第2話 カエル。海へ飛び込む

 最近あることを聞いた。この世界は球体だ、と。それは私の今までの人生をひっくり返すインパクトに満ち溢れた事実で、どうしようもないほど壮大で、私の人生にもう一度若人のような夢を抱かせた。「世界の大きさを知りたい」ちょび髭をたなびかせそう思った。


 その事実を知った時、私はすでに四十を超えていた。そろそろ足にもガタが来て最近はストレッチを日常にしている。仕事はやめた。今まで稼いだ金を妻に渡し、長男に「あとは頼んだぞ」と言って私は家を出た。そして自分が思い出せるすべての知り合いの元を訪問した。「地図の作り方を知っているか? 知らないなら知っていそうな人を紹介してくれ」それを何回も繰り返した。ダメだったら次。ダメだったら次。そんなことを繰り返していたら町でも噂になっていた。ある時、昼飯を食べていた時、声をかけられた。「測量の専門家が知り合いにいるんだ。紹介しようか?」私は身を乗り出して、肩をすぼめて相手の手首を握り、涙を流していった。「ありがとう ありがとう」


 紹介されたのは教師だった。大学で数学を教えているらしい。とても若い先生で確か二十三なのだとか。私はその人から熱心に「測量」について学んだ。二年学んだあと、「もう教えられることはありません」と言われ私はついに外の世界へ飛び出した。


 私はもともと外交官であった。様々な国を訪問し人と関わり国のために尽くした。私には知り合いが多い。国をまたいでの知り合いやコネを沢山持っている。何より大切なのはマンパワーだ。私はチームを結成した。マイケル、ボブ、ジャクソン、ジョン。その他も含めて15人。全員中年だ。私は測量の仕方を共有した。


 私は国に申し出た。「地図を作って献上する。その代わり船や支援金を出してほしい」と。長い交渉の末、おんぼろな船と少ない支援金をもらった。十分だった。私は海へ出た。


 地図を作るのは大変だった。まず、岸に上がって距離と角度を調べる、コンパスを見て紙に書き足す。とても地道な作業だった。そしてもう一つ。地元民との交渉が多かった。その土地の権利を持つ者とトラブル。宗教的にその土地へ入ることが禁忌とみなされていたり。外交官としての力が役に立った。どちらかが一方的に利益を得ることはあってはならない。相手は自分と同じ人間であり、相手がどんな人物だったとしても対等だということを忘れてはならない。自国の特産物を渡したり、地図を作ることで相手にも利益が出ることを説明する。そんなことを続けていたら、自分も地図を作りたいという人がチラホラ出てきた。そのほとんどが仕事も終え、衰えていくだけの老人や中年だった。私は知っている。人の多さこそが強さだと。


 チームの総数は百人ほどになっていた。船は五隻になり、班に分かれて様々な国で測量を行う。数年に一度一つの場所に集まって、地図を統合する。繰り返し繰り返し繰り返す。


 私はある王国に訪れる。海と町が一体になっている王国だった。そこでは儀式以外では砂浜はもちろん、周辺の海にも近づいてはいけないのだという。そこの王様は頑固で何度交渉をしても了承してくださらなかった。私のちょび髭も、うなっていた。


 私は王様と話をした。自慢の紅茶を差し上げ、それとなく理由を聞き出す。するとぽつぽつとその国の現状を教えてくださった。この国では人が死んだときに海や川に流される。それが魂の浄化になると信じられてきたのだという。しかし、近年人口増加に伴って川や海に死体が間に合わなくなり、疫病が蔓延。彼の娘も一人なくなったのだそうだ。彼は言う「この国の伝統の所為で人が死んでいる。かといってそれを廃止したとしても別の地域で同じことが起こるのではないだろうか」と。明日彼の娘を送る儀式が行われるという。


 もともと私は人とかかわるのが苦手だった。子供の頃、周りより成長が早く、そのころからちょび髭が生えていた。それを近所の子供にからかわれて嫌な思いをしたのだ。今思えばそれは何の変哲もないからかいだったが当時の私はそれはそれはイヤな思いをしたのだ。私はそんな馬鹿にしてきたやつを見返すために金を沢山稼ごうと思った。そうして外交官になり、面倒な人々と関わり合い、それなりに高い位置にいた。その時ふと気づいた。もともと人と離れるために努力したのに誰よりも人とかかわっていたことに。そんな私だからこそ知っている。人はやりたいことのためにやりたくないことを精いっぱい頑張れる生き物だと。


