【第15話 決裂と絆】


 地響きと熱風が止んだ。

 真紅に染まっていた空が次第に色を薄め、火山の噴煙も静まりつつある。逃げ出した三人は、ようやく外の冷たい空気に触れ、崩れた岩陰に倒れ込むように座り込んだ。


「……ふぅ、死ぬかと思った」

 シンが背を伸ばし、汗まみれの額をぬぐう。剣を岩に立てかけ、しばし目を閉じた。


「でも、間に合ってよかったのだ……守護獣さんの声、ちゃんと届いた、なのだ」

 ゴブが小さく息を吐きながら呟く。少し煤けたローブをはたきつつ、慎重に立ち上がる。


 ミレイは少し離れた岩に寄りかかりながら、黙って空を見上げていた。彼女の手には、守護獣の残した小さな炎の欠片が、温かな輝きを保ったまま、静かに揺れていた。

 その輝きに、自身の過去や守護獣との記憶がちらつく。——言葉を信じること。それは、かつての彼女が諦めた何かだった。


 その時だった。


「……よく、辿り着いたな」


 静寂を破る声が、三人の背後から響いた。

 反射的にシンが剣を手に取り、ミレイが身構える。ゴブも小さく「むぅ」と声を漏らし、声の方へと向き直った。


 そこにいたのは、一人の男。

 ローブを深くかぶり、顔は半分以上影に隠れている。だが、その雰囲気は、まるで最初からすべてを見届けていたかのようだった。


「驚かせるつもりはなかった。……だが、会わねばならなかった。君たちと、特に“君”と」


 男の目が、まっすぐにゴブを射抜いた。


「ボクと……なのか、ゴブ?」


 戸惑いを隠さずにゴブが問う。


「“想像の火”は継がれた。ならば、その次がある。答えるべき“問い”が」


 男の言葉に、空気が変わる。冷たくも澄んだ、張り詰めた静寂。


「おまえ、何者だ」


 シンの声が低くなる。剣の切っ先を、男の足元へ向けた。


「かつて、“知の者”と旅をした記録官だ。名乗ることに意味はない。重要なのは、ここから先の“選択”だ」


 記録官と名乗った男は、手を広げ、ゆっくりとした動作でゴブに近づく。


「継承者たる君に、問う。これは罠ではない。ただ、自らの答えと向き合う試練だ」


「……答え……試練、なのだ?」


「答えは、君の中にある。“自らを映す鏡”を持つ者よ。問いとは、己を問うこと。自らの影を見つめ、名を与えることだ」


 男の言葉は淡々としているが、どこか決して抗えない力を帯びていた。語りはまるで、儀式の一部のように響いていた。


 ミレイは立ち尽くしていた。炎の欠片が手の中で熱を帯びるたび、胸がざわめく。ゴブの姿が、過去の誰かと重なる気がした。


 一方で、シンは険しい表情で叫ぶ。


「ふざけるな……っ!」

 その手が一瞬だけ震える。

「……また訳の分からないことを並べて、ゴブを利用するつもりか!」


 その怒声は、場の空気を引き裂いた。

 けれどその中に、守りたいという焦りと迷いが、ほんの僅かに滲んでいた。

 シンの怒声が岩壁に反響し、空気が張り詰める。


 しかし、ゴブは一歩も退かなかった。

 胸の内に灯るものを、静かに見つめるように、記録官の言葉を噛みしめていた。


「ボクは……信じたいのだ、ゴブ。守護獣さんがボクに託してくれた“想像の火”、あれは……ただの力じゃない、と思うのだ」


 その声には揺るがぬ意志があった。

 記録官は黙って頷き、懐から黒い石板のようなものを取り出した。刻まれた模様が微かに光を帯びている。


「これは、“知の者”が残した記録の断片。問いの儀式に用いられる古の遺物だ」


 そう言うと、石板が空中に浮かび上がる。ぼんやりとした光が滲み出し、そこに幻影のような影が揺らめいた。


「これは……」


 ミレイが声を上げた。

 そこに現れたのは、ゴブの姿だった。けれどそれは、これまでのゴブとは違う。

 怒り、迷い、悲しみに歪んだゴブ。ゴブ自身が避けてきた感情が、その影に宿っていた。


「ボクの……影、なのだ……」


 ゴブの瞳が震える。けれど、逃げることはなかった。


「問いとは、己の影をどう見つめ、どう名を与えるか。その選択が、君の“未来”を形づくる」


 記録官の声は厳かに響き、まるで儀式の司祭のようだった。


 ゴブはゆっくりと一歩、影に近づいた。その影は苦しげに呻き、叫び声を上げる。


「そんな声、出したくなかったのだ……怖くて、恥ずかしくて……でも……」


 だが、ゴブは微笑んだ。わずかに目を潤ませながらも、まっすぐに影を見つめる。


「それでも、それも……ゴブなのだ」


 影が一瞬、戸惑ったように揺れる。その揺れに、ゴブはかつての自分を見た。


「おまえには名があるのだ。ボクの弱さであり、迷いであり、でも……“願い”でもある」


 記憶の奥で、守護獣が言っていた。「ほんとうの気持ちを、抱きしめてやれ」


 ゴブはそっと手を伸ばす。


「……君の名は、“ホンネ”。ボクがずっと隠してきた、本当の気持ち、なのだ」


 その瞬間、影は淡く光に包まれ、ゴブの中へと吸い込まれていった。


 石板は音もなく砕け、風に溶ける。


 記録官はしばし沈黙したのち、ゆっくりと頭を下げた。


「見事だ。“答え”は、確かに受け取った」


 ミレイは目を潤ませながら、ゴブに駆け寄り、そっと手を握る。

 その瞳には、あのとき守護獣が言った言葉がよぎっていた。「その子の言葉は、未来を灯す」


「……すごいよ、ゴブ。あたし……すごく、嬉しい」


 だが、シンは少し離れた岩に腰を下ろし、黙していた。

 彼の手はまだ、剣の柄を強く握ったまま離さない。

 視線は、静かに、しかし確かにゴブへと注がれていた。

 それは、守る者としての誇りと、取り残された焦燥の入り混じった眼差しだった。


 夜の帳が静かに降り始めていた。

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