第32話 この音が終わらないうちに

文化祭の午後、講堂は静かな熱気に包まれていた。


 舞台袖で、心音たちは円になって手を重ねた。

 六人の呼吸が、ひとつになる。


「──行こう」


 奏多の声が合図だった。


 拍手に包まれながら、彼らは舞台へと歩き出す。

 ステージの中央、譜面台も立てず、ただ音楽と向き合う準備を整えた。





 一音目が、静かに放たれる。

 心音のヴァイオリンが風のように吹き抜けると、それに応えるように美月のオーボエがやわらかく重なった。


 綾乃のセカンドヴァイオリンは、二人をそっと繋ぐように。

 そして澄香のフルートが、空気を澄ませるように高らかに響いた。


 陸のチェロが、地を踏みしめるように低音を支えると──

 奏多のピアノが、すべてを包み込むように流れ出す。


 六人の音が、ひとつになる。





 客席の空気が変わったのは、中盤のソロパートだった。


 心音のヴァイオリンは、どこまでもまっすぐに。

 その旋律には、いつかの涙も、戸惑いも、ぜんぶ含まれていた。


 続く美月のオーボエは、切なくも温かい。

 叶わなかった恋も、それでも「大切なもの」だと信じる強さがあった。


 澄香のフルートは、やわらかく、でも確信に満ちていた。

 もう、誰かと比べない。自分だけの音を、信じていた。


 陸のチェロは、綾乃に向けられていた。

 言葉にできなかった想いが、音になって真っ直ぐ届く。


 綾乃のヴァイオリンが、そっと応えるように震えた瞬間──

 彼女の視線は、奏多ではなく、初めて陸を真っ直ぐに捉えていた。


 最後は、奏多のピアノ。


 旋律に乗せられた言葉は、心音への想い。

 伝えきれなかった気持ちも、すべて音にして──

 彼の奏でる音は、まるで優しい告白だった。





 ラストの和音。

 その音が空間に広がり、消えていくまでの数秒──

 誰もが息を止めた。


 音が完全に消えた瞬間、会場からは嵐のような拍手が起こった。





 舞台袖に戻ると、誰かがぽつりと呟いた。


「……終わっちゃったね」


 でも、心音は首を振った。


「違うよ。やっと、始まったんだと思う。──私たちの音が」


 美月が笑い、澄香が静かに頷く。

 綾乃は、隣で照れくさそうな陸の袖をちょんと引っ張った。

 そして──奏多が、ゆっくりと心音に近づいた。


「……この音が、終わらないうちに」


 彼は、小さく囁いた。


「──君の隣に、いてもいい?」


 心音は驚いたように目を見開き、少しの沈黙のあと──笑った。


「うん。ずっと、いて」





 不協和音だった私たちは、少しずつ、ハーモニーになっていく。

 完璧じゃなくていい。

 すれ違ったり、ぶつかったりしながらでも。

 その音に“想い”がある限り、きっと、どこまでも響いていける。


 ──これは、六人が奏でた、一度きりのアンサンブル。

 でも、その余韻は、まだ心の中で鳴り続けている。

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私たち、不協和音 菊池まりな @marina_kikuthi

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