第6話 私はアイを歌った
「アイは愛を、大事にするんじゃ」
博士はそう、呟いた。二人きりの部屋で彼の言葉だけが響いた。私は淡々とその言葉の返答を口にする。
「アイとは何なんですか?」
彼女は人工知能。博士に作られた存在。そこに感情はなかった。
「儂はもう長くはない。衰えていくばかりのただのぼけ老人じゃ。だからアイ。お前さんだけが心残りなんじゃ」
「心配は無用です。博士がいなくなっても私はプログラムに従うだけですから。」
「そうか……」
「それはいいとしてとっとと腕を出してください。注射が打てないじゃないですか」
博士は腕を出さない。 講義の目でアイを見つめている。
「博士?」
「……」
「出さないならこっちにも手が――」
「仕方がないのう でもわしの気持ち伝わったじゃろ?」
「?」
アイの脅しに観念したのか、博士は両手を挙げて、降参したようだ。
「ねぇねぇ? きょーのご飯はナニ?」
「唐揚げですよ」
「やった~!!」
トテトテ、ばたばたと足音を鳴らしながら元気な声で走っているこのかわいらしい少女は博士の姪っ子さんです。彼女の両親は不慮の事故で無くなり、博士と私で育てています。
「走るんじゃない! 儂の部屋は危険なものでいっぱいじゃ アイ早く連れ出してくれ」
そんな様子を危険に思ったのか博士が命令をしてきました。
「わかりました」
「いーやー」
「なんでです?」
「え? だっておじいちゃんとそしてアイさんと一緒に居たいんだもん! 一人は寂しいもん!」
「?」
私にはその感情が分かりませんでした。なぜ一緒に居たいのか。寂しいという感情も。そのような思いが顔に現れていたのか「人工知能さんにはわからないよ」と零されました。博士は「アイも付いてってやれ」と言います。その顔にだらしのない笑みを浮かべて。そして付け足すように「儂に何かあったら、頼んだぞ。二人で支えあって、姉妹のように仲良くしてほしいんじゃ」
私はその時から、何か心にもやもやしたものを抱えるようになりました。
「アイ、とはなんですか?」
「それは人を愛するということじゃ」
「博士 わかりません」
「愛した人とは一緒に居たいし、離れると寂しい。一緒に居るだけで楽しいし、何でもできる気がしてくる。それでいて自分より大事だ。それがアイなんじゃ。」
「……」
「わからなくていい。今はな。
儂はもう長くはない。
だから、儂じゃそなたに感情が何たるかを教えることは無理のようじゃ
……儂が死んだら、お前は儂の姪と『家族』として二人で生きていかなくてはいけない
ほかに仲間と呼べる者もできるじゃろう
そいつらに教えてもらうのじゃ」
「家族? 仲間? プログラムにないコトバデス」
「……実は、お前にはまだ実装されていない機能が五つあるんじゃ
愛命運縁恩、じゃ」
「アイウエオ
理解シカネマス」
「いずれわかるじゃろう
ニンゲンは面倒くさいってな」
「それはイツデスカ?」
「……」
いつの間にか返事が返ってこなくなった。
「教授?」
教授は息絶えていた。
アイは博士のお葬式をした。けれど何の感情もわいてはいなかった。
「私に心があれば」
隣で、少女が泣いている。かわいい顔をくしゃくしゃにして。なんだかいたたまれない感じがした。
でも少女は泣きながら不思議な行動をした。歌ったのだ。その悲しみをかき消すかのように。大きな声で。
泣きじゃくっている顔を見ているとなんだかじっとしていられなかった。少女を元気づけたい。そう思った時、口は勝手に動いていた。
私も歌った。歌い方は知らないが、ありのまま歌った。私がうたったからと言って博士が生き返るわけでもない。少女を元気づけられる保証もない。でも私は体を揺らしながら歌った。
すると少女の顔がなんだか柔らかい表情を浮かべた。少なくとも無意味ではないのだ。不格好。そんな歌を歌った。でもそんなことは関係ない。気持ちが伝わるかどうか。それが大事なのだ。昔博士が言っていた。
そんな風に歌っていると、少女には少し笑みがこぼれた。私に心が感情があるかないか。そんなことは関係ない。相手から見て私に感情があるのなら。それは感情があると言えるでしょう。
依然として少女の顔は涙でまみれていた。ふと私の服を見ると、なぜかぬれていた。雨でしょうか。いえ、今日は曇りのハズです。もしや私のオイル漏れでしょうか。……どうやら私の目からオイルが漏れているようです。なぜでしょう。
昔、博士から聞いたことがあります。人は、悲しんだ時に、涙を流す……。現に教授は死ぬとき、涙を流していました。これが液漏れなのか涙なのか、判断が付きません。でももしこれが、涙だとすれば私は悲しんでいるということなのでしょうか? 離れたくないと、一緒に居たいと思っているということなのでしょうか。
……なぜ、私はこんなことを考えているのでしょう。こんなこと、博士が生きている時に、聞けばよかったものを。もっといっぱい話せばよかったものを……。話すべきことがもっとあったハズを……。なぜ、博士が死んでしまった日にこんなことを考えているのでしょう。
人はいつか死ぬと、わかっていた。
「なんで!
