第4話:不換値

──宇宙の通貨は、価値ではなく「損失」の分母で成り立つ。


衛星軌道上に浮かぶコロニー《ヴァカリア・ステーション》。

そこは交易が禁じられた貿易都市だった。

矛盾した名称はかつての冗談──かつての“契約”による。


この惑星系では「値を交換する」ことが法で禁止されている。

物資は配給制。労働は全自動。

理由はシンプルで明快──“欲望”が暴走しすぎたため。


この記録の主観者は、財務アーカイブ管理人ノア・ミルカ

彼の任務は「古文書化された貨幣記録」を焼却することだった。


「ここにあるのは、かつて人間が執着した記憶そのものです」


“貨幣”──それは地球時代、人類を宇宙へ向かわせた原動力だった。

だがこの世界では、貨幣の概念が消失してからすでに233年が経過している。


ノアはその記録を焼却するたびに、不可解な“重み”を感じた。

帳簿は紙ではなく、データベースだ。

だが指先に伝わるような感覚がある。


ある日、彼は焼却対象の記録群の中に、異常な通貨単位を見つける。


> 単位名:Tau₮(トー・ト)

価値換算:記載なし

発行者:不明

使用用途:交換記録なし

記録コード:No.048-Tau




彼はその記録を削除せず、隔離フォルダに保存する。

すると翌日、監視AIから警告が入った。


> 【違反行為を検出】

【不換値への執着を記録】

【法的執行猶予:13時間】




「……執着したのか、俺は?」


彼は慌てて隔離記録を削除しようとするが、

その通貨単位Tau₮は、何度削除しても復活していた。


しかもフォルダ名が、時間とともに変わっていく。


> 00:13:00:00 — 不換値_1

00:12:59:59 — 不換値_2

00:00:00:01 — 不換値_4680




「価値は、失うことでしか定義できない」


その言葉がノアの脳内に浮かぶ。

誰の声でもない。

けれどあまりに“自然”だった。


**


13時間後。

ノアは処分対象となる直前、貨幣記録を全解放した。


だがその瞬間、驚くべきことが起こる。


何も変わらなかった。


ステーションは通常通り稼働し、人々は慌てることもなかった。

「Tau₮」は、ただ“在っただけ”で、何かを動かす力などなかった。


ノアは最終報告書にこう記す。


> 「欲望の形が変わっていただけだ。欲がなくなったわけじゃない」

「価値とは、動かない岩のようにそこにある。誰かが認識することで、初めて意味を持つ」

「Tau₮の発行者は不明。だが確実に“誰か”が見ていた」




ノアが隔離した通貨記録の最終コードには、ひとつの署名が追加されていた。


> コード署名:Taurus-04




それは、不動の価値を問うた者の記録。


**


──価値なき価値。

それでも人は、触れずにはいられない。



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