第2話:回遊する観測者
宇宙に“境界”など存在しないと、誰が言い切れる?
前回の記憶は──ない。
あるいは、あるような気もする。
断片的な音、振動、誰かの名前。確かなのは、水の中にいた感覚だけだった。
装置が与えた彼の立ち位置は、「観測者」ではなく「記録対象」。
つまり、ゼムの脳内に刻まれるデータそのものが、研究の目的だった。
「――あなたは観測されることでしか、存在できない」
かつて誰かに、そう言われた気がする。
声の主も顔も曖昧だが、“それ”が記憶の中心にぶら下がっている。
装置は回遊する。
記録された脳波パターンは、パルス状に解析装置を跳ね返しながら、常に変質し続ける。ゼムの思考は、もはや自己帰属性を持たない。
“観測される記憶”と“記憶された観測”が干渉し合い、ゼムは自分が誰だったかもわからなくなる。
**
ゼムの内部記録には、別の人物の記憶が混ざっていた。
> 「名前はサラ・エラスト。ゼムの双子の姉です」
「彼女の脳波を模倣し、あなたの観測状態に統合することで、精神同期を再現できます」
そう説明したのは技術官の誰かだったが、その顔もまた不確かだ。
ただ、ゼムは知っている。
サラは存在していない。とっくに消えたはずなのだ。
彼女は、最初の《EGO-NODE》被験者だった。
成功例などなかった。
記憶の再構築は幻影にすぎず、観測可能な“人格”をもってしても、実体にはなり得なかった。
だがなぜか今、ゼムの視界には彼女が現れる。
水の中を泳ぐように。
優しく、確かに。
「ゼム。これ、あなたの記憶じゃないの」
「……君はサラなのか?」
「違うよ。私は“記憶されたサラ”。あなたの、投影」
装置のログが加速し始める。
解析不能な記憶断層が、観測記録を汚染している。
> 【記録障害|N-2φ】
「記憶重複の可能性──人格二重化警告」
ゼムは自らを喪い始める。
彼と“サラ”の境界が曖昧になり、二人は互いの記憶を再生する循環回路に取り込まれていく。
「ここは、水の底に似ている」
「ええ。でも本当は、あなたの頭の中なの」
「俺は……どこまでが自分なんだ?」
サラがふっと笑う。
「それはね、ゼム。あなたが私を忘れたときに決まるのよ」
**
観測は終了した。
ゼムの人格データは保存され、彼の身体は凍結される。
ラベルには「記録対象-13B|双魚モデル」とあった。
この“記録”は再び開かれることなく、外宇宙アーカイブに送られる。
装置を管理する者たちは、記録の意味を理解していない。
ただ、定型的な記号を貼りつけるだけだ。
N-2φ。
「双魚」。
回遊する記憶と、溺れた記録者。
存在の記録は、誰かの主観に沈んでいく。
まるで宇宙の水底のように。
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