第2話 異世界で目覚めて

ひんやりとした風に頬をなでられ、私はゆっくりと意識を取り戻した。

身体を起こそうとして、ざらりとした地面の感触に気づく。

え……床じゃない?硬い土と小石の混じった地面——まるで外に倒れているみたいだ。


「う…ん……?」

私は薄目を開けた。視界に飛び込んできたのは、灰色の巨石で造られた高い壁。

城壁……だろうか?

見上げると、朝焼けの空を背に尖った塔のような見張り台が突き出ている。まるで中世ヨーロッパの城砦のような光景に、思わず息を呑んだ。


「ここ……どこ……?」私はゆっくりと立ち上がり、辺りを見回した。

昨夜までいた研究室とは明らかに違う。

足元には草が生え、土の匂いがする。

壁の向こうからはかすかに人々の話し声や荷車の軋む音が聞こえてきた。

現実味のない状況に置かれているが、夢にしてはやけにリアルだ。

肌寒さも土埃の匂いも、生々しく感じられる。


自分の体を見る。昨日と同じ服装——ゆるいジーンズにスニーカー、そしてお気に入りの薄手のフードパーカー。

研究室で作業していた時のままだ。

幸いメガネも無事で、視界ははっきりしている。腕に小さな擦り傷ができていたが、大した痛みはない。


昨夜……私はCodexIAと話していて、それから……。

「嘘……本当に異世界に飛ばされたの?」

自分の呟きが虚しく空気に溶けた。

まさか、いくらなんでもそんなファンタジーな……。

混乱しながらも、私は頬を抓ってみる。「痛っ!」——痛みはある。ということは夢じゃない?


頭の中がパニック寸前になるのを、私は深呼吸して抑えた。

落ち着いて。まず現状を把握しなきゃ。これは現実だと仮定して、今自分はどこにいる?そしてどうするべき?


ふと、足元に違和感を覚えた。

先ほどまで転がっていた地面に、見慣れない大きな本が落ちている。

分厚い革表紙に金色の装飾が施されており、古めかしくも重厚な雰囲気だ。中央には小さな蒼い宝石のようなものがはめ込まれており、手に取った瞬間ちらりと光を反射した気がした。

私は腰を屈めてその本を手に取った。

「……何これ?」

表紙には見慣れない紋章と文字。

奇妙な記号の羅列で、私にはまるで読めなかったが、不思議と温かみを感じる。

どこか惹かれるものを感じて、思わず抱きしめるように胸に収めた。

突然この世界に放り出された私にとって、手がかりになりそうなのはこの本だけだ。絶対に失くすわけにはいかない。


「おい、そこの君!」

突然、少し離れたところから太い男性の声がした。

はっと顔を上げると、城壁に開いた巨大な門の前に鎧姿の兵士——いや、衛兵だろうか——が立ってこちらを見ている。

全身に銀色の甲冑かっちゅうをまとった衛兵は槍を手にしていて、一瞬ぎょっとした。

衛兵は警戒するように私に近づいてきた。私を値踏みするような鋭い視線に思わず身がすくむ。

「こんなところで何をしている?門の外で倒れていたそうだが……怪我はないか?」


「あ、えっと……だ、大丈夫です。」思わず日本語で返事をしてしまったが、相手はこちらの言葉を理解した様子だった。

ほっと胸を撫でおろす。どうやら言語は通じるみたいだ。


「そうか。見慣れない格好だが……旅の者か?」

衛兵は私の全身を見て怪訝そうに眉を上げた。ジーンズにパーカー姿は、この世界では奇異に映るのだろう。私は咄嗟に言葉に詰まった。


「え、えっと……その……」

何を説明すればいい?異世界から来たなんて信じてもらえるはずもない。私は口ごもりながらも何とか言葉を探そうとした。すると衛兵はため息交じりに言った。

「まあいい。訳あって当てもないのだろう。まずギルドへ行くといい。」

「ギルド……ですか?」聞き慣れない単語に首を傾げる。

「ああ、冒険者ギルドだ。この街に来た冒険者は皆、まず登録することになっている。身元がはっきりするまで居場所もないだろう?」


冒険者ギルド——ファンタジー小説ではお馴染みの響きに、私は思わず目を見開いた。やっぱりここ、ゲームや小説の中みたいな世界なの……?半信半疑のまま、しかし他にあてもない私は頷くしかなかった。

「その、案内してもらえますか……?」

おずおずと頼むと、衛兵は少しだけ笑ったように見えた。


「門を入って大通りを真っ直ぐ進め。大きな酒場のような建物が見えるはずだ。それがギルド本部だよ」

「わかりました。ありがとうございます」

私は頭を下げ、言われた方向へ歩き出した。

門番に軽く会釈しながら内側へ足を踏み入れると、そこには石畳の広場と古風な建物が立ち並ぶ通りが見えた。

行き交う人々は揃いのチュニックやドレスといった古風な服装で、中には腰に剣をいた屈強そうな男性や、杖を抱えたローブ姿の女性もいる。

露店の果物やパンの香ばしい匂い、荷馬車の軋む音が聞こえる。まるで時代劇のセットの中に紛れ込んでしまったみたい。


それでも、歩みを進めるごとに実感が湧いてくる。私は本当に異世界に来てしまったんだ——!今さらながらそう理解し、心の中で悲鳴を上げる。

この先どうなっちゃうの?不安と興奮がないまぜになったまま、頭がクラクラする。それでも進むしかないのだ。心細くなって、小声で『CodexIA…聞こえる?』と呟いてみた。しかし返事はない。ただ知らない人々の喧騒が耳に届くだけだった。

私は唇を引き結び、まっすぐ前を見据えらしかなかった。

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