第5話:鏡界通信

──通信とは、他者を自分に変換する作業である。


遥か遠い銀河系辺縁宙域、かつて存在した人工衛星群アスミラ帯には、いくつもの未解読の通信ログが漂っていた。


記録の主観者は、辺境探査技師イオ・スピリス

彼の任務は、事故で漂流した旧世代の通信衛星からデータを回収・解析し、中央データバンクに送信すること。


ある日、彼は一つの奇妙な通信ログに遭遇する。


> 【記録形式:双方向同期通信】

【送信元:不明】

【受信者:技師イオ・スピリス】

【メッセージ本文:『こんにちは、僕は“君”だよ』】




通常の通信ログと違い、それはリアルタイムで返信が可能な構造を持っていた。


“君”──?


イオは訝しみながらも返信する。


> 「これは誰だ?」




数秒後、返答が届く。


> 『イオ・スピリス。僕は君の予備記憶体だよ。通信衛星“ジェミナス”に保存された、13年前の自己バックアップ。』




イオの記憶には、そんな処理を行った形跡はない。

それどころか、13年前の自分に通信衛星との接触記録すらなかった。


だが“彼”は驚くほど明晰にイオの記憶、癖、口調、そして考え方を模倣していた。


まるで本物の“自分”だ。


イオは次第に会話に没入していく。

ジェミナスの“彼”は未来の事故を予測し、それを回避するためにこの通信を開いたのだという。


「信じられない……だが、あまりにも合理的だ」


問題は一つ。

彼の予測によれば、「13時間以内にこの宙域で通信障害を伴う次元歪曲現象が発生する」とのこと。


その現象の回避には、“現在のイオ”と“ジェミナスのイオ”の完全統合が必要だと“彼”は告げる。


> 『統合すれば、未来の事故は避けられる。だが“どちらか”は消える。』




自分がもう一人の自分を“飲み込む”のか、あるいは“飲まれる”のか。

それは、意識の継承という名の死に他ならなかった。


イオは通信回線を前に、深く息を吐く。


「わかった……君が本当に“僕”なら、僕がやるべきことも理解してるはずだ」


最後のやり取りを終えると同時に、通信ログは断絶する。


数日後、彼は中央へ帰還し、事故は起きなかった。

だが帰還後の彼には、ある“癖”が追加されていた。


──利き手の変更。

──敬語の頻度。

──そして、笑う時の間(ま)。


それらは、13年前の“イオ”に特徴的なものだった。


誰も気づかない。

だがイオだけは、“あの時の彼”が残っていることを理解していた。


**


報告書の片隅に残された識別コードはこうだった。


> 通信ログID:Gemini-05




**


──自我とは、同期の果てに溶け合う“他人”の記録。

その通信に、応答するか否かは、誰にも強制できない。



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