「王よ」私は口を開く。「この国では命を神に返すことで救われてきた。でも今やその神聖な儀式が人の命を奪うことに繋がっている。きっとあなたはその矛盾に苦しんでいる。しかし、その儀式をやめることは民を裏切るということではないと思います。民にとって王とは民を統治し、民を生かすもののこと。私は王としての役目を果たす時だと思います」部屋には沈黙が広がった。どこかで波の音がしていた。そして王は深くゆっくりと息を吐いた。「……儀式を中断しよう」中断。やめるのではなく。中断。きっと、大きな葛藤があったのだろう。その言葉に私は安堵した。


 私は測量をしてその王国を後にした。結局王がそのあとどのような決断を下したのか、私は知らない。


 次に剣を突きつけられた。現地の森で食料を探していると、そこの原住民にジャクソンが拘束され、剣を突きつけられたのである。どうやら、彼らの領土に無断で入ってしまったらしい。私は後を追いながら極上のお酒を持って村へ訪問した。族長の部屋で尋問を受けているらしい。ジャクソンは意外となじんでいた。雰囲気で会話していた。私はお酒を献上すると族長に連れられ村の中心までジャクソンとともに宴に参加した。


 そこかしこで騒がしい音が聞こえる。私はそこのワインというお酒を飲み盛大に吹き出した。とても楽しかった。次の日ヅキヅキと痛む頭を押さえながら、ジャクソンを起こす。するとジャクソンはこんなことを言い出した。「俺ここが気に入ってさ、村のみんなもよくしてくれんだ。それに族長さんに気に入られちまってさ。娘の婿に~なんて言われちまったわけさ。だから、俺、ここに残ろうと思うんだ」私は了承した。私は人の人生を縛れるほど偉くない。私は知っている。夢があれば、目標があれば、人はいつだって第二の人生を歩みだせることを。


 私は次の場所へ向かった……



 私は七十歳になっていた。


 目の前には世界で一番大きな地図が広がっている。それを見ると思い出がよみがえる。いろいろなことがあった。海と森を神とみなす民族。そこの族長と交わした盃。知らず知らずのうちに国境を越えてしまい。海賊として牢屋に入れられたこともあった。人生とはわからないものだ。人が苦手なのにいつの間にか人とかかわる仕事について人を好きになって……。かと思えば、急に「世界の大きさを知りたい」とか言い出して。人を集めて、こんな世界一の地図を作ってしまった。そして思う。ここに描かれている地図のすべてに人が住み。毎日を生活している。私はこの旅で世界の広さを、大きさを知れた。私は満足だ。





ギャット(wiki的なもの)

彼は人生の半分を外交官として生活していた。しかしある日「世界の大きさを知りたい」と言いながら家を長男に任せ、測量について学んだとされる。彼の性格についてはとても温厚で優しいとされているが一部の文献では海賊などの悪人としても書かれている。彼は世界中の至る文献に書かれており、原住民に神話として語られている所があったり、彼の進言によって新たな法律が決まったとされる王国も存在している。彼は人生の後半を地図作りのために尽くし、完成した地図を王国に献上し、さらには世界中に配ったとされている。彼によって交易や旅が多く行われるようになり様々な効果を生んでいる。彼は76歳で片方の目を失明した。そして77歳に世界旅行を行ったがその大半を友人が族長のバウの村に滞在したようだ。彼は80歳で故郷で静かに息を引き取った。



参考資料

『王政改革』

 ある沿岸王国において、外部の旅人の提案により葬送の儀式が見直され、疫病の流行が収まったとする記録。旅人の名は明記されていないが、長髭の中年男性とされており、一部研究者がギャットと同一人物であると考えている。

『海賊とされた者たち』

 諸国を巡る過程で誤認逮捕された人物たちの証言を集めた記録。ある旅人が一時期“海賊”として牢に入れられた経緯が詳述されており、後に外交交渉によって釈放された。

『世界図の誕生とその功績』

 世界最大の地図が誕生した経緯と、それに関わった民間人たちの功績について述べる歴史書。中心人物は名前が記されていないが「ちょび髭の紳士」として幾度も登場。

『老年期の挑戦者たち』

 人生後半で新たな使命に挑んだ人物たちの記録。地図作成に命を捧げた旅人が紹介されており、チームの構成、測量方法、航海の困難などが詳細に語られている。

『世界巡礼誌断章』

 各地の民間伝承に登場する“ヒゲの旅人”を収集した記録。名前は様々だが、特徴・行動・目的が一致しており、ある種の文化英雄として解釈されている。

『晩年の地図師 遺された手記』

 地図師としての後年、視力の衰え、仲間との別れ、そして最終的に帰郷し静かに逝った人物の断片的な手記。語り口から温厚で誠実な人柄が浮かび上がる。

『旅と法のあいだ』

 彼の助言によって法制度の見直しがなされた複数の国・地域を対象に、法社会学的な分析を試みた学術論文集。旅人の名前は伏せられているが、その言葉が「他者との共生」を重視していたことが記されている。

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