第18話:光と重さ

――Libra / 天秤座


「人は、真実を量ることができると思いますか?」


重力均衡都市オルド・リュブラの法廷では、必ずこの問いが発せられる。

有罪も無罪も、この問いに向き合う資格を問われる。


それは単なる慣例ではない。

この都市では、“質量”こそが唯一の証拠だったからだ。


文字通りの話である。

《オルド・リュブラ》では、記憶も感情も、記録された発言すらも、すべてが「質量化」される。


例えば、嘘をつけば、その言葉には軽さが伴う。

痛みを伴う記憶には、重さが宿る。

愛はおおよそ3.1g前後、憎しみは不定形で0.9gから5.6gの振れ幅を持つ。


そして――

罪は、量れる。


それがこの都市における“天秤”の定義だった。


***


事件は、奇妙な形で発覚した。

「質量ゼロの死体」が発見されたのである。


男は、明らかに死亡していた。

身体はそこにあり、映像記録にも残っていた。

だが、重力台の上では、まるで存在していないかのように反応しなかった。


捜査AIは混乱し、裁定官すら判決を下せなかった。

なぜなら、死には常に質量が伴う――それが、この都市の常識だったからだ。


唯一、静かに語ったのは記録官S02-Nだった。


「これは“失衡”です」


彼女は、“天秤”が意味するものを誰よりも理解していた。


「彼の“罪”も“悔恨”も、“記憶”さえも、誰かが引き取った。

 彼のすべてを“誰か”が肩代わりし、重さを持ち去った」


つまり、その死体はもう、存在する必要がなかったのだ。


「天秤の片側が空になったなら、もう片側はどうなりますか?」


そう告げると、彼女はそっと、自らの左手を秤にかけた。

音もなく、その質量が弾き出された。


8.66g。


それは、この都市の基準値“均衡ライン”と、完全に一致していた。


***


その夜、彼女は姿を消した。

記録官室には「Libra」という一言と、1本の白い羽根だけが残された。


以降、都市では“無重記録”が急増した。

目には見えるが、重さを持たない記憶。

音声はあるが、意味を持たない会話。

そして、罪なき犯罪者たち。


誰かが囁いた。

「天秤は壊れたのではない。測定者がいなくなっただけだ」


天秤は中立ではない。

測る者の意思が、そのバランスを決めていたのだ。


***


あるデータスパイが発掘した記録ファイルには、こうあった。


> 「真実とは、最も重くないものに過ぎない」

――Λ記録群・未分類コード13 / 《L》




***


遠く、破壊された記録官室の瓦礫の中に、今も天秤は静かに横たわっている。

誰もそれに触れようとはしない。

なぜなら、量られるのは“他者”ではなく、“自分”かもしれないのだから。


――

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