前世のマレは仔犬のとき、子どもたちへのクリスマスプレゼントとして、ペットショップから飼い主家族の元に買われていきました。でも、成長するにつれ、だんだんとうとまれるようになりました。

 犬を飼うということは手間暇もかかるし、お金もかかるものです。子どもがいくら世話をすると約束しても、そう簡単にはいきません。ましてや大型犬。ゲームやおもちゃと違って、飽きたら終わりというわけにはいかないのです。そのうち、散歩にも連れて行かれなくなり、鎖に繋がれっぱなしになりました。


 もちろん、このときのマレには別の名前がありました。しかし、マレはその名を忘れたかったし、二度とその名で呼ばれたくはありませんでした。だから、ここでも駅員さんが付けてくれたマレという名で通します。


 子どもたちは学校で嫌なことがあると、マレをいじめるようになりました。棒でぶったり、ドッグフードを鼻先ギリギリのところに置いて鎖に繋がれたマレが食べれないようにしたり、飲み水をひっくり返したりゴミや石を入れて飲めないようにしました。


 マレはかびが生え虫の湧いたフードと雨水で飢えや渇きを凌いでいました。 


 子どもたちがマレを苛めるのには、理由がありました。おとなの真似をしていたのです。

 おとなたちは外面を取り繕う分、家の中でその鬱憤を晴らしていました。当然、夫婦仲は悪く、離婚の話さえ出ています。子どもたちに当たり散らすのは日常茶飯。それで、子どもたちは、さらに立場の弱いマレに八つ当たりするようになったのです。弱いものからさらに弱いものへと続く負の連鎖……。


 大型犬といえども、何年もの間、短い鎖に繋がれっぱなしのマレに、どんな抵抗ができたでしょう。吠えれば吠えるほど、殴られ石をぶつけられるだけです。マレの体には血や泥がこびりつき、肋骨が浮き出ていました。


 目に見えてマレが弱ってくると、子どもたちは面白がってボロボロの犬小屋に追い詰め、小屋を叩いたり金属を打ち鳴らして大きな音を響かせました。

 人間の三、四倍もの聴力を持ち、取り分け高い音を聞く能力に長けた犬の耳には堪ったものではありません。マレが前足で頭を抱え耳を抑える姿は、子どもたちを余計に刺激し面白がらせました。ただ、この苛めはすぐに治まりました。近所の人たちから騒音の苦情が入ったのです。



 そんな日々が何年も続いたある日。

 突然、マレは鎖を引っ張られ外に連れ出されました。走るのさえままならないマレは自転車に引き摺られるようにして、バイパス道路が通る林の中に連れて行かれました。跨道橋こどうきょうの上には中高生たちがたむろしています。

 マレはこれからどうされるのか、すぐにわかりました。

 中の一人が抱えていた小さな犬を、ひょいと下の道路に投げ落としたです。


 ペしゃり。


 毛皮の中で卵が潰れたように犬は道路に当りました。まだ息のあった犬はこの場から逃ようと四肢を動かしましたが、無惨にも自動車がその上を通り過ぎていきました。

 中高校生たちは大笑いです。スマホで動画を撮っている者もいました。その中にはマレの家族だった子どもたちもいました。あの小型犬もこの中の一人が連れて来た飼い犬で、次はマレの番でした。


 でも、いくら痩せて弱っているとはいえ大型犬です。鎖で宙吊りにされても、そう簡単に手摺りを超え落とせるものではありません。それで後回しにされました。


 中高校生たちは今度は段ボール箱を道路目掛けて放り投げようとしました。中で猫の鳴き声がしています。それもおとなの猫と仔猫の声。中にいるのは母猫と仔猫のようです。

 母猫は段ボール箱の中で必死に暴れ、箱がわずかに開きました。中高生たちは何人かで箱を押さえ、道路に箱を投げ落としました。

 箱から飛び出した小さな黒い塊が転がってきて、マレの足の間でブルブル震えています。

 マレの元家族だった中学生がその塊に手を伸ばしました。


「みにゃ、にゃ」

 怯え切った仔猫の声に、母猫の断末魔の悲鳴が重なりました。箱ごと車に轢かれたのでしょう。

 マレには「この子を助けてください」という母猫の最後の叫びのように聞こえました。

 そして、遠い遠い日に母犬から引き離されてペットショップに運び込まれた小さな仔犬の自分が、怯え切った仔猫の姿と重なりました。


 マレの中でカチリとスイッチが切り替わりました。


 マレは唸り声を上げ、仔猫を掴み上げたその手に猛然と襲い掛かりました。マレのどこにこんな力が残っていたのでしょう。

 痩せ衰え、走ることさえおぼつかなかったマレのあまりの豹変ぶりに、他の子どもたちは襲われた仲間を見捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げて行きました。


 パトカーのサイレンが聞こえてきます。跨道橋こどうきょうから犬や猫を投げ落としている子どもたちがいると通報があったのです。


 元飼い主の中学生は救急車で病院に運ばれ、マレは行政施設に収容されて凶暴犬として殺処分になりました。



 黒い仔猫がどうなったのかは、マレにはわかりません。

 殺処分機「ドリームボックス」に押し込められたマレは、二酸化炭素ガスで窒息死するまで、ただひたすらに自分が助けた仔猫の安否を気遣い、その無事を願っていました。

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