流星芥観測日誌

秋犬

双眼鏡を片手に

 その灯台は岬の端に、白くそびえたっていた。カバンにジャム付きパンとチーズ入りパン、紅茶の入った水筒を詰め込んだフィドルは、灯台の中に入ると螺旋階段をぐるぐると登って行った。


「弁当持ってきたよ」


 灯台の上には、フィドルの父のコントがいた。双眼鏡で海を眺めては、海上の様子をノートに書き留めている。


「お、ありがとな」


 コントは双眼鏡から目を離し、フィドルからカバンを受け取る。灯台内の時計がちょうど昼休憩の時刻を告げた。


「お前も見ていくか? 流星芥りゅうせいくずの観測は仕事の初歩だ。おそらく、あと数時間で西の観測所から連絡のあった流星芥の漂流が見られるぞ」

「僕はまだいいよ。帰って宿題しなくちゃ」


 フィドルはそう言って、この父親から逃げようとした。このままでは、流星芥の成り立ちと現在人類が何故流星芥を観測しているのかの講義になってしまう。


「待て、お前はそれでも誇り高きラーバス家の一員か。死んだヴィオローネ爺さんに申し訳ないと思わないのか」

「爺さんは関係ないだろ、宿題があるのは本当なんだ」


 フィドルはため息をついた。フィドルの家は、代々この灯台で外宇宙からの交信データの観測をしていた。外宇宙交信観測員という名前だけはしっかりした職業であるが、フィドルは毎日海を見ているだけとしか思えなかった。こんな仕事をする一族の末裔であることが、少しだけフィドルには重荷になっていた。


 今コントが観測しようとしているのは、流星芥と呼ばれるメッセージの痕跡であった。定期的に海上に表れる鮮やかな色の謎の物体は他の星に住む民族からの何らかのサインであるというのが科学者たちの間の共通見解になっていた。流星芥の他にも、この星と交流をしたいと思っている者たちからのメッセージは届いている。


 海の上にだけ見えるあまりにも巨大な虹。

 点滅するように海に落ちていく流星。

 奇妙な輪を描いて旋回する飛行物体。

 たまに聞こえる低い唸り声のような声。


 これら全てはかつて謎とされていたが、数百年前に科学者の集団が「これは異星人からの通信である」と発表したことで世界は騒然となった。例えば流星芥には観測される時期に偏りがあり、これには何らかの法則が存在するのではという説が有力視されている。


「それじゃあ、宿題が終わったらまた来なさい。将来この仕事はお前も継ぐんだから、経験は積んでおけ」

「……わかったよ、ここにいればいいんだろう」


 フィドルは友達のところへ遊びに行きたかったのだが、観念して父の側にいることにした。コントは双眼鏡を片手に海をひたすら見つめ、フィドルにはわからないことを延々とノートに書きこんでいる。


「……それ、虚しくないの?」

「虚しいものか。この星以外の誰かと話が出来るかもしれないんだぞ」


 双眼鏡から目を離さず、コントは言った。


「それにな、海ってのはいいものだぞ。見るものがたくさんある」


 そう言われて、フィドルも父が見つめている海を見た。フィドルには一面の青い空間にしか見えなかった。


「僕には青しか見えないけど」

「見えるさ、勉強すればな」


 コントは双眼鏡から目を離した。そしてフィドルの方を向いた。


「例えば波。それまでは風の作用で波の大きさが決まると思っていたが、最新の学説によると異星人の交信の音波に引き寄せられて発生するのが引き波と呼ばれるものだそうだ。海流が次第に変化するのもこの引き波が原因とされるらしい。最近は引き波が観測されたら海水温のデータを集めることが主流になりつつある」


 コントはノートに引き波と海水温についてのメモを書いて見せた。


「それから風。意外と風の音にも種類があって、波を見ていれば風も分かる。星の瞬きは風によるものだけれど、風を考慮しても瞬いている星があればそれはメッセージの兆候だ」


 海水温のメモの上に、キラキラと光る星の絵が追加された。コントの絵は緻密できれいだった。いつも海上をスケッチしているせいだろう。


「それがわかったら、楽しい?」

「楽しいとも。昔からの友達と文通をしている気分になれる」


 フィドルはにこにこと海を眺めるコントの気持ちがよくわからなかった。


「まあ今に見てろって。実物の流星芥を見たら、楽しいってしか思えないから」

「そうかなあ」


 フィドルは青い海を見つめた。流星芥の存在は知っているが、フィドルは漂流する実物を見たことがなかった。いつもコントのスケッチだったり、陸地に流れ着いて輝きを失ったものしか見たことがなかった。


「あれは海の上にあるものを見るものだ。それまで待とうじゃないか」


 そう言ってコントはフィドルの持ってきた昼食を広げた。フィドルにジャム付きパンを渡して、紅茶をカップに注いだ。


「意外と流星芥が光っている時間は短いんだ。夜に見つけるときれいだぞ」


 コントの声はきらきらと弾んでいた。フィドルはジャムの味に集中して、時間が流れるのを待つことにした。


***


 フィドルにとって、青い海を眺めていることはとても退屈なことだった。しかし昼食を終えてからもコントは双眼鏡で観測を続け、フィドルの知らない波や風、その他の自然現象を記録し続けていた。


「さて、もうすぐ……そら来た! 双眼鏡を持て! 10時の方向だ!」


 フィドルはコントに言われるまま、灯台に備え付けてあった予備の双眼鏡を覗き込んだ。そして、初めて海の上を漂う流星芥を見た。流星芥には様々な色があったが、その日はエメラルドグリーンの流星芥が波間を漂っていた。


「前回観測データより20センチほど小さくなってる。これは摩耗しているんだ。流星芥は波の摩擦で大体は洋上で消えて沈んでしまう。漂着した流星芥は大きすぎて輝きが鈍くなってるものが多い。そしてこれは……よく光る流星芥だ。フィドル、当たりだぞ」


 コントが脇で流星芥の説明を始める。流星芥はメカニズムは不明だが、内部で発光を繰り返してその点滅が言語である可能性が示唆されている。ピカピカと光る流星芥を見つめるうち、フィドルはあることを思いついた。


「これって、メッセージボトルみたいだね」

「どういうことだ?」

「遠い宇宙の誰かが、誰が見るかわからないけど中にメッセージを詰めて宇宙に流したんだ。それが今こうやって、目の前にあるのかもね」


 こんなことを言って、フィドルは笑われると思った。流星芥についてあまり知識のないフィドルは、目の前の事象について感想を述べただけだった。フィドルが赤面していると、フィドルの方を見ないでコントが答えた。


「いや、案外そうかもしれないぞ」


 コントの声が真面目だったので、フィドルはほっとした。波間に光り漂う流星芥を見ているうちに、フィドルはもっと海のことや流星芥のこと、外宇宙からのメッセージの他に父について知りたくなった。


「父さん、今度僕にも双眼鏡を買ってよ」

「いいとも。そろそろ専用の双眼鏡が欲しいだろう?」


 それからフィドルは日が暮れるまでコントのそばにいた。家に帰るまで、また流星芥が流れてこないか少しだけ期待してフィドルは海を見た。そして今度一緒に観測するときは、風の音について父に尋ねようと思った。


<了>

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