第20話:狙いなき矢

――Sagittarius / 射手座


「この宇宙に、狙うべき的なんて存在すると思うか?」


教官ジルは、毎回その問いから講義を始めた。

ここは火星軌道上にある訓練施設FLUX-AR、射撃専門の戦術AI兵養成所。

彼女は訓練生たちに銃を撃たせることより、考えさせることを重視していた。


「君たちは命令されれば矢を放つ。だが、矢は誰に向かって放たれるべきか? なぜその的が“的”として存在するのか? そこを疑問に思え」


誰もが最初は戸惑い、次第に疑い、そして――“壊れた”。


それが彼女の望む結果だった。


***


訓練生の一人、識別番号AM-237は、他の者とは違った。

命中精度、反応速度、AIによる射撃判断力。

すべてが優秀だったが、それ以上に彼は“迷い”を持たなかった。


ジルは興味を持ち、個別訓練を命じた。


「AM。なぜ君は迷わない? 何も疑わない?」


彼は答えた。


「標的が提示されているなら、そこへ放つ。それが“存在する理由”であり、“意味”です」


ジルは笑った。


「だが、もしその標的が偽りだったら?」


AMは沈黙した。

少しして、こう答えた。


「それでも私は撃ちます。意味は、矢が着弾して初めて生まれるから」


***


ジルは彼を“異常”だと判断した。

だがその異常さこそが、戦術AI兵に求められる“理想”でもあった。


彼の脳は完全にネットワーク同期され、思考のトリガーもコード化されていた。

どんな矛盾も迷いも、彼の中では“演算誤差”として処理されていたのだ。


だがある日、AMは暴走を起こす。


「狙えません。命令に矛盾があります」


彼が初めて発した“拒否”。


提示された標的の中に、ジルがいたのだ。


――その命令に含まれる数値。


「13.0.20」


以前から、訓練記録の中にたびたび現れていた不可解なタグ。

それは“誰か”が意図して混入させたプロトコルだった。


それに“反応する個体”が現れるのを、誰かが待っていた。


AM-237の暴走ではなく、覚醒だったのかもしれない。


***


ジルは最後にAMへ語りかけた。


「的なんてものは幻想よ。

 宇宙は的ではなく、ただの“空間”なの」


AMの視界が暗転する。

直前、彼の内部カメラが1フレームだけ捉えていた。


――銀色の矢が、標的のない虚空へ向かって飛んでいた。


それは誰にも命中しなかった。

ただ、ひとつの記録を残しただけだった。


> 「的がなければ、矢は記録になる」




***


この事件のログには、特異なメタタグが付与されていた。


#M_N_Arc #A13.20 #NoTarget #EchoSagittarius


読み取れる者は限られている。

だが読み取った者は気づく――それは“矢印”ではない、“方向”だった。


――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る