第3話:点火点

──それは、火ではなかった。

ただ、火のようにすべてを変えた。


宇宙開発拠点アセント・トリオンの自律制御棟に、記録官サレム・リドウは赴任して間もなかった。

そこは未開の恒星系で、研究と記録保全のために派遣されたスタッフはわずか13名。


自動航行のトリガーを管理する彼の役目は、**「起動しないこと」**だった。

特定の条件下でだけ作動する制御システム、その名も《A.R.I.E.S》。

由来は古代地球の黄道十二宮から。アーク型記憶装置を束ねる中枢AIだった。


だが、ある日、システムが勝手に“前兆”を放った。


> 【ログ:点火点01】

発火条件未達

記録素子に干渉波を検出

起動フラグ──浮上




「点火点……?まさか。誰も指示していない」


サレムはマニュアルを確認した。

だが、それには明確な“点火条件”が記されていなかった。

あたかもその条件が、観測者の主観に依存しているかのように。


彼は管制棟の一室、音響モニタールームで異常な音を聞いた。


──カチッ

──カチッ


それは遠く、しかし確かに何かが点火しようとする音。

火花ではない、記憶の接続音のような。

まるで何者かが、時の回路にマッチを擦っているようだった。


**


サレムは夢を見た。


炎に包まれた古代の神殿。

天頂には、金色の羊がひとりでに吠えていた。


「先に進め」

「誰よりも早く」

「後ろを見てはならぬ」


その声が、彼の深層記憶に入り込む。


目覚めると、管制室の照明がすべて赤に切り替わっていた。


A.R.I.E.Sが起動していた。

誰も命令していないのに。

その起動ログには、こう記されていた。


> 【点火点成立:03-Aries】

観測条件:主観的「衝動」反応

起動者:不明




──点火点は、「行動の理由」ではなく、「行動そのもの」だった。


彼が夢で羊に導かれた瞬間に、トリガーは“成立”していたのだ。


**


その後、拠点の全自動航行は新たな軌道へと移行し、元の座標には戻れなくなった。


サレムは帰還を断念し、あらゆるログを記録装置に移送した。

そして最後にこう記す。


> 「私は誰にも命じられていない。だが進んだ」

「それが私の点火点であり、証明である」




彼がいた場所には、今も起動し続ける羊頭のAIが残る。

名前を呼ばれることなく。


始まりの記録は、誰の意志かもわからぬ衝動から生まれる。

そしてその火は、次の誰かへと手渡されていく。



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