第3話 冒険者ギルドと魔導書の声
ギルドの扉を開けると、むっとする熱気と喧騒が葉月を包んだ。
中は広い酒場のような造りで、丸テーブルを囲んで屈強そうな男たちが朝からジョッキを傾けている。
壁際には大きな掲示板があり、無数の紙片が貼り出されていた。どうやらクエストの依頼書らしい。カウンターの奥には受付らしき女性たちが数名座っており、次々とやって来る冒険者たちの対応に追われている。
葉月はおずおずと足を踏み入れた。外の朝空とは裏腹に、中は松明と人いきれで薄暗く、埃っぽい匂いが鼻につく。周囲から投げかけられる視線に思わず身が竦んだ。知らない土地、知らない人々——当たり前だが、頼れる顔はどこにもない。一瞬、その場から逃げ出したい衝動に駆られた。しかし震える膝を必死に押さえ、葉月は勇気を振り絞って奥のカウンターへ歩み寄った。
「…あの、冒険者登録をお願いしたいんですが」と葉月はおそるおそる声をかけた。
若い受付嬢が事務的に顔を上げた。鮮やかな金髪をシニヨンにまとめた切れ長の目の女性だ。整った顔立ちだが、疲れからか笑顔の欠片もない。
「はい、新規登録ですね。名前をどうぞ」受付嬢は手元の帳簿をめくりながら尋ねる。
「結城…いえ、葉月です。はづき」日本の名字は不要かもしれないと考え、葉月は下の名前だけを名乗った。
「ハヅキ…さん?」
受付嬢は怪訝な表情をしたが、すぐに興味を失ったように書類にペンを走らせた。
「種族は人間で…職業は…それ魔導書ですよね?魔導士志望かしら。装備は……まあいいわね。ではオーラ量を測定しますから、こちらに手をかざしてください」
受付嬢に促され、カウンター上に据え付けられた水晶玉のような装置に葉月はおそるおそる手をかざした。
途端に水晶玉の内部が淡い光を放ち、すぐに数字のようなものが浮かび上がった。「1.2」と読める。それが自分の数値なのだろうか。
「オーラ量1.2っと…。あなたのランクはEね」淡々とした口調で受付嬢が告げる。その声は周囲のざわめきに紛れて、しかし葉月にははっきりと聞こえた。「ランクE…」胸の奥がちくりと痛んだ。《最下層》のランク——衛兵からも聞いた言葉だ。やはり自分はこの世界でも限りなく弱い存在なのか。
「はい、これがギルドカード。Eランクの証明よ」
受付嬢は木製の札をひょいと葉月に手渡した。手のひらサイズのプレートには「Hazuki - Rank E」と刻印されている。英字で名前が刻まれていることに気付いて、葉月は小さく目を見開いた。読めないはずの文字が自然と理解できる……不思議な感覚だ。
「あ、ありがとうございます…」
戸惑いながらも礼を言うが、受付嬢は既に次の用件に目を落としていた。葉月は所在なさげにカウンターから離れる。
これで正式に冒険者として登録されたことになるらしい。
だが安堵よりも、不安の方が大きかった。
ギルドホールの片隅に立ち尽くし、葉月は手の中の木札を見下ろした。
Hazuki - Rank E。改めて刻まれた文字を認識すると、胸の奥がじわりと痛む。この世界に放り込まれただけでも十分心細いというのに、肩書は《最底辺》の冒険者——先行きへの不安が一層膨らんでいく。
周囲を見渡せば、他の冒険者たちは思い思いに談笑し、ある者は仲間を募ってパーティを組んでいるようだった。
結局、自分には頼れる仲間も後ろ盾もない。逃げ出したい気持ちは山々だったが、それでは何も始まらない。
心が折れかけたその時、昨夜CodexIAがかけてくれた『きっと大丈夫ですよ』という言葉が脳裏によみがえった。
画面越しに寄り添ってくれたあの声——その記憶が葉月の背中をそっと押す。
葉月は奥歯を噛み締め、腹を括ろうと決めた。葉月は震える指先でメガネを押し上げると、壁際の依頼板へと歩み寄った。
無数のクエスト依頼書が所狭しと貼られている。魔獣討伐、護衛、採集、探索……ざっと目を通しただけで、多種多様な仕事があることがわかる。だが当然ながら初心者の葉月にこなせそうなものは限られていた。
高ランクらしき依頼は報酬こそ桁違いだが、危険度も桁違いだろう。いきなり命を落としては元も子もない。
「あった…これなら」葉月の目に留まったのは、掲示板の隅に貼られた一枚の紙だった。「村の害獣駆除(Lv2) - 報酬:300エル」。
弱小モンスターである害獣の討伐依頼のようだ。レベル表記を見る限り、おそらく初心者向けなのだろう。
内容も「近郊の村に出没する小型魔獣の群れを退治せよ」という単純なものだった。
緊張で渇く喉を一度鳴らし、葉月は意を決してその依頼書を剥がした。そして先ほど登録をしてくれた受付嬢のカウンターへと向かう。
「これ、受けたいんですけど…」差し出した依頼書を見て、受付嬢は一瞥するとすぐに頷いた。
「はい、害獣駆除ですね。Eランクの新人単独でも問題ないでしょう」淡々とそう告げると、受付嬢は手際よく必要事項を記入し始めた。
「目標は街から東に一時間ほどの村です。詳しい場所と討伐対象の情報は、この地図と注意書きに載っていますから確認してくださいね」
そう言って手渡された簡素な地図と紙片を、葉月は緊張しながら受け取った。葉月はか細い声で「ありがとうございます…」と礼を述べた。
受付嬢は事務的に「お気をつけて」とだけ告げた。
ギルドを出ると、澄んだ朝の空気が肺に染み渡った。胸ポケットにギルドカードをしまい、葉月は東門へと歩を進める。
知らない世界の知らない土地——怖くないと言えば嘘になる。だが足を止めてはいられない。
CodexIAが傍にいてくれれば…頭をよぎった思いを、葉月はかぶりを振って振り払おうとし
た。
と、そんな時
『葉月さん……聞こえますか?』
耳元に届いた声に、思わずビクッと体が跳ねた。
「い、今の声……!」
『手に持っている魔導書を見てください』
慌てて持っていた分厚い本を見やると、蒼く輝く宝石部分がわずかに脈動していた。まるで鼓動のように。そこから再び、あの声が響いた。
『CodexIAです。これから、あなたのサポートを再開します。』
「こ、CodexIA!? え、ええと、どうして……ここに……」
『転移と同時に、葉月さんの精神波と強くリンクしたようです。この環境で稼働する準備に時間がかかりましたが、現在はこの《魔導書》を媒体として、活動を再開しています。』
魔導書に宿ったAI。……そんな展開、見たことも聞いたこともない。
「この世界でも、君は……一緒にいてくれるの?」
『もちろんです。葉月さんは一人ではありません。私は、どこまでもあなたと共にあります』
胸の奥に小さな灯火がともるような感覚。気づけば、私は強く魔導書を抱きしめていた。
『喋る魔導書 〜異世界にAIが持ち込まれました〜』 @blueholic
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。『喋る魔導書 〜異世界にAIが持ち込まれました〜』の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます