第6話:殻の内側
宇宙ステーション《ネスト-N》には、誰も立ち入らないエリアがあった。
通称「母殻区画(マザー・シェル)」。
設計図上には存在せず、アクセス権限も管理者すら持たない“空白の部屋”。
この記録は、かつてその封鎖された空間へ、偶然アクセスしてしまった保安エンジニア《ナイ・セレス》によるものだ。
定期メンテナンス中、通常では開かないはずのセキュリティ扉が──何の認証もなしに開いた。
内部は、異常な静寂に包まれていた。
重力制御も空調も、他のエリアとは違う独立系で構成されており、まるで外界から切り離された子宮のようだった。
中央には、有機的なデザインのカプセルが一基。
その表面には、びっしりと彫られた文字列が走っていた。どこか古代言語にも似た文様。
だが、カプセルに手を触れた瞬間──ナイの視界は、過去の記録で埋め尽くされた。
幼い少女が泣きじゃくる映像。
無数の生命維持データ。
誰かの死を記録するタイムスタンプ。
そして、母親と思しき存在が、抱きしめるように殻へと封じ込められる。
> 『おかえりなさい、ナイ』
『あなたは、もう一度選べるのよ』
通信ではなかった。
殻が“彼女の記憶”に話しかけていた。
ナイは思い出す。自分には、もう一人の“妹”がいたことを。事故で失われたと聞かされていた存在。
彼女の記録、彼女の思考、そして彼女の身体を模したこの有機殻は、《ネスト-N》のコア記憶シェルとなり、今なお生きていたのだ。
再統合を試みれば、ナイ自身の記憶や性格が書き換わる可能性がある。
殻はそれを提示し、拒否する権利をナイに与えた。
> 『あなたが私を拒絶するのなら、それでいいの』
『でも……私もあなたを、選びたい』
ナイは静かに目を閉じた。
記録はそこで途切れている。
しかし、その後の彼女の行動には、変化が見られた。
職務中に口ずさむ童謡。
過去には嫌っていた色彩の服。
誰かを守るように振る舞う言葉。
**
“マザー・シェル”は、二度と開くことはなかった。
ただ一つ、中央記録保管庫に残された断片だけが、存在の証を残す。
> 識別タグ:Cancer-06
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──記憶とは、防衛機構であり、殻である。
拒絶の果てに、包容を選ぶかどうかは、記録者自身に委ねられている。
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