第29話 心の距離、音の距離

昼休み、音楽室の窓から斜めに差し込む光が、譜面台の上を照らしていた。


 六人は輪になり、文化祭の自作曲に取り組んでいた。

 主旋律を誰が奏でるか、どこにハーモニーを加えるか──音の中に自分たちの感情を宿す作業は、簡単ではなかった。


「ねえ、この旋律、心音が出したやつだよね」


 澄香が優しく尋ねると、心音は静かに頷いた。


「最初の部分……“そっと歩み寄る気持ち”を音にしたくて」


「繊細だね。私じゃ絶対書けない」


 そう言いながら、澄香はその音をそっとフルートで吹いてみた。


 ──すう、と息を吸い、澄んだ音が部屋に響く。


 その一瞬、誰もが言葉を失った。

 音は確かに心音の旋律だった。けれど、澄香が吹いたことで、その音には「迷いを越えた優しさ」が乗っていた。


 (これが、澄香の音……)


 心音は胸の奥で、少しだけ羨ましさと、ほんのわずかな憧れを感じていた。





 放課後、パートごとの合わせ練習。


 美月と澄香は別室で木管合わせ。

 陸と綾乃は弦のリズムを調整する。

 そして、心音と奏多はメインの旋律と伴奏の重ね方を探っていた。


「ちょっとこのタイミング、ずれてるかも」


 心音が譜面を見ながら言うと、奏多は少しだけ困った顔をした。


「……それ、俺のテンポ、速すぎ?」


「ううん。むしろ……私のほうが、奏多に合わせすぎてるのかも」


 「合わせすぎてる」──その言葉に、奏多の指がふっと止まった。


「心音、もしかして……無理、してる?」


 「え?」


「さっきの合わせのときも思った。いつもの君なら、もっと強く引っ張るはずだって」


 奏多の言葉に、心音は小さく笑った。


「……私、奏多くんに“合わせたい”って、思ってるのかも」


 不意に、空気が変わった。

 風もなく、時間さえ止まったかのような静寂。


「……それって」


 「恋とか、そういうのかは……まだわかんない。でも、たぶんね──奏多くんの音と、一緒にいたいって思うの」


 その言葉に、奏多は息をのんだ。

 そして、ゆっくりとピアノの鍵盤に手を置いた。


 「……じゃあ、俺もちゃんと、心音に合わせる」


 再び音が響く。


 今度は、どこまでもやさしく、けれど真っすぐに。

 音と音が重なるたび、ふたりの心の距離も、少しずつ近づいていくのだった。

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