【第14話 呼応する炎】


 灼熱の風が三人の頬を焼いた。

 火口へと続く道は狭く、崩れた岩肌が足元の不安定さを物語っている。地下深くから吹き上がる熱気により、視界は揺らぎ、肌に触れる空気すらも刃のように鋭かった。


「ここが……“炎の守護獣”の棲処か」

 シンが低くつぶやく。顔をしかめ、汗に濡れた額をぬぐった。その声には緊張と、どこか畏怖の混じった響きがあった。


 ミレイは周囲を慎重に見回す。壁の模様、岩の割れ目、微かな振動。全てが、ただの自然現象とは異なる何かを語っていた。


「……感じる。誰かが、ずっとここで待ってる……そんな気がするの」

 彼女の声は、どこか遠くを見つめるようだった。その頬には、見えない誰かの視線が触れたかのような、微かな震えが走っていた。


「また“つながる”のか?」

 ゴブが小さくつぶやいた。その言葉は、過去の遺跡での出来事を思い起こさせる。


 その瞬間、地鳴りのような揺れが走った。小石が転がり、天井の岩が落ちてくる。


「っ、来るぞ!」

 ゴブが跳ねるように前に出て、岩を盾で受け止める。彼の小さな体に似合わぬ動きは、もはや一人前の戦士のものだった。


 目の前の空間が揺らぎ、赤い光が漏れ出す。そして現れたのは――巨大な、炎の塊。

 それは獣の姿をしていた。燃える鬣、溶岩のように脈打つ四肢、眼光は知性と怒りをたたえている。


「“炎の守護獣”……」

 シンが息を呑む。だがその声に応じるように、魔物は咆哮をあげた。


 しかし攻撃は、来なかった。


 代わりに、ミレイの目が大きく見開かれた。

 彼女の足元に赤い光が広がり、身体が硬直する。目の奥が焼けるように熱く、脳裏に、別の時間の情景が流れ込んできた。


 ――契約の場。炎の神殿に似た空間。重々しい声が響く。

『その力をもって、此の地を守れ、古の盟約のもとに』

 声の主は、“知の者”と呼ばれた白髪の老魔導師。彼の手のひらが、幼き獣の額に触れた瞬間、炎の守護獣は目を閉じて誓いを立てた。


 使命を受け、永劫をこの地に留まり続けた存在。

 だが時の流れは、記憶を摩耗させ、使命の意味を失わせた。


 そして今、忘却と孤独の果てで――炎は、ただ叫んでいた。


「……この子、叫んでる……思い出してほしいって」

 ミレイの声は震えていた。その手が、胸の前でわずかに震える。


「ミレイ、大丈夫か!?」

 シンが駆け寄ろうと一歩踏み出すが、彼女の周囲を包む光に阻まれる。


「……このままじゃ、暴れる」

 ゴブの低い声に、守護獣の身体が大きく脈打ち、怒りの色がその身に広がっていく――。


 守護獣が吠えると同時に、火口全体が大きく揺れた。

 地面が裂け、赤々としたマグマの光が浮かび上がる。空気はさらに熱を増し、三人の息が詰まる。


「退くか!? このままじゃ……!」

 シンが叫ぶ。剣を構えるが、その刃先が震えていた。


「でも、ここで逃げたら……」

 ミレイが視線を上げる。彼女の瞳には、まだ守護獣の記憶の残滓が揺れていた。


 その時――

 ゴブが一歩、前へと踏み出した。


「……爺が言ってたのだ。言葉には力がある。昔、それで炎を鎮めたことがあるって、そう聞いたのだ、ゴブ」

 小さな背中が、光の中に浮かび上がる。


「おい、ゴブ! 何を……!」

 シンが思わず叫ぶが、その声に応えることなく、ゴブは守護獣の前に進んだ。


 深く息を吸い込む。そしてほんの一瞬、自らに問いかける。

(ボクの声が、届くのか……? でも、信じてる。爺の言葉も、ボクの想いも――届くって)


「おまえさん、まだ覚えているのか? “力”を与えられたあのときのこと。じじいの言葉、忘れてないはずなのだ、」


 ――再び空間が揺れた。

 炎の中から、わずかに低い唸り声が漏れる。怒気ではない。迷い、そして……応答の兆し。


「思い出してほしいのだ。おまえさんが何を守ってきたのか、どうしてずっとここにいたのか……なのだ、」


 その声に、ミレイは小さく口を押さえる。

「……届いてる、ゴブの想い……」


 シンは剣を下ろし、静かにうなずいた。

「信じよう、あいつを」


 ゴブの言葉は止まらなかった。

「今はもう、あいつらはいないのだ。でも、ボクたちはここにいるのだ、ゴブ。“おまえさんの言葉”で、ちゃんと伝えてほしいのだ」


 しばしの沈黙のあと、炎の中に“揺らぎ”が生じた。

 守護獣の咆哮が、先ほどまでの怒りではない“言葉のような音”に変わっていく。


 その声は、直接耳に響くのではなく、胸の奥に届くものだった。


『……継承者たちよ……我は……忘れた……されど……まだ……』


 途切れがちな声だった。だが、そのひとつひとつが、過去の誓いの残響のように三人の心に染み渡った。


 だがその時、轟音。

 火山が本格的に活動を始めた。


「時間がない……!」

 シンが叫ぶ。地面が崩れ、熱風が吹き荒れる中、ミレイが手を伸ばした。


「あなたの“想い”は、私たちが引き継ぐから! だから、今は……!」


 守護獣の姿が揺らぎ、次の瞬間――その巨体がマグマの裂け目へと沈み込んだ。

 だが、咆哮の最後には、どこか満ち足りた響きがあった。


 三人はぎりぎりのところで岩棚に飛び乗り、地上への脱出口へと向かう。


 崩れゆく火口の奥に、守護獣の残した言葉が、まだ燃え続けていた。


『……繋がれし“想像”の火を……絶やすな……』

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