【第17話 火の静寂、始まりの地】


 焼け落ちた山腹から立ち上る煙が、ようやく青空に吸い込まれていく。

 あれほど轟々と鳴り響いていた火山の咆哮も、今ではただの吐息のように、静かに空へと消えていた。


 ゴブは足元の岩を踏みしめながら、一歩一歩、慎重に前へと進んだ。


「……火山、おとなしくなったのだ……」


 ミレイがうなずき、少しだけ息を吐く。


「うん。地熱はまだ残ってるけど、もう噴火の危険はなさそう。魔物の気配も感じない……」


 そのとき、ふと風が吹き抜けた。火山灰の中に、紙片のようなものがふわりと舞い上がり、ゴブの足元に落ちる。


「ん……? これは……」


 少し離れた場所で、シンが地面に膝をつき、灰まみれの石を裏返していた。


「ここに何かあったみたいだぞ。焦げ跡が妙に整ってる」


 ゴブが駆け寄ると、そこには不自然に並んだ岩の破片があった。

 まるで誰かが意図的に残したかのような、それは──封印だった。


「これは……爺が言ってた、“問いの遺構”なのだ」


 封印はすでに壊れており、中からは黒く焼け焦げた木箱の欠片が見つかった。

 その隙間に、わずかに焦げ残った紙が挟まっている。


 ミレイがそっと取り出し、灰を払う。その指先は少しだけ震えていた。


「……これ、たぶん……ゴブへの……」


 紙片の中央には、震えるような字でこう記されていた。


『これを読むなら、お前はもう立派に旅をしているだろう』


 ゴブは目を見開き、その一節に見覚えを覚える。


「……爺、なのだ……!」


 手記の最後のページ。

 これまでの旅で探し続けた欠けた一枚が、ようやく、今ここに辿り着いたのだ。


 風が吹く。蒸気の残る大地の上を、静かに、優しく撫でるように。

 まるで、誰かが「よく来たな」と語りかけてくるような、そんな感覚が胸に広がった。


 ゴブは紙を胸に抱き、しばし目を閉じた。


「……来たのだ、爺。ゴブ、ちゃんと来たのだ」


 その様子を、少し離れた岩陰から記録官が見つめていた。

 彼は小さく頷き、誰にも聞こえぬ声でつぶやいた。


「これが、最後の頁か……」


 夕暮れが近づく中、ゴブたちは村の中央に残された広場へと足を運んでいた。

 そこは、かつて儀式や集会が行われていた場所らしく、石畳の一部がまだそのまま残っている。


 焦げ跡に囲まれた小さな空間に、三人と記録官は腰を下ろした。

 燃やし残された木々を集めて小さな焚き火をつくり、その温もりを囲むように。

 夕焼けが空を朱に染め、風がほんのりと硫黄の香りを運んでくる。


 ゴブは、先ほど見つけた爺の手記の最後のページを手に取っていた。

 炎の揺らぎに照らされる文字は、どこか懐かしくも温かい。


「……ゴブ、旅の中でいろいろ考えたのだ。」


 ぽつりと口を開いたゴブの言葉に、ミレイとシンが視線を向ける。


「“問い”って、こわいものだと思ってたのだ。わからないこと、知らないこと……それがボクにはたくさんあって、ゴブ」


 炎に照らされたその瞳は、過去を振り返るように静かだった。


「でも、“知りたい”って思う気持ちも、怖くなくなったのだ。これからも問いを探していきたいのだ」


 ミレイが柔らかく笑い、焚き火の火を見つめながらそっと呟いた。


「……私も。旅の中で、たくさん知らないことを知って、その中でゴブの言葉に救われた。だから──うん、私もまだ、答えより“知る過程”を歩いていたい」


 シンは一度、口を閉じて考え込んだ。

 そして、小さく息を吐く。


「俺は……たぶん、ずっと逃げてた。過去も、選ぶことも。でも、ゴブと旅して、逃げない自分でいたいって思えた。……だから、俺も一緒に行く」


 静寂の中で、三人の言葉が重なっていく。

 ぱちり、と焚き火が音を立て、火の粉が空に舞った。


 記録官が、焚き火の外側からそれを見守っていた。

 目を細め、少し遠い目をしながら呟く。


「……問いを抱き、語り合うこと。それこそが、この地に必要だった“始まり”なのかもしれませんね」


 少し間を空けて、付け加える。


「それでも、記し続ける者がいれば──この問いは、決して終わらない」


 その声は静かで、どこか嬉しそうでもあった。


 翌朝。

 火山の山肌にはまだ蒸気が立ち上っていたが、空は晴れ渡り、どこまでも透き通っていた。


 ゴブたちは旅支度を整え、村の境界に立っていた。

 空気はひんやりとしていたが、頬を撫でる風はどこか心地よい。


 ミレイが薬草の束を背負い、名残惜しそうに振り返る。


「……思ったより、長くここにいたなぁ。でも、来てよかった。ほんとに」


 シンも笑って頷く。


「俺もだ。いろいろあったけど……全部、意味があった気がする」


 ゴブは静かに、手記の最後のページをポーチにしまった。


「この地は、“始まりの地”なのだ、ゴブ」


 ぽつりとそう呟いたゴブに、ミレイとシンが微笑む。


 その後ろで、記録官が一歩前に出て口を開いた。


「この村は、ずっと問いと答えに縛られてきました。でも、あなたたちが見せてくれた“選び取る旅”こそが、本当の記録かもしれません」


 ゴブは振り返って小さくうなずいた。


「ゴブたちの旅は、まだ途中なのだ。もっと問いを探して、もっと知りたいのだ。」


 ミレイがふと立ち止まり、草原の彼方を見つめながら言った。


「……次は、どんな場所が待ってるのかな」


 その言葉に、ゴブが笑顔で答える。


「行ってみないと、わからないのだ!」


 シンも大きく息を吸い込んでから頷く。


「よし、じゃあ行こう。俺たちの次の問いに会いに」


 朝日が三人を背中から照らし出す。

 新しい旅の一歩が、静かに始まろうとしていた。


 その光景を、記録官は長く、長く目に焼きつけていた。


「──これが、始まりの地。そして、新たな語り部たちの……記憶」


 風が吹き抜ける。

 焦げ跡の残る大地の上を、未来を見送るように優しく撫でていった。

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