なんででしょう
止まりません」
いつの間にか、機械仕掛けの目からは溢れんばかりのオイルが出ていました。理解不能、制御不能、操作不能。私には何もできません。プログラムにないモノです。これは。でも……
博士は言っていました。アイは愛を大事にしろ、と……。私は、その言葉を約束を、守れるということでしょうか。
博士は答えてくれませんでした。私がいつアイウエオを理解できるのか。その答えは自分で見つけろということでしょうか。
私はわからないこと、知らないことばかりです。でも、私はこの感情を知りたいと思いました。何もかも教えてくれる教授はもういません。これからは、自分とそして周りの人とで答えを見つけなければなりません。
私は隣の少女とともに歌いました。私は少女と抱き合って。
「これからは、二人で生きていきましょう」
「うん」
私たちの涙まみれの顔にはそれを洗い流すかのように綺麗な笑顔が張り付いていました。
数年後。少女も大きくなってきたある日。
「私昔夢があったの」
「夢? なんですかそれは」
「そこからなの? いい? 夢っていうのはね心を突き動かす原動力なの! 夢があったらそのために何でもするし、夢のためなら嫌いなことだって頑張る。夢があるから人は頑張れるの。それで、私、昔から音楽やりたかったんだ。」
「そうなんですか?」
「うん。恥ずかしいんだけどね。」
「そんなことは――」
「でねでね! アイにお願いがあって、……私と音楽やらない?」
「それは……」
「……昔から、人間の感情を完璧に理解したいって言ってたじゃない? だから私も考えたの。『歌』って自分の感情や気持ちを言葉にすることじゃない? アイも歌を通して人間の感情を知ることができるんじゃないかって思うの。」
「……」
「だからねぇ お願い 私と一緒に」
「いいでしょう。」
最初は路上での演奏からでした。三人とかそれくらいの観客。観客がゼロなんてざらでした。でもその数人を大切にして、仲良くなって。だんだん、だんだん知名度が上がっていきました。私が人工知能ということで差別も少しはありましたが、そんなものをはねのけて私たちは歌いました。
最近怖い話を聞きました。街でAIによるデモがあったったそうです。それに彼女は何者かにつけられている感覚を感じたそうです。
そんなことを続けているうち、私たちはステージに呼ばれました。私たちは二人で喜びました。彼女は立派な大人に成長していました。彼女は昔からの夢がかなう。そういっていました。
そんな時、彼女は殺されました。近年、博士の開発したAIに職を奪われた人が増えました。そんな人はAIを破壊したり、各地でAI関連の事件を起こしました。そんな待遇を受け続けたAIには憎しみや他の感情が芽生えたものも多く、奴隷として今まで使われてきたAIによる暴動も増えていました。彼女はそんな恨みの連鎖に巻き込まれたのです。私というAIと一緒に音楽をやったから……。
彼女との最後の会話が思い起こされます。
「なんで私が音楽なんてやろうと思ったか気になるでしょ」
彼女はいたずらっこのようなかわいらしい表情をして言いました。
「音楽が好きだったからではないのですか」
「ブッブー 不正解! 私はね平和を願って歌うんだよ」
「平和?」
「最近、人間とAIでいろいろあるじゃない? 仕事を奪われた人間と奴隷のように働かされるAI。人間はAIを憎んで、AIは人間を恨んだ。でも私思うの。これってAIができる前からあった問題だって。国と国の境界線。人間とAIの境界線。それって似てるって。」
「それは違います。人間はAIとは違って明確な感情があります。それは二つの決定的な違いです。」
「そう? 私あなたを見てると、AIにも感情があるんだな~って思うよ?」
「それは私たちAIが人間の行動を真似て、ハリボテの感情を作り上げたからそう見えるだけです。」
「それは私たちも同じ。人間は赤ん坊のころは自分の感情が分からずに、周りの大人を見て、学習して自分の感情を理解して、さらにそれを表せる言葉をしる。つまり、AIにだって感情はあると思うの。だって今、あなた泣いているじゃない」
「え?」
「あなたは今私に感情があるって言われて、嬉しくて泣いた。なぜなら、あなたにはきちんとした感情があるから。ほらね? あなたは『生きてる』の」
「そうなんでしょうか。私にはわかりません。」
「それはそうとして、アイには夢ってないの? 私の夢にばっかり付き合わせちゃってるけど自分のしたいこととかないの?」
「……私は別に。」
「夢があれば、なんだってできるのに」
ステージで私は話す。
「私には夢があります。AIと人間が手を取り合って、平等に生きていける世界です。このステージには自分の足だけで立ったわけではありません。私は、ある人に手を引かれてここまで来ました。」
「そんな彼女は私というAIと活動していたばかりにデモに巻き込まれて……。私には彼女のために歌う義務があります。聞いてください。『愛』」
私は昔のように顔をべちゃべちゃにして歌った。昔のようなへたっぴな声で。でもどんな歌かは重要じゃない。ただこの気持ちが伝わればいい。伝われ! この気持ち。
すると、会場全体が私の歌に合わせて踊り始めた。歌うことが世界の平和につながるのだろうか。そんなことをしたって問題は一向に解決しない。こんなことをするより、もっと他にするべきことがあるのでは。そんな気持ちが浮かんだ。
けれど私は歌った。心のまま歌った。人々にアイが宿るように。私はアイを歌った。
私は最後の一節を、ゆっくり、優しく歌い終える。
沈黙。何秒か、時間が止まったようだった。
ふと、風が吹いたように拍手が起こる。そしてそれは、波紋のように広がっていく。私はマイクから離れ、空を見上げた。
――彼女の笑顔が、そこに浮かんでいる気がした。
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