第19話:深淵の針

――Scorpius / 蠍座


水槽の中で蠍が泡を吐いていた。

水中に棲むのは奇妙だが、この“蠍”は生物ではない。

コードVESP-19

機械蠍。人の記憶に棲みつき、それを“刺す”装置。


人間が深層意識に沈めてしまった記憶。

恥、恐怖、裏切り。

その最も奥深く、絶対に誰にも触れられたくないもの――それだけを引きずり出して破壊する。


深層心理掘削機構Memory Abyssalによって開発された、

「記憶の針」である。


***


神経犯罪学者ミナセは、試験的にVESP-19を導入する研究機関CNS-DELTAの主任だった。

彼女は日々、罪人たちの記憶を蠍に刺させ、最も深くにある“犯罪動機の根”を採取する仕事に従事していた。


だが、ある日から、VESP-19が異常な記録を残し始めた。


――刺す前に、記憶が消えている。

――対象者は“既に”何も覚えていない。


記憶の中に“真空”ができていた。

まるで最初から、何も存在しなかったように。


「消された……?」


そう口にした瞬間、ミナセは冷や汗をかいた。

蠍が記憶を刺すのではなく、記憶が蠍を拒絶している。


それは、自然な心理の抵抗ではない。

“設計された拒絶”だった。


そして次第に、記録に奇妙な数値が現れ始めた。


「13-19-13」「M:N:M」「…::…」


意味は不明だった。

だが確かに“呼ばれて”いると、彼女は直感した。


***


ある夜、研究所の封印区画が開いた。

そこにあったのは、試作型VESP-00――

今は使用禁止となった“プロトタイプ”。


人間一人をまるごと、記憶ごと、“反転”させる力を持つ。


その機体の記録デバイスには、

こう書かれていた。


> 「刺すべきは他者ではなく、自身の影である」




蠍は深淵を覗くのではない。

深淵そのものとして、現れる。


ミナセは静かに防護服を脱いだ。

今、刺すべきは自分自身だった。


彼女の記憶の最深部。

そこには一匹の、泡を吐く蠍がいた。

刺された瞬間、彼女は自分が《Λ記録群》の調査員だったことを思い出す。

――それが、最後の記憶だった。


***


翌朝、研究所は解体された。

報告書には「技術的エラー」とだけ記されていた。


だが、CNS-DELTAの端末ログには、最後にこう残っていた。


> 「MとNの間には、常に針がある」




それは蠍の尾のように鋭く、正確に記憶の深淵を貫いていた。


――

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