第2話
九月以降十一月末に至るまで、鷹野幸夫は二週間毎の木曜午後一時半に山手医院へ通院していた。花岡優希美の診察は午後二時からの指定だったが、ほとんど必ず三十分前には医院に着いていた。体調もメンタルも、概ね安定している様子だった。
「美由ちゃんは何をくれたんだろう」
義妹の鷹野麻美の娘・美由から、来月の誕生日プレゼントとして受け取ったライトグリーンの包み紙を、幸夫は診察室の前の席に座ってほどこうとしていた。その時に幸夫の受付番号が診察室のドア脇に表示された。あわてて幸夫は診察室に入ったが、美由からのプレゼントの包みは座席に置かれたままだった。
十五分ほどすると、診察室のドアの擦りガラスに動く人影が映り、礼を述べる幸夫の声が聞こえた。「ありがとうございました、失礼します」
幸夫が出てくると、診察室前の席から女性の声がかかった。
「あの、これ。お忘れ物じゃないでしょうか。席に置いたままでした」
「ああ、そうです。私のですね。ありがとうございます」
幸夫は照れを隠せず、素直に礼を述べた。
「ごめんなさい、中を見ちゃいました。お好きなんですか、『モモ』」
意外な本を読むんだなという風に女性は応じた。
「私もこれ、好きなんですよ」と、女性はそのキャンバス地のカバーがかけられている『モモ』と包装紙を幸夫に手渡した。
「あぁ、『モモ』だったんですね。これ、姪がくれたものなんですよ。そうかぁ」
「あら、ご存知なかったんですね。でも、そんな大切なものを忘れるなんて、よくないですよ。これを見つけるのが私でよかったわ」
その女性は嫌味を言ったつもりだろうが、屈託のない笑顔がそれを隠してしまっていた。
「本当にありがとうございました。あの、失礼ですが花岡先生に診察を受けられるんですか」
「いえいえ、私は吉田先生に診ていただいてます。診察が終わったら、これがあるのに気がついたんです」
「そうでしたか、あの、」
「杉村です。私もこの本、好きなんですよ。お読みになったことがあるんですか」杉村佐和子は幸夫に尋ねた。
「私はたかのです。鳥の鷹。もうずいぶんと前に読みました。あ、これから診察なんですよね。呼び止めてしまったみたいで、失礼しました」
「いえ、私はもう診察は済んでいます」
「そうでしたか。では、会計を済ませましょうか」
思いがけず佐和子に名を告げられた幸夫は、申し訳なさそうに会計を済ませるよう促した。そう言えば何回か見かけていたかもしれない。そうだ。
「髪を伸ばしてましたよね。お切りになったんだ」
「いやだ、どこで見られてたんでしょう」
「いや、本当にすいません。何で覚えてるんだろう」
幸夫は赤面していることを自分でも感じていた。そんな折り、会計が済んだ佐和子が窓口から呼び出された。
「すぎむらさん。すぎむらさわこさん。お会計です」
ああ、そうだ。ここで呼び出された杉村さんを見ていたんだ。幸夫はそう思いついた。
「杉村さん、その本の感想、うかがってもいいでしょうか。私、病気をするようになってから、本を読めなくなってしまってて。たまには本の話ができたらいいなと思うんです。ご迷惑でしょうか」
自分は何を言っているんだろう。思いがけず出てしまった言葉に、誰よりも幸夫自身が驚いていた。
「それなら、場所を変えませんか。私は隣駅まで行くんですけど、そこまでおつき合いくださるならね。コーヒーでもいただきながら話しましょう」
幸夫の提案を、佐和子は快く受け入れた。
(つづく)
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