異人伝

第1話 愚公山を移す

 思えば、僕は幸福だった。どんな運命だったとしてもこの地に生れ落ちることができたからだ。思えば、全ては奇跡だった。妻と出会えたことも、娘に出会えたことも、その先も……。そんな僕の物語はあるガシュタールという小さな村から始まる。


 それは国の首都との間にシルタヤという大きな山を挟んだところにある。総勢50人のガシュタール人が住んでいる村。多少の差別や偏見はあるけれど、木材や石炭を売っているうちは問題あるまい。生活は決して楽ではないけれど、もう無理! ってほどつらくもない。人並。そう、人並だ。


 土木の仕事に熱心で厳格な父、穏やかで優しい母。元気な兄弟。特にこれと言った才能はないから、とりあえず父の仕事の手伝いを最近始めて、最近は褒められることが多くなってきて少しうれしい。たまに「この地を離れて隣国へ」みたいな話も聞くけど僕にはそんなこと考えられない。この村は僕のすべてで、この村で誰かを愛して老いて死ぬものだと思っていた。それは周りの大人がそうだったからである。


 そんなあるとき、戦争が起こった。隣国が迫害に苦しんでいるガシュタール人を保護する。といった名目でこちらの国に侵攻してきたのだ。最初は抵抗できていたものの隣国の圧倒的な力に押され、各地で撤退を余儀なくされた。兵士が足りなくなって次に招集されたのは村のガシュタール人だった。父や僕や兄弟も例外ではない。ガシュタール人がガシュタール人と戦う。そんな滑稽な事態に味方同士で争いや反乱がおこった。


 国は負けじと僕らを次々と戦線へ送り込んだが結果は薄く。僕も戦いに巻き込まれ、左腕と右足を負傷。そして川に転落した。


 目が覚めた時、僕は敵地の民家にいた。ガシュタール人の親子である。と言ってもそこに父親はいなかった。年配の母親と僕と同年代の女性。二人は戦争が始まったことで、山奥の川辺に家を建てて、そこで暮らしていたらしい。そして、そこに流れてきたのが死体や死体や僕であったという。僕を助けるか否かで論争もおきたようだった。


 僕はもう訳が分からなかった。隣国は同種を保護すると言いながら攻撃し、そんな攻撃で負傷した僕は隣国の国民に助けられた。なんのために争っているのかその答えを知っている人は僕の周りに誰一人としていなかった。困惑していたのは彼女らも同じだった。様々な思惑や思想が渦巻く流れの中で誰もがみんな、から回っていた。


 僕は傷を癒すためにその民家への滞在を余儀なくされた。その間、女性といろいろな話をした。トリシアという名前であること。将来画家になりたいということ。けれども戦争で身動きが取れないということ。親の介護で忙しいこと。いろいろな話をした。僕の方も故郷や仕事の話をしたり、荘厳なシルタヤの景色を言葉で伝えた。彼女がいつか行ってみたいというので地図で場所も教えた。献身的に励まし、話し相手になってくれる彼女に僕は淡い恋心を抱いていた。しかし、僕は怪我が治ったこと。父や兄弟が心配なことを理由にそこを去った。


 自国の降伏を知ったのはそれからしばらくたった時だった。街を歩いているさなか大量に配られている新聞を見て、知ったのだ。首都を占拠された自国は賠償金や領土を渡すことを約束した。シルタヤと僕らの村は隣国に吸収された。


 なんとか村に帰ってさらに知ったのは父たちの死だった。家族の中の男は僕と末弟しか返ってこなかった。僕がのんきに寝ていた間に父たちは死んだのだ。僕は深い悲しみに苛まれ日々を仕事をするだけの空虚な生活に消費した。村では縁談や結婚が相次ぎ、みな自分の気持ちをうまく制御していた。それができなかったのは僕だけであった。


 数年後のそんなある日。ある人物が村を訪問した。トリシアである。「来ちゃった♪」といたずらに笑ったトリシアに対して僕はぐしゃぐしゃに顔をゆがめて子供みたいに泣いた。今までため込んでいたいろいろな感情が一気に爆発して自分には制御できなかった。「急にどうしたの?」とか「よくここまで一人でこれたね」だとかいろいろ話す言葉はあったはずなのに、僕はただ泣くことしかできなかった。そしてそんな僕に幻滅してしまわないかという気持ちも生まれた。トリシアはそんな僕を優しく包み込んでくれた。


 落ち着いてからシルタヤを見て、いろいろな場所に行って、いろいろな話をした。彼女の母が死んでしまったこと。寂しかったこと。それでふと、僕のことを思い出したと。


 結婚したのはそれから一年後である。それからしばらくして娘が生まれた。それはもう大変だった。右も左もわからない中でただただ出産に元気づけようと努めた。二人で慌てふためきながら生まれた。


 僕はトゥアナと名付け、愛情をこめて育てた。「トリシア? 誰ですかいなそげんなやつ。僕はトゥアナ一筋ですわ」そんな風に言うと必ず「おい?」と怒られる。これが幸せか、としみじみ思った。


 トゥアナの十歳の誕生日。家族三人でシルタヤを登った。それはもう高い山で途中で「つまんない~ おんぶして~」と人ならざる発言をした愛娘トゥアナをおんぶしたこともあり、頂上に着いた頃にはヘトヘトだった。娘は「ぜんぶたいらだったらいいのに」と言った。その時見た夕日は今でも忘れられない。真っ赤に染まった荘厳な大地に人の文明。全てをそこから見下ろせた。いつも楽しそうにはしゃいでいるトゥアナもこの時だけは静かに見とれていた。


 それから数年間はくだらなく楽しい毎日が過ぎた。僕は仕事を頑張ったし、トゥアナの成長を見守った。トリシアとは口論とかになることもあったけど、最終的には落ち着いてきた。


 そんな時だった。トリシアが病に倒れたのは。最初はただの風邪かと思ったが発熱、頭痛、筋肉痛、嘔吐などの症状が現れた。村人に教えられた。アマリリス熱という最近見つかった女性だけがかかる病気だ、と。ここでは治せない。治療するには最先端の医療を受けられるシルタヤの向こうに存在する隣国の首都。昔の僕の国。今の僕の隣国へ向かわなくてはならないという。僕は急いで出発の準備を整えた。準備が整ってこれから出ようとしている時。トゥアナが倒れた。同じ病気だった。


 僕は泣きそうになりながら、馬車に乗って隣国へ大急ぎで向かった。息をしている気がしなかったし目の前が真っ暗だった。そんな中隣国の国境で検問に止められた。僕ら三人だけ入ってはならないという。理由としては、一つ戦後まもなく合併されたガシュタール人が国内に入ると何かと面倒なこと、戦争で恨みを買っていたから。二つ二人の病気が国で広がることを恐れたから。ということらしい。僕は激高し「何とか入れてくれないか。妻と娘の命がかかっているんだ!」と叫んだ。けれど結局「しばらく待って通行許可証を取得してください」と言われ通すことはしてくれなかった。


 待つことなどできなかった。周辺地域に聞き込みをして、何やら検問に抜け道があるらしい。隣国内の井戸へとつながる洞窟、ドゥハの洞窟というものがあるらしいのだ。僕はそれにすべての望みをかけて走った。縄があった。その先端には水をくむためであろうバケツがあった。問題はどうやって二人を上まで運ぶか、だ。どちらか一方しか地上まで抱きかかえることはできない。トリシアは言った「私はいいから」トゥアナを抱きかかえたまま、そのか細い縄に僕らの命を懸けて上へと上がった。後もう少しで地上に上がれた時。あたりに全てを引き裂く音が響く。縄が千切れたのだ。僕はすんでのところで井戸枠を掴んだ。縄が地面に落ちる。もう後戻りはできなくなった。


 僕は走った。走り続けた。行先はただ一つ。アマリリス熱の研究所。僕はようやくたどり着いた。門をたたき、先生が出てくる。僕は言う「この子を助けてください!

」先生はマジマジと娘を見て残念そうな顔をしていった。「残念ながら……」その一言で僕は察した。おかしいとは思っていたんだ。でも認められないでいた。「トゥアナおい目を覚ましてくれ。助かる。助かるんだ。だから目を開いておくれよぉ」娘トゥアナは僕の腕の中で冷たくなっていたんだ。


 僕は膝から崩れ落ちた。ただただ悲しかった。僕は無力だった。妻や娘の病気を治す力もなく、二人を抱えて首都まで走ることもできない。アマリリス熱のワクチンもあと一年もすれば一般に普及するという。


 僕は違法な国境越えが原因で留置所にいた。二人の死体を回収し、小さなお葬式をしてもらった。解放されて無気力なまま帰路に就いた。三日が立っていた。行きは馬車だったので迂回したシルタヤに今度は歩きで頂上に上った。軽い背中に寂しさを覚えた。いつもは後ろについてくる足跡が聞こえない。そんな風に考えながらいつもより早く頂上に着いた。ふいに思う。「ここから飛び降りてしまおうか」。


 何も残っていなかった。愛した妻と娘。その両方を同時に失った。ここから落ちたら苦しんで死ぬことになるだろう。弟が入信した宗教では現世で苦しい思いをした者ほど死後の世界で幸せになれるという。僕を引き留めるものは何もなかった。けれど一筋の光が差し込んで来た「眩し!」いつの間にか夕暮れ時になっていた。思えば昔三人でここへ来た時と時間も季節も同じだった。そこには昔と全く同じ光景が広がっていた。真っ赤に染まった荘厳な大地に人の文明。全てをそこから見下ろせた。


 妻も娘ももういない。戦争が起こっていなかったら。人種による差別がなかったら。ワクチンがあと一年早く開発されていたら。シルタヤの道がきちんと整備されていれば。何を考えたってもう手遅れだ。けれど、今日も今日とて一日が終わり。そしてまた明日がやってくる。どんなひどいことがあったって。辛いことや楽しいことがあったって、それは変わらない。この世界は廻り続ける。様々な思惑や思想が渦巻く流れの中で誰もがみんな、から回る。朝起きて、仕事を頑張って、家に帰って妻がいて子供がいて、子供をギューッと抱きしめて、今日あったことに思いをはせながら眠りにつく。そんな人並の幸せをかみしめることさえ許されない。それでも、変わらないもの。ここから見る景色はきっと何よりも美しい。


 僕は数日を村で過ごした後、スコップを片手にシルタヤへと向かう。きっと未来で僕は馬鹿にされる。たった一人で人生をかけて山を削った大バカ者だと。それでいい。構わない。自分がおかしくなっている自覚はある。否定はしない。けれど、僕はそれが正しいと思っている。


「愚公山を移す」





聖地トゥシア。(ウィキペディア的なもの)

現代の無神教において聖地トゥシアには様々な説がある。現在一番有力視されているのが封印戦争時に無神が巨竜と戦った時に山が裂けた、というものだ。当時には闘気はおろか魔術も発見されていなかったため、人力で山を掘ったとは考えにくい。周辺には川などもないため自然現象では説明がつかず。当時ではもし何百人で何百年という時間をかけても不可能とされているのでその考えが主流になってきている。名前の由来については渓谷の一部で消えかかたった文字の一部が見つかり、つなげられて命名された。どんな理由があったにせよ、聖地トゥシアは周辺の国の道として最適になり、長年険悪であった国が連合し新たな連合国家として成立した。

周辺の地域ではトンタルという老人が一生をかけて山を削ったという内容の日記も見つかっているが、信憑性は薄い。なんにせよ、聖地トゥシアによって多くの争いが減り、その後の技術発展に大いに貢献したことは間違いない。




参考文献


アリュ・ミカエル『ガシュタール戦争と民族同化政策』

 ー 隣国による民族保護を名目とした軍事侵攻の実態と、その後の民族政策を詳述した資料的価値の高い研究書。


イェルダン・ステファン『聖地トゥシアと無神伝説』

 ー トゥシアを無神教における聖地として扱い、その歴史的・神話的役割を検証した神話宗教学的視点の論文集。


ガッシュ・レナ『封印戦争史再考:闘気以前の戦争技術』

 ー 魔術や闘気が未発見であった時代の戦争技術と、それを支えた肉体・土木技術に関する考察を含む歴史研究書。


シュレム・ヴォルク『トンタルの日記とその史的価値』

 ー トンタルという名の男による手記とされる文書の全文と、その真偽・年代・筆致から史実性を評価した研究。


ディラン・マユ『アマリリス熱と女性身体:未解明疾患』

 ー アマリリス熱というジェンダー特異的疾患の発見と、それが社会政策や差別構造に及ぼした影響を分析した医学社会学的研究。


ナグル・ヒメル『道としてのトゥシア:交易と連合国家成立の背景』

論文集 第14巻

 ー トゥシアを通じた交通網の発展と、それが旧敵国同士の連合国家設立につながった過程を論じた国際政治史の論考。


ベラード・ユミカ『哀しみの地勢学:ガシュタール人と風景記憶』

ガシュタール人が故郷の風景と共に抱える歴史的記憶の形象化、記憶地理学の立場から考察。


ラミル、トーリオ『聖地トゥシアと技術進化』テクノロジア出版

 ー トゥシア開削とその後の社会インフラ技術の発展との連関を、工学史的に分析。






































注意! この話は作者の妄想話で実際の話には何も関係ありません。フィクションです。参考文献とかも作り話です。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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