桑の木の花
おばあさんの病気は、とても重いものでした。
駅員さんは、おばあさんが入院する前から、そのことに気が付いていました。
直接聞いたわけではありませんが、おばあさんのようすや言葉の端々から、終わりの日が近いことを察していたのです。
それは、とてもつらいことでした。もしかしたら、おばあさんより駅員さんの方がつらいのかもしれません。
だけど、駅員さんは前世で、まだ若かったおばあさんに、このつらさを味合わせていました。
前世では、二人は幼馴染みでした。
彼は故郷の海辺の小さな町に彼女を残して、遠く離れた大きな街の大学に行き、卒業後もそのまま都会の企業に就職しました。でも、いつかは生涯の伴侶として、彼女を迎えに行くつもりでいました。故郷を離れるとき、はっきりと約束をしなかったのは、内気というより、ちょっと臆病な彼の性格のせいだったかもしれません。
彼女の方も同じで、彼以外の人を考えることもできませんでしたが、言葉に出しては言えず、二人はずっと両片思いのままでした。
彼の死は突然の出来事でした。仕事で移動中に巻き込まれた航空機事故。
真相は
炎上する旅客機の中、パニックに陥る乗客たちの間で、彼が最後に願っていたのは故郷に残した彼女の幸せでした。
しかし、そう願うことは彼女のためというより、実は彼自身のためになっていたのです。
「なぜ、よりによって自分が巻き添えにならなければいけないのか。この瞬間だって世間の他の奴等は、のうのうと人生を謳歌しているのに」——
それが、最後の最後に彼女の幸せを願ったことによって、恐怖や負の感情から離れることができて、こうして無事に転生して銀河鉄道の仕事に就くことができたのです。
しかし、彼の最後の願いは、叶ってはいませんでした。残された彼女は、前世で幸せではなかったようなのです。
長い苦労の末、森の家に転生してきた彼女には、前世の記憶はありませんでした。
桑の木駅の森の家に新しく住み始めた人がいると風の噂で知ったとき、駅員さんは胸騒ぎがして、すぐにその人のことを調べました。当時は月の海本線ターミナル駅の助役をしていたので、それなりの情報源を持っていたのです。
それがどうやら前世に一人残してきたあの人らしいとわかったとき、矢も盾もたまらず、桑の木駅に転勤を申し出ました。
月の海本線ターミナル駅は、銀河鉄道の中でも
上司は駅員さんをじっと見て、「本当にそれでいいのかい」と念を押しました。「
「……わかっています」
「本当にわかっているといいのだがね。転生を重ねて行くことは、それぞれに与えられたそれぞれの運命だ。前世も今世も来世も、始まりがある以上終わりがある。それを繰り返し、いずれは全てが長い時間の中に溶け込んで行く。それを悟って淡々と受け流すのも賢い選択肢の一つだ。彼女はその選択を選んだのだろう。そうは、思わないかい?」
「はい」
「それでも、きみは
「はい」
ただ、ただ、会いたかったのです。海辺の町で別れたきりの初恋の少女に、もう一度会いたかったのです。
前世の想いを伝えるというよりも、未だ終わらない初恋のあの人に再び会いたかったのです。
だけど上司が忠告したように、やはり前世の記憶がない人との再開は思い
おばあさんが入院した日以来、駅員さんは眠れない夜にはいつも自問自答していました。
でも、これは自らが望んだことで、駅員さんにも必ずいつかはこうなるとわかっていたはずでした。
桑の木には、もう小さな白い花が咲き始めています。
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