだな! なら全員呪ってやろう!」

「だから、そういうのいいって」


 栄太郎は必死に呪わせたいようだが、彼の事情など航は知ったことではない。


「どうしよっか、栄ちゃん。の生け贄にしちゃう?」

「呪殺はともかく殺人はマズい」


 変な倫理観だなあと思うが、法的に問題ないかどうかなのだろう、と航は一人納得していた。ケーセーさまが何かは知らないが、ご所望なら都合が良い。


「じゃあ、ぼくが自分で生け贄になればいいんじゃないかな」

「いや、うちの敷地内で死体を始末しないといけないのはちょっと」


 死体は損壊罪そんかいざいとか遺棄いきざいとか色々あるから、置いてあるだけでかなり問題になるには違いない。ケーセーさまは人身ひとみ御供ごくうはお呼びではないのか。

 紗蘭はきこっ、と航の方に首を向けた。小学校のころ、女の子ならだいたいみんな持っていた着せ替え人形を思い出す。少女漫画みたいな顔立ちの、けれど現実の人間としては不自然極まりない可愛らしさと笑顔が、そのまま動いているような。


家嶋いえしまくん、ちょっと寝た方がいいんじゃない?」

「寝られないんだよ……」

「アタシ眠剤ミンザイ持ってるよ。睡眠薬。いっぱい飲んでも苦しいだけで死ねないよ」

「……よく眠れる?」


 ここへ来て、航は初めて心が動いた。


「寝れる寝れる」紗蘭は自分のバッグをあさった。「朝に3錠、昼に1錠、晩に6錠と寝る前に3錠。三つのうち一つは安定剤だったけど、もう一緒でいいよね」


 医師が処方した薬を他人に譲渡する行為は、薬機法やっきほうや医師法などに抵触する危険な行為だ。しかしこの場にそんなモラルを持った者はいなかったし、リスクがあるとしても死にたいほど疲れ切った航には、むしろ歓迎すべきことだった。

 紗蘭はピルケースから寝る前の3錠を取り出し、恩着せがましく付け加える。


「これあげるんだけど、タダじゃないからね。分かる?」

「……死ぬ前に、借りは返すよ」


 水をもらって錠剤を飲み干した航は、一〇分もすると大あくびをして、ごろりと横になった。ちょうどコタツぶとんが体を温める。


「わ、早ーい。アタシ、飲んでも一時間ぐらいしないと眠くならないのに」

「飲み慣れていないのだろうな。よし、寝ている間に作業を勧めよう」


 二人の声が遠ざかっていく……


――次に目覚めた航は、かなり頭がスッキリしていた。

 室内にはゆでほぐされた牛乳パックの、素材そのままというパルプの香りに、カップ麺とおぼしき脂の残り香がただよっている。

 航が身を起こすと、栄太郎はワイヤレスアイロンで紙を乾かし、紗蘭はモバイルバッテリーにつないだスマホでゲームをしていた。

 時刻は昼の二時過ぎ。早朝から行動していたので、八、九時間は寝ていたことになる。


「やっと起きたな。カップ麺の買い置きがあるので、食べるかね?」

「……どうも」


 カップきつねうどんを食べ、顔を洗い、外の草むらで用をたすなどする間に、栄太郎が色々説明してくれた。ここは廃集落の一角に建つ、かつて栄太郎の祖父母が住んでいた旧物集もずめ家で、今も土地建物を実家が所有している。

 電気もガスも通っていないが、美味しい地下水が湧いているため、水道だけは現在も使い放題だそうだ。トイレは役に立たないが、秘密基地としては最高。

 もうしばらくしたら暗くなるので、帰らなければならない。その前に。


「さて、我が輩に呪いを依頼する決心はついたか?」


 薬によるものとはいえ、ぐっすり眠った効果は大きかった。渡された錠剤には眠剤の他に、精神安定剤もふくまれていたからか、航の気力はかなり回復している。

 ひとまず、死にたい、休みたいという気持ちはすっかり消えていた。あんなに〝これしかない〟という一本道だった思考が、今やひらけて複数の選択肢が見える。


 選択肢A・彼らに別れを告げて、今まで通り登校とアルバイトを続ける。

 選択肢B・よく考えたらかなり怪しい二人組に、呪いを託してみる。

 選択肢C・イチかバチか母親に相談してみる。


 航にとって最も現実的なのがA、理想的なのがCによる解決だ。だがAはまた追いつめられ、同じ状態に陥ることが見えていた。Cは、父親による叱責とおそらく暴力が入り、何も解決しない上、母を心配させるだけだろう。

 Cの選択肢を理想的と言ったが、本当なら相談したくはない。中学の時から心配させてきたのだ、高校では息子は変わったのだと思ったままでいて欲しい。


 それには、何かの拍子に隼馬たちが心を入れ替えるだとか。

 父親の突然の都合で航が転校するだとか。

 あるいは隼馬たちがみんな居なくなるだとか、そういう……天の助けが、いる。


 これまでなら、航はAを選んで都合の良い奇跡を祈ることしかできなかった。だが今、目の前に、Bの選択肢が示されている。

 やることはAと変わらない。状況は悪化し続けるなら、呪い返しが起ころうがなんだろうが、航はもう知ったことではないのだ。であれば。


「やるよ。呪い」

「うむ!」


 拳を天に突き出すのをこらえる代わりに、栄太郎は固く腕組みをして見えた。そんな満面の笑みだ、航がいなければ小躍りを始めていたかもしれない。

 自称呪術師は、真剣な面持ちになって座り直した。襟元や髪型をただし、いかにも今から真面目な話を始めます、という雰囲気をかもし出す。航もそれにならった。


「では改めて。詳しい素性と、ここまで追いつめられた経緯、なぜ呪いたいかなど説明してもらえるだろうか」


 言われるがまま、航は高校入学からこれまで久重隼馬と、彼らのグループに受けた仕打ちを話していた。紗蘭が合いの手を入れ、時々ティッシュを差し入れる。

 わあわあ泣くというものは、ドラマのように格好がつかないものだ。鼻水やよだれはドバドバ出るし、顔面が土砂災害のようにぐしゃぐしゃになって、とても見られたものではない。冷たい茶をもらって、何度か中断を挟んで航は語った。


 気がつけば中学時代のいじめや、横暴な父親が支配する家庭環境についてまで。それらを吐き出してスッキリしたかというと、多少はそうだ。だが、それだけ。

 人に相談して、後は自分一人がやり過ごば解決できるような段階は、とっくのとうに過ぎている。自死しか考えられなくなった航は普通の状態とは言いがたく、こうして会ったばかりの同世代に何もかもぶちまけて、いっそう興奮していた。

 頭蓋の底が開き、己がもっと高い所へ押し上げられた、そんな気分だ。


「いいぞ、もっと憎め、怒れ、恨め、自分と同じ、それ以上の苦しみを味わわせたいのだろう? ハッキリとした形で自分の思いを吐き出さねば意味がないというもの、こちらも呪い損だ! 。さらに苦しめと」


 栄太郎が航に呪言じゅごんをけしかける。

 大事なのは、自分の心を見つめること、正直になることだ。


「あいつを、久重隼馬を、呪う。……不幸になれ。友達を失って、一人ぼっちになれ。ぼくの目の前から、消えてなくなれ、いなくなれ。消えろ、消えろ、消えろ!」


 隼馬たちと友達になりたいと思った、なれそうだと錯覚した。その憧れも、喜びも悲しみもねたみも、裏切られたという絶望も、一カ所になだれ込むと区別のつかない黒に濁って、どくどくと病んだ熱がおこる。臭いがあれば酷い悪臭だろう。


「その意気や良し! もっと、もっとだ!」

「しね、シね、死ね、久重隼馬。日野、三輪田、上森、あいつらみんな死んじまえ、隼馬が一番に死ね。人生ぜんぶ棒に振れ。寝たきりになって全身激痛に苦しみながら、動けないまま過ごせ、口がきけなくなれ。何もかも思い通りになんてなるな。家族から恥さらしと見捨てられて野垂れ死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!!」


 どうして自分が死なねばならない。死ぬべきはあいつらだ。それも惨く、残酷に!



 どれほど茶番に見えても、儀式は厳粛に行われることに意義がある。


「敬白、天罰霊社起請文きしょうもん


 起請文を読み上げるため航が鈴を鳴らした社は、粗末な手作りの神社だった。サイズ的には、祠と言った方が正しい。中学の時、図工で作った本棚を思い出させる。

 真四角の木箱は三角の屋根と、観音開きの扉が取りつけられ、一応それらしいていを成していた。ピンポン球ほどの鈴と、紅白の縄をより合わせた緒まである。


「一、南無、警世けいせい菩薩ぼさつ大明神だいみょうじん。わたくし家嶋いえしま航は、同学年の久重隼馬によって、冴之木さえのき学園高等部に入学以来、常にずる賢く苦しめられました。憎んでも憎んでも飽き足らない久重隼馬を怨敵とし、わたくし自らの呪詛によって、一刻も早く残虐な死に陥れたく、なにとぞお力をお貸しいただけますよう、お願い申し上げます」


 神社で真剣にお参りしたことなどないが、初めての神頼みが呪詛になろうとは。


「二、ことが成就した暁には、そのお礼といたしまして、御堂みどうに鳥居を一基寄進させていただきますことを、謹んでお誓い申し上げます」


 社殿は腰の高さまで積んだコンクリートブロックに鎮座し、扉についている金色の取っ手と鈴、プラスチック製の漆塗り風お膳だけが、不似合いにピカピカしていた。

 鳥居そのものは、社の制作者がこしらえたものがすでにあった。どこから拾ってきたのか、腕ほどの太さがある木を組み合わせた、樹皮そのままの一品だ。


「三、もし、わたくしが右の誓いを破った場合には、警世菩薩大明神の冥罰みょうばつにより、どのような地獄に落として下さっても構いません。

 四、よって起請の事情は、前記記載の通りです。

 令和八年十月×日 家嶋航(印)」


 印は人差し指を切って血判を押してある。

 ぱちぱちぱち、と背後から二人分の拍手が鳴った。


「素晴らしい! これにて君は呪詛という大業への一歩を踏み出した。神に誓えば後へ退くことは不敬となり、迷いやためらいを捨てる良い機会となっただろう!」


 栄太郎はやたらめったら上機嫌な様子だ。


「では続けて、〝一味いちみ神水しんすいの儀式〟を行う。すずちゃん!」

「こっちは準備おっけー♪」


 もう一つの拍手の主、紗蘭がわざとらしいアニメ声で答えた。

 警世大明神の社は、木造二階建ての裏庭にしつらえられている。前庭は広々として小さな土蔵と納戸があり、昔ながらの農家といった風情だ。

 建物のうち、主に使われている部屋は二カ所。航が起請文を書かされた居間はその一つで、三人はまずそこへ戻った。早めのコタツに卓上コンロが置いてある。

 栄太郎は隣り合う台所から大きく深いフライパンと、何やら重そうな茶色い袋を持ってきた。フライパンをコンロに乗せ、袋から注がれた中身は塩だ。


「家嶋くん、髪の毛ちょうだい。三本」

「いいけど、ハサミの先をつきつけないで……」


 紗蘭は庭で集めた松葉を紙で束ね、その上に糊をつけて航の髪を巻いた。本来は髪の毛で縛ったりするのだろうが、短いからこの形にしたのだろう。

 彼女は塩を敷きつめたフライパンの底に松葉を置いた。


「せっかく書いたところ悪いが、起請文をちぎって中に入れるがいい」と栄太郎。

「なんで?」

「燃やして灰を飲む、これが一味神水の儀式だ。奇異に思えるかもしれんが、護符を体内に取り入れることで神仏と一体となり、呪力を強めるぞ」


 栄太郎は起請文の裏面を指さした。

 それは真ん中に「警世菩薩大明神」と大きく書かれ、難解な漢字がごちゃごちゃ並び、空いた所に黒猫の絵が描かれている。そして上から朱印が押してあった。

 元より言い争うつもりのない航は、さっさと起請文をちぎった。栄太郎は紙片を一つ取り、ライターで火を点けて放りこむ。


「ではご一同、燃え尽きるまで我が輩に続いて呪文のご唱和を願う。うん・ねいるねが・どまら、南無警世菩薩よ、久重隼馬に災いあれ」

「うん・ねいるねが・どまら、南無警世菩薩よ、久重隼馬に災いあれ」

「うん・ねいるねが・どまら……」


 松葉は枯れたものだったから早いが、紙の方はそこそこ時間がかかった。

「あちちち」と言いながら栄太郎はスプーンで灰をかき集め、マグカップに放りこんでペットボトルの水を注ぐ。紙と葉の燃えかす入りなんて嫌だなあと思っていたが、喉が渇いたおかげで一気飲みすることができた。味はまったく良くないが。

 しかし航は、なんだかんだ楽しくなってきていた。


(あ、そうか)


 思えばこの半年、母と妹以外で自分のことを普通の人間のように接してくれたのは、この二人が初めてではないか。

 傍から見れば馬鹿馬鹿しいオカルトごっこでも――その合間に紙すきとか、呪詛とは縁遠そうな工程が挟まっても――仲間がいるのはいいものだ。

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