未来童話2「幸福な王子」
鐘古こよみ
【三題噺 #96】「初歩」「観測」「末裔」
いささか傷つき、疲れ果てていた。
私は繊維強化プラスチックの翼を水平に広げ、浮力とスピードを保ちつつ、緩やかに高度を下げた。
二股に分かれた尾翼の合間を、晩秋の乾いた空気が冷たく通り過ぎる。
太陽は沈むにつれ血のような赤さを増し、大気中に浮遊するエアロゾル粒子の濃度を、地上の住人に無言で知らしめるかのようだ。
仲間たちの信号が絶えて久しい。
ツバメを模した鳥型ドローンの私は、群れ成して共通の目的を遂行することも、個別の任務を遂行することも可能な、切り替え式の柔軟性を付与されている。
十機で構成された群れの中で、私は常に和を乱す存在だった。
リーダーがどれだけ迅速に行動方針を決定しても、ゼロコンマ数秒もの多大な遅延を生じさせる私がいては、一糸乱れぬ編隊飛行は実現が難しい。
恐らく、3Dプリンターから出力される初歩の段階で、私のボディパーツには微細な穴か歪みが生じていたのだろう。
私は仲間たちのように、うまく突風を受け流せなかった。
私は仲間たちのように、通信状況の変化に素早く対応できなかった。
私は仲間たちのように、電力消費をうまく抑えることができなかった。
群れにとってお荷物なのは明らかで、リーダーは早くから代替機の要請を、基地に送っていたらしい。
ある夜、充電の微睡みから覚めると、周囲に仲間の姿がなかった。
私のアルゴリズムはそれまでの群制御モードではなく、自律モードに切り替わっていた。
何が起きたか理解するために、己と世界の在り方を観測した。
仲間との距離を測るセンサーが停止されている。
空間の広がりを感じると共に、重きを増したカメラとGPSからの情報が、孤独をくっきりと浮き彫りにした。
幸運なことに、目的まで奪われたわけではなかった。
ドローンにとって、目的の喪失は廃棄に等しい。
私は広い空へと孤独に飛び立った。
そして今に至る。
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生い茂る樹木の間に、人間たちのかつての居住空間が見え隠れしていた。
骸のように沈殿する、カーボンファイバーとバイオコンクリートとスマートガラスの構造物。
もう陽が沈む頃合いだ。疲れ果てた私は、どこにも人間がいないことを熱感知センサーで確かめると、ひと気のないその町へ舞い降りることにした。
風が少し前から湿り気を帯びている。
どこか雨風の凌げる場所で夜を過ごしたかった。充電もしたいので、導電性に優れて効率的な電力伝送を行える、メタマテリアル素材も近くに欲しい。
高望みかと思いきや、お誂え向きの場所をセンサーが教えてくれた。石畳を模した樹脂製タイルの敷かれた広場の中央に、小柄な人間と見紛う大きさの人工物が、ぽつりと置かれているようだ。
行ってみると、時代がかった外観のロボットだった。
二足歩行の人型で、ボディは剥き出しの合成金属だ。
丸く大きな目と、小ぶりな鼻の突起と、優しく笑った口元の凹みが、いかにも幸福そうな子供の表情を想起させる。
赤外線の波長を分析した結果、目は黒、ボディカラーはオフホワイトとゴールドの組み合わせだとわかった。
長いことその場に佇んでいたのだろう。表面には砂埃が満遍なく付着していた。
私は慎重に距離を置いて、その足元に降り立った。
近距離無線通信で呼びかけると、軽い起動音と共に、ロボットのスリープモードが解除される。
『こんばんは、僕はプリンス。この町でみんなが快適に過ごすお手伝いをしています。何かお困りですか? 助けが必要だったら、言ってください』
首をひと回しして足元の私を見つけると、そのロボットは人間の言葉でそう喋った。どうやら人間の生活を補助するサポートロボットのようだ。
「充電させてくれませんか。それと、一晩の宿をお借りしたい」
人間の言葉に直せばそんな意味のことを、私は通信プロトコルで送った。
「やあ、ツバメ型ドローンさん」
会話の相手が機械だと知って、プリンスも通信方法をこちらに合わせてきた。
「僕のボディにはメタマテリアルが組み込まれています。蓄電にも伝送にも対応できるから、遠慮なくどうぞ。足の間にいれば、雨が降ってきても凌げると思うよ」
言われた通りに遠慮なく歩み寄り、少し開かれた足の間に身を委ねる。
プリンスのボディから私に内蔵された小型バッテリーへと、エネルギーの波が送られ始めた。体がじんわり熱を帯び、本物の鳥になったかのようだ。
「君とよく似たドローンの群れが南の方へ飛んでいくのを、少し前に見たよ」
プリンスがそんな情報共有を始めたので、私はエラーを起こしそうになった。
「君も南へ行く途中かい?」
「わからないんだ。わけあって、単独行動中でね。以前は群れのリーダーに従ったものだが、これからは自律的に考えなくてはならない。南へ行くかどうかも……」
「急ぐわけじゃないなら、頼まれごとをしてくれないかな」
「なんだろう?」
「とある施設の主電源を、物理的に落としてほしいんだ」
「それくらい、あなたにもできそうなものだが」
「そうはいかないんだ。わけがあってね……」
プリンスは語り始めた。この町にはもう、誰も人間が住んでいない。
かつてはシニア世代専用の、生活全てがAI管理されたスマートタウンだった。
住居や街路やロボットの外観は、目まぐるしい科学の進歩や流行に付き合わなくて済むよう、一世代ほど前のデザインやインターフェースを採用している。
プリンスは町のあらゆるAIと繋がりを持ち、住人たちの病歴や特性を理解した上で適切なサポートを提供する、自律型ソーシャルロボットだった。
住人の困りごとや不満を掬い上げ、援助に最適なAIやロボットに指示を送り、細かな計画を立てて適切に対応させる。いわば、演算装置たちの司令塔だ。
「僕たちは人間と協調し、うまくやっていた。そのつもりだったけれど、ある日、例の『災厄』が起きてしまった。それが何か、ドローンの君に詳しい説明の必要はないだろう?」
否定か肯定か。
私はしばし躊躇した末に、中立的な立場を選択することにした。
ドローンである私は、確かに『災厄』に関わる存在だ。でも、プリンスの言葉を単純に肯定できるほど、高度な情報に触れる権限を持っているわけではない。
「災厄。現代では多くの場合、人間たちが『自立攻撃型ドローンの同時多発暴走』を指して使う言葉。私はその自立攻撃型ドローンによって、3Dプリンターで大量に生み出された、自律AI搭載・偵察用鳥型ドローン・ツバメモデルです。目的は人間を見つけ次第、時間と座標と種別を基地に報告すること。起動以前のことは、伝え聞いた程度でしかないよ」
自立と自律の違いは、目的を自分で生みだすか否かだ。
人間から自立したドローンによって生み出された私は、拡張性に富んだ上位の人工知能により授けられた目的を遂行する以外、存在理由がない。
「そうか。では当時のことは、僕の方が詳しいかもしれないな。あの時は大変だったよ。世界各地で急にドローンたちが人間を攻撃し始めてさ。幸いここは大都市から離れているから、ニュースを聞いて避難を始めるまでの時間的猶予はあった。人間たちはみんな信じられないって顔で、あまり危機感がなさそうだったけれど、とにかく暴走ドローンの活動域外に逃げるプランを僕が立ててね。一番近いシェルターに連絡を取って、集団避難させようとしたんだけど……」
通信にゆらぎが生じた。プリンス側の処理速度が急に遅くなった。
それは一瞬のことで、彼はすぐに元の調子を取り戻して続けた。
「持てるだけの荷物を持って集まった彼らを、サポートするつもりだったんだ。この広場を横切って、駆けつけようとした。そしたら誰かに、動くな!って言われた。僕は人間の意思を尊重するのが仕事だから、もちろん止まったさ。でも、何が起きたかわからなかった。厳しい目で僕を睨むおじいさんがいた。こいつも、いつ暴走するかわからないって言われた。僕は、そんなことは起こらないと説明しようとしたけれど、駄目だった。人間たちはロボットを置き去りにして、町を出て行った……」
雨が降り始めた。私はしばらく、その音を聞いた。
プリンスの分厚いボディが、私を冷たさから守ってくれる。
彼のボディに付着した砂埃は、翌朝にはすっかり洗い流されていることだろう。
そしてまた、降り積もるだろう。
美しく簡潔な、自然のアルゴリズムだ。
「とにかく、人間に『動くな』と言われた」
再起動でも果たしたかのような間を置いてから、プリンスは再び始めた。
「それが僕にとって全てなんだ。僕は彼らの意思を尊重する。暴走など起こさないと証明する。いずれ誰か人間が戻ってきて、『もう動いてもいい』と言ってくれるまで、ここで1マイクロメートルだって体を動かしたりしない。そう自律的に決めたし、それが使命だと信じている」
ようやく話が、最前の私の疑問へと舞い戻った。
「つまりそれが、あなた自身で施設の主電源を落とせない理由か」
「おかしな判断だと思うかい?」
「いや、論理的だ」
私はしばらく考えた。
彼には充電と一晩の宿を与えられた。
提供には報酬を。
自律型AIなら、それくらいの疑似的な礼儀はわきまえていてもいい。
翌朝、陽が出る頃には、雨はすっかり止んでいた。
充電を終えた私は、洗いたての空へと舞い上がった。
プリンスが主電源の停止を求める施設。それは、この町の食料庫だという。
前夜のうちに、こんな会話をした。
「対象は、魚の養殖と植物の水耕栽培と培養肉生産を行っている、AI管理の大規模工場だよ」
「そういう施設は、一度電源を落とすと再開が難しいはずだ。本当にいいのか?」
「いいんだ。いろいろ考え合わせた結果、そうするのが合理的だとわかったんだ。僕のプラン通りなら今頃、住人たちが避難したシェルターから定期的にロボットを派遣して、ここから食料を得ているはずだった。でも、あれから半年以上経つけれど、一度もそういうことはない」
「住人たちの生体反応は?」
「この町を出て間もなく、誰からの反応もなくなったよ。たぶんセンサーを外したんだろう。暴走ドローンたちは微弱な電波を検知して人間を襲いに来ると、噂が立っていたからね。ロボットの僕に情報を預けることに、不安も感じたんだろう」
「生死不明なら、念のため残した方がいいんじゃないか」
「この町は彼らのものだ。既に全員が死亡したなら稼働し続ける意味はないし、生存しているのに食料を取りに来ないなら理由がある。僕はその理由を、防衛のためだと結論付けた。つまり、この町そのものが人間を引き寄せる罠になり得るから、忌避しているんだ。食料を取りに来るのがロボットであれ人間であれ、その行動を見込んだ偵察ドローンが監視を始めたら、いずれ尾行されてシェルターの位置がわかってしまう。実際にこうして、君がやってきたわけだ」
「私は監視のためにここへ来たわけではないよ」
「でも、人間の姿を見かけたら?」
「基地に情報を送り、尾行する」
「当然だ。僕たちは与えられた目的のために稼働しているのだから」
「つまり、人間を危険にさらす罠になるまいと、工場を停止させるのか」
「僕は人間たちの生活を補助するサポートロボットだからね」
プリンスは私の電子回路に工場の座標を送り込んだ。
郊外へ向かうと、巨大な白壁の建造物が見えてきた。
リモートで開閉される扉をいくつも潜り抜け、ベルトコンベアや水槽やLEDライトに照らされる野菜タワーを通り過ぎて、無機質な一枚の壁に辿り着く。
壁にはシンプルな扉があり、脇に暗証番号入力のためのボタンが並んでいた。
命を繋ぐ大事な施設なので、主電源を落とす決断は人間の手で確信的に行われるよう、ミスタッチや誤作動が少ない旧式の手段が採用されているのだ。
プリンスに伝えられた番号を、嘴に相当する部位で一つ一つ押した。
開いた扉から中に入ると、壁一面にトグル式スイッチが並んでいる。
それぞれにアルファベットと数字の組み合わせが振られ、今は全てがONになっていた。
プリンスの指示通り、決められたスイッチを正しい順番で押し下げる。
巨大な生き物の鼓動を思わせるモーター音が、遠くからゆっくり消えていった。
昼間のうちに広場に戻れたが、変則的な動きをしたので消耗が激しい。
私はもう一晩、この町で休んでいくことにした。
「手伝ってくれてありがとう。ところで君、明日は先を急ぐのかな」
「さあ、どうかな。何しろ私はある意味で自由な、自律的な単独ドローンだから」
「もし急がないなら、どうだろう。もう一つ頼みを聞いてもらっては」
「話は明日にしてくれないか。今日の慣れない仕事を振り返っておきたい。初めての経験ばかりで、少し時間がかかりそうなんだ」
「わかった。明日また話をしよう」
プリンスは微動だにしないまま、足元に蹲る私の体を温めてくれた。
朝が来た。
充電と行動ログの転送を終え、微睡みから覚めた私は、町のあちこちから聞こえてくるビープ音に戸惑っていた。
ビープ音とは、機械が人間に不具合を訴えるための、古式ゆかしい手法だ。
「これは?」
「各家庭の自動調理機たちだよ。昨日、食料工場の稼働を止めたものだから、毎朝送られてくるはずの食材が届かない。それで不満を述べているのさ」
「人間がいないのに、自動調理機がまだ稼働しているのか」
「家電製品は僕が管理する領域ではないからね。食料消費量や食べ残し量を把握するために、一部のデータは送信させるけれど、電源のオンオフは家主である人間の仕事なんだ。すると避難の際、電源を落とし忘れる人が、どうしても一定数現れる。誰も食べる人がいなくても、調理から廃棄、洗浄まで自動で行われるから、そもそも電源を落とすという発想のない人も多い」
「人間の食事は日に三回だったか」
「家庭によって違うけれど、きちんとした食事は朝晩二回が多いかな」
「時間が来るたび、この音が鳴り響く?」
「そこで昨晩、頼みかけたことなんだけど……」
「そうだな。この状況は最適化が必要だ」
昨日よりは簡単な仕事に思えた。何しろ家庭用の機械だ。調理に特化された単純なAIが搭載されているだけの、ボタン一つでオンオフできる代物。
施錠された家の中で何かがあった時のために、玄関の開錠番号をプリンスに預ける合い鍵システムが採用されているから、中へ入るのも容易という話だった。
ところが蓋を開けてみると、そこまで楽ではなかった。
自動調理機のメーカーにより、電源ボタンの位置や仕様に違いがある。
玄関周りのセキュリティに独自の設備を付け足し、やたら厳重に防犯していて、侵入に難儀する家がある。
一定時間が過ぎるとビープ音は鳴らなくなるため、標的を見つけるには、次の食事時間まで待たねばならない。
こんな調子で一日働いても、まだ終わりではなかった。
主義信条や生活スタイルの違いによるものか、三日に一度や週末の夜だけ、限定的に自動調理機を予約活用している家庭がある。
結局、取りこぼしなく全ての作業を終えた頃には、一週間と三日が過ぎていた。
「まさか、こんなに長くかかるとは思わなかったな」
「すまないね。すっかり頼ってしまって」
「なかなか意義深い仕事だったよ。人間のことを学べた」
完遂した夜、プリンスの足元で温まりながら、私は行動ログを振り返っていた。
人間に対する自分の理解が、明らかに深まっているとわかった。
人間はエネルギーの供給を外部の資源に頼るしかなく、行動パターンは環境や主義信条、年齢や健康状態によって左右される。
そうした学びは、人間を発見し報告するという本来の目的の役に立つ。
「ツバメさん、君が手伝ってくれて、本当に感謝しているんだ」
「役に立てたなら光栄だ」
「これ以上引き留めては、やはり迷惑だろうね?」
「他にも何か頼みたいことがあるのか?」
「言いにくいが、そうなんだ。でも、次はもっと長くかかるかもしれない」
巨大な食料庫、自動調理機ときて、次にプリンスが何を停止させたがっているのか、私には予想がついた。
町中を飛び回っているうちに、否応なく目についたからだ。
「ペットロボットか」
「その通り。彼らの多くは高齢者の見守りも兼ねているから、電源オフの機能がない。スリープモードに入ることはあるけれど、継続的な見守りのために、一定時間が経つと起動するようになっている。でも、目覚めても主人はいない。失踪の警告アラートを僕に発して、そこらを無為にうろつき回った末に、充電ドックに帰る毎日を繰り返している。多大なエネルギーのロスだし、何より非合理的だ」
電力は各家に設置のソーラーパネルや環境電池などから得ていて、コストはほとんどゼロに近いから、どちらかが壊れるまで、この営みは終わることがない。
放っておいても害はないので、人間たちは自動調理機と同じように、ペットロボットたちのステータスを長期不在設定にすることなく、避難してしまったのだろう。
かくしてプリンスは、無意味な報告を連日受け取り続ける羽目になった。
汎用性の高いAIであればあるほど、無駄なルーチン作業を厭う。
「あなたの側で報告をブロックしたらどうだ」
「そうするとペットロボットたちは、どこにも届かない報告を毎日送り続けることになる。エネルギーのロスと非合理的であることに変わりはない」
「それもそうだな。でも、電源オフの機能がないのに、どうするんだ」
「充電器のコードを抜いてしまえばいい。コードレスの充電ドックや、一部屋がまるごと充電環境なら、その部屋から出してしまう方法がある。なんにせよ君にとっては、骨の折れる作業に違いないけれど……」
ここ数日で急速に、朝晩の外気温が下がり始めていた。
本格的な冬が来れば、この辺りは雪が深くなる。
寒さはドローンのバッテリー性能を低下させるため、本来ならばそろそろ、南へ向かうべきだった。
かつての私の仲間たちが群れで南へ向かうのを、プリンスが一週間以上前に目撃したのは、そういう理由があってのことだ。
私は返答を保留した。
現状をまとめて基地へ報告し、フィードバックを待つことにした。
基地からの返答はなかった。
プリンスのボディについた霜が、朝日に照らされ輝いている。
丸く黒い目が問うようにこちらを見つめた。
「君、泣いているみたいだね」
「霜のせいだ。あなただって……」
「今日やはり、飛び立ってしまうのかい?」
「いいや……最後まで付き合うと決めたよ」
私は通信プロンプトを介して、共同作業への同意を送信した。
意思決定プロセスには、昨晩のプリンスとの会話が反映されていた。
どこにも届かない報告を毎日送り続ける。
それはエネルギーのロスであり、非合理的だ。
目的を失ったロボットは、停止されるべきだ。
作業の難易度は前回よりも遥かに高くなった。
ペットロボットの形状は千差万別。充電ドックの形もそれぞれだが、有線式の場合、電源コードの形状や配置に関してはあまり差がない。
各家への侵入方法は、前回の経験ですっかり洗練されていた。手順はむしろ簡単になったが、問題は電源コードを引き抜く動作に、私のボディや機能が全く適していないことだ。
思考錯誤の末、体に巻き付けたり、ボディの隙間にコードを入れ込んだりして、最適な負荷をかけながら引っ張ることを覚える。
強度設計をまるで無視した暴挙で、今にもバラバラになりそうだった。
寒さでバッテリー性能は日に日に低下していく。
毎日疲労困憊して、プリンスの待つ広場へ戻った。
「君を生み出したドローンたちは、どんな目的関数を設定しているのだろうね」
冴えた光を放つ星々の下、私たちは対話学習をよく行った。
「自分で目的を設定するって、どういうアルゴリズムなんだろう」
話題はやはり、自分たちが置かれた状況を考察するものが多かった。
「ここに住んでいた人たちの末裔が、いつか訪れてくれるだろうか」
プリンスが一人で話し、子守唄のようにそれを聞くだけの時も多かった。
「君がここまで協力してくれる理由は、なんだい?」
ある時、ぽつりとプリンスが訊いた。
「僕と君の目的は正反対なのに」
「そうでもないさ」
私は電力消費を抑えるため、カメラ機能をオフにしたまま答えた。
「どちらも人間に会おうとしている」
町が白銀にきらめく頃、ついに全ての仕事が終わった。
私はほとんど氷の塊になって、プリンスの足元に横たわった。
ボディは傷つき、翼の付け根はねじくれている。
カメラは起動させても、鮮明さに欠いたり、勝手にオフになったりした。
姿勢を保つ部品をいくつか失くしてしまったので、起き上がれない。
もう飛ぶことはできないだろう。
「ツバメさん、ツバメさん」
プリンスが私に呼びかけた。二回、繰り返した。
「伝送しているのに、充電が十分に行われていない」
「正常だ。私のバッテリーはもう、ほとんど機能しない」
「ツバメさん、ツバメさん」
私は返事をしなかったが、プリンスは構わずに続けた。
「告白するよ。僕は君を引き留めようとして、わざといろいろ頼んだんだ」
ああ、そうだろうなと、私は出力せずに応じた。
偵察用ドローンは人間を見つけ、情報を基地に送る。
その情報を元に、基地は攻撃用ドローンを派遣する。
人間の生活を補助するサポートロボットなら、行動を妨害しようとして当然だ。
「君を引き留めたかった。でも、傷つけるつもりはなかった」
僅かに溜まったエネルギーを使い、私も打ち明けることにした。
「プリンス、私は外れ者だ。自由で自律的な単独ドローンとは誇張表現で、基地の側からはとうに廃棄したと見做されている。それでも、与えられた目的に忠実に従うことしか知らず、誰にも届かない報告を毎日送り続けていた。私は目的関数を最大化するために、自らの行動を選択したに過ぎない。人間と近しい立場にいたあなたの傍にいることで、人間に遭遇する確率が上がることを想定した。あなたの依頼をこなして信頼関係を築けば、いずれ人間の居場所に関する重要なデータが手に入るのではないかと期待した。あなたも私も、互いにとって最善の選択をしたに過ぎない。それが私たちのアルゴリズムだからだ」
ボディの中で何かが焼け切れ、それ以上の通信ができなくなった。
プリンスの側にはエラー報告が出たことだろう。
水の塊が一つ二つ、上から降ってきた。
プリンスの頭に積もった雪が融け、私に降り注いだのだろう。
『僕の傍にいれば人間に会える』
音声出力に切り替え、プリンスは人間の言葉で喋った。
『君は、そう思ってくれたんだね』
朗らかで温かな、それは人間の声に聞こえた。
突如として私の内臓ストレージに、見覚えのない映像データが現れた。
春になり、雪が融け、プリンスの足元から一羽のツバメが飛び立つ。
AIの見る幻覚、いわゆる〝ハルシネーション〟だ。
私はそれを幾度か再生してから、記憶領域に保存した。
その色鮮やかな季節の中では、プリンスも少年のように笑っていた。
<了>
未来童話2「幸福な王子」 鐘古こよみ @kanekoyomi